橋本前会長が辞任にまで追い込まれた最近のNHKの「不祥事」は「報道記者たちによるインサイダー取引疑惑」と「ドラマ撮影における駐車場に置かれている車の所有者に無断でナンバープレートを貼り付けた」件である。

この2件の不祥事については、製紙業界における古紙配合率の偽装と違って、NHK会長として直接「確信犯的な不正」を働いたものではない。
製紙業界の場合は、多くの場合、「経営層に、社内に偽装している事実がある」という情報が上がっても状況をそのまま放置し、市場を欺いた「確信犯的不祥事」である。

確信犯的不祥事と過失的不祥事の違いは、過失的不祥事は多くの場合、組織に不祥事(不正)を誘発する体制があり、不正を防ぐ仕組みがない、または脆弱であることが多い。
逆に言えば、確信犯的不祥事は、ある意味「不正を検知するする機能は働いていた」と言えなくもない。検地した不正をそのままにするから悪質であり、その悪質さを除去しようとすると業務や業務チェック等の仕組みが複雑になる。

NHKの2件の不祥事を仕組み面で何が不足していたかを考えて見たい。
まず「報道記者のインサイダー取引疑惑」である。
「報道記者のインサイダー取引」自体は、記者は、
・報道記者としてのモラル違反になる行為である
・自己の利益のための不正行為である
という自覚があり「確信犯」である。
しかし、組織としては、
・報道システムが比較的誰でも閲覧できる状態になっていた
・報道機関職員のモラルは個人の意識に委ねていた
・報道機関職員に対して株取引などの原則禁止等の社内ルールがなかった
といった「社内ルール(仕組み)に瑕疵があった」と言えなくもない。
つまり、結果論ではあるが、組織として「不正を誘発しない」あるいは「ルールが設けられていることに伴うデメリットが殆どない」仕組みを構築しておくことは可能だったわけだ。

また「所有者に無断でナンバープレートを張り替えた問題」も、
・スタッフとスタッフ同士あるいは演出家とのコミュニケーションが不足していた
(撮影中、許可無くプレートを貼り付けた車輌が走り去らないよう監視する仕組みがないなど)
・外注制作会社(下請けスタッフ)に対して「NHKは不祥事が続き、世間の注目度が高いから細心の注意を払って撮影する」という認識管理が不十分であった
など「問題の原因」は特定できるわけであり、問題発生を防ぐ方法論や配慮は十分に取ることができたと(これも結果論ではあるが)言える。

もちろん、結果は確信犯であろうと、過失的なものであろうと「不祥事」であることには違いないが、我々は「不祥事報道」を耳にしたときに、問題(不正)は「仕組み上の側面が強い」のか「モラル的な側面が強い」のかを考えるべきではないかと思う。
そうでないと、感情的なものの見方に終始し、自分自身に置き換えた場合「改善の余地はどこにあるのか」という本質的な認識としてフィードバックする事ができず、有効に活かせないのである。

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