企業を審査員という立場で審査している人は、なんらかの公的資格を持っている。
この公的資格を持っている人には資格を維持し、更新するために「継続的な力量向上」という条件が課されている。
先日、いくつか保持しているある審査員資格の力量向上研修(2日間)に出席した。
講習会の最後に、講師の方がお話された「まとめのレジメ」は共感したので概要を紹介しておきたい。

(以下、その時の概要)
“「審査の判断基準が曖昧である」とのご指摘を審査員からよく受ける。
しかし、刑事罰の法律をみてもその判断には「幅」があり、「判例の積み重ね」によりコンセンサスが図られていくものだ。
マネジメントシステム規格の要求事項は、これらの法律よりももっと曖昧である。つまり、審査員は一人ひとりが「物差し」あるいは「価値観」をどのように持つかが重要であり、それこそがまさに「力量」である。「規格や審査手順書ではこう書いてあるから○、こう書いてないから×という判断は愚の骨頂。極端に言えば、そういった審査であるならば小学生でも手順さえ教えればできる。
これでは、審査員としての自らの役割を放棄していることではないか。
また、審査員のその時の判断はすべてでない、ごく一部しか見ていないかも知れないことも認識するべきだ。“
(概要、ここまで)

要は、
1)『審査は検査ではない』
⇒チェックリスト方式で良否を決められるものではない。
同じ現象であっても、その時々の企業の風土や背景、文化、状況によって判断は異なってくるもの。
2)『審査員としておごるな!』
⇒審査員としてその時見たもの、確認したものはあくまでも断片かもしれない、との認識を持って判断する事が重要。
3)『審査員は多様なものの見方・考え方が必要』
4)『日々の生活の中で多様の価値観を理解できる眼を持つこと』
⇒それが、審査員の価値であり、力量向上にもなる

という趣旨のことをおっしゃられたかったのであろう。
しかし、この意味が「そうだよそうだよなぁ」、「考え方が腹に落ちる(理解できる)」人は共感を持って聞き、受け止めたであろう。しかし、そうでない人は何回聞いてもおそらく真の意味で理解し、納得できないのだ。
後者の人々は「座学で教育してもその考えが身につかない。したがって真っ当な審査はできない」ことは今までの経験則からわかっている。
どうやってそういった方々に引導を渡す、つまりは「ご退場いただくか」が今後、審査員教育機関や審査員登録機関、審査団体など関係者の課題なのだろう。

この研修会を通じて面白いことに気づいた。
歳を取ると人は「徐々に人や周りに対する配慮」ができなくなるということである。
会場に「立ち入り注意」用のロープがひいてあったのであるが、お年寄りの方に限って、よくそのロープに引っかかる。また、引っ掛けたことによって元の位置より伸びたロープを元の位置に戻さない。
これは、
・年齢による注意力不足
・歳を取ったことによる甘え
がある。

周りに対する配慮ができるということは、周りを的確に理解し、また自分の置かれている立場や状況を考慮して行動しなければいけないのだ。
例えるならば、いいとこのボンボンが「小さいころから甘やかされて育つ、政治家や高級官僚が「先生先生」と常に持ち上げられているのと同じで、歳を取ると「周りが気を使ってくれるので、自然とそうなっていく」のではないかと思う。
まさに「イージス艦あたご」状態で「小型船が回避してくれるだろう」と一緒。
これは、「人間いつか来る道」であり自戒を込めた意味で、「こうなったら審査員として終わりである」と不惑の歳を迎えた日に思う。

【よかったらクリックお願いします♪】
ブログランキング・にほんブログ村へ
ブログランキングranQ
企業家ブログhttp://www.kigyoukablog.jp/ranki.cgi?id=35