元大蔵省財務官の榊原英資氏が著書の中で脳の活性化のために意識するべきことを3つ挙げていた。
その3つとは、
1)「解答は必ずしもない」。
それを知り、肝に命じること。
2)「常識を疑え」。
独断論的な思考に陥らないためには、異なった価値観を体感するために海外に行き、その文化に触れること。
3)「部分的なもので全体を測るな」。
常に全体を意識し、情報を統合した「ものの見方・考え方」をすること。
この3つのことは多くのビジネスマンが「日頃、そうありたいなぁ」と思ってはいるが、なかなか完全に認識化され、習慣化された思考にはなっていないのではないだろうか。
話は変わるが、先日、コンサルティング先のクライアントさんのISOの認証審査に立ち会った。
その時の審査を担当していただいた審査員が「最初から決め付けし、断定したものの見方はしない」というような趣旨のことを冒頭でおっしゃられた。
私は受審側のコンサルタントではあるが、受審側が「あれ?考え方として見当違いしているんじゃないの?」と思われるような思考や発言をしていたら「いい意味でガンガン攻めて欲しい」と期待していた私としては、一瞬、「えー、がっかり」と思った。
しかし、冷静に考えてみると「木を見て森を見ず」=「部分的なもので全体を測ることはしません」と審査員は言いたかったんだな、と理解した。
確かに、何百社もの企業に訪問し、審査技法に長けている審査員といえども、たった数日企業に訪問しただけで、その企業のすべてはわからない。
つまり、「大きく明らかな企業経営上の失敗が顕在化していない」ならば、その企業の風土や仕事のやり方は、長い年月の中で取捨選択されて醸成されてきたわけで、そのこと自体は尊重するべきだ。
したがって、全体を把握する前に部分的な部分のみをみて「それは絶対にダメ・変」だと断じることはできない。
その審査員の審査を通しで最初から最後まで拝見させていただいたが、形式的なことには殆ど、一切こだわらず、「考え方のみ」を確認しているやり方だった。
時折、自分の考え方を主張して、相手の考え方を確認する。そして、自分のイメージや考えとは違っても、その背景の考え方を理解し、とりあえず、様子見しよう、という一貫した姿勢が見受けられた。
なるほど。。。
自分が審査をする時もこのスタイルでやっているつもりであったが、同じスタイルで審査をする審査員を見ると、話の進め方などとても参考になる。
未だにそういう認識の人は多いが、ISO認証制度の黎明期ともいえるかつての時代は受審企業だけでなく審査員も「規格に対してこう管理されているべき」的な○か×かの2分法思考でものごとを捉え、審査するケースが多かった。
それは「そのようにISOを勘違い」していたムキもあるが、2分法の方が企業も審査員もある意味「ラク」、要は双方が熟考せずに役割を果たせるから能力を高めなくても済む。
世間のISO規格に対する誤った認識の伝播は、その当時の審査員の審査スタイルやそれに呼応した企業の事務局に起因している部分がかなり大きいのではないかと「ちゃんとした審査」を見ながら改めて感じた。
何事にしてもそうであると思うが、「真っ当な、ちゃんとした人」と最初に出会わないと、考え方の軌道を戻すことは容易ではない。
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1)「解答は必ずしもない」。
それを知り、肝に命じること。
2)「常識を疑え」。
独断論的な思考に陥らないためには、異なった価値観を体感するために海外に行き、その文化に触れること。
3)「部分的なもので全体を測るな」。
常に全体を意識し、情報を統合した「ものの見方・考え方」をすること。
この3つのことは多くのビジネスマンが「日頃、そうありたいなぁ」と思ってはいるが、なかなか完全に認識化され、習慣化された思考にはなっていないのではないだろうか。
話は変わるが、先日、コンサルティング先のクライアントさんのISOの認証審査に立ち会った。
その時の審査を担当していただいた審査員が「最初から決め付けし、断定したものの見方はしない」というような趣旨のことを冒頭でおっしゃられた。
私は受審側のコンサルタントではあるが、受審側が「あれ?考え方として見当違いしているんじゃないの?」と思われるような思考や発言をしていたら「いい意味でガンガン攻めて欲しい」と期待していた私としては、一瞬、「えー、がっかり」と思った。
しかし、冷静に考えてみると「木を見て森を見ず」=「部分的なもので全体を測ることはしません」と審査員は言いたかったんだな、と理解した。
確かに、何百社もの企業に訪問し、審査技法に長けている審査員といえども、たった数日企業に訪問しただけで、その企業のすべてはわからない。
つまり、「大きく明らかな企業経営上の失敗が顕在化していない」ならば、その企業の風土や仕事のやり方は、長い年月の中で取捨選択されて醸成されてきたわけで、そのこと自体は尊重するべきだ。
したがって、全体を把握する前に部分的な部分のみをみて「それは絶対にダメ・変」だと断じることはできない。
その審査員の審査を通しで最初から最後まで拝見させていただいたが、形式的なことには殆ど、一切こだわらず、「考え方のみ」を確認しているやり方だった。
時折、自分の考え方を主張して、相手の考え方を確認する。そして、自分のイメージや考えとは違っても、その背景の考え方を理解し、とりあえず、様子見しよう、という一貫した姿勢が見受けられた。
なるほど。。。
自分が審査をする時もこのスタイルでやっているつもりであったが、同じスタイルで審査をする審査員を見ると、話の進め方などとても参考になる。
未だにそういう認識の人は多いが、ISO認証制度の黎明期ともいえるかつての時代は受審企業だけでなく審査員も「規格に対してこう管理されているべき」的な○か×かの2分法思考でものごとを捉え、審査するケースが多かった。
それは「そのようにISOを勘違い」していたムキもあるが、2分法の方が企業も審査員もある意味「ラク」、要は双方が熟考せずに役割を果たせるから能力を高めなくても済む。
世間のISO規格に対する誤った認識の伝播は、その当時の審査員の審査スタイルやそれに呼応した企業の事務局に起因している部分がかなり大きいのではないかと「ちゃんとした審査」を見ながら改めて感じた。
何事にしてもそうであると思うが、「真っ当な、ちゃんとした人」と最初に出会わないと、考え方の軌道を戻すことは容易ではない。
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