あくまでも自己評価ではあるが、この答えは間違いなく「審査員」だろう。
審査員は決して「専門家」であってはいけないし、「唯我独尊」であってももちろんいけない。
私のイメージとしては「こうであるべき」とか「この業務はこのように管理するのがあたりまえ」と見てしまうようになったら「審査員としては終わりだ」と思っている。
したがって、そういったものの見方ができるようなるために日常生活を常に好奇心旺盛で、いつもと違った行動をわざとやってみたり、いろんな人と話をして、客観的で、多様な価値観を理解できるように努力しているつもりだ。
「専門家」になるためには、ある程度限られた領域に特化して技術を研鑽する必要がある。スポーツに例えれば、野球選手として一流になるためには、やはり野球に専念して研究すべきだろう。しかし、スポーツ全般をカバーするマルチスポーツ競技者になるのであれば、さまざまな競技を経験して造詣を深める必要がある。
しかし、人間は等しく時間が与えられているわけであり、ある領域に特化して研鑽した人にはその専門分野ではかなわない。
ただ私は、多くの人に「こういう見方もありませんか?」ということを伝えたい「伝道師」志向がある。
多くの人への伝道師活動は専門家過ぎないほうがよい。
また「審査」はその企業の製品やサービスを購入する購入者・消費者目線でものを見ることが大事なので、製品やサービスを提供する側の目線になってはダメだ。
だから「専門家」というよりも「私はこう考えるけどあなた方はどのように考えているのですか?」という目線が常に必要だ。
そのためには、他業種や他業態の学識や知識がないとなかなかそのようにものごとを見る事ができない。
そのような視点で自己を成長させようと日々心がけているので「特化した専門技術指導」を期待されたコンサルティングは私には難しいと思っている。
しかし、仕組みを構築したり、改善する際のものごとの見方や考え方に関してはさまざまな業種業態の仕組みを見てきた自負があるので、クライアントに気づきを与え、提案することはできる。こういった点でコンサルティングを要求してくれるクライアントさんには喜んで支援させていただきたい。
しかし、審査員よりコンサルタントの方がよかったぁ、と感じるときもある。
それは企業の「マネジメントシステムの構築・運用」というひとつのゴールに到達したときである。
審査は受審企業のレベルが高くても、良い審査が提供できた、と自覚症状があるときでもなぜか受審企業を後にするときには若干の虚無感がある。
しかしコンサルタントであれば、企業と数ヶ月間、苦楽を共にしてきた同士であるから一緒に喜びを分かち合う事ができる。
マネジメントシステムが目指しているところが「組織が自律して持続できる継続的な改善」であるとするならば、第一段階は「気づかせ役」のコンサルタントや審査員が継続的改善がまわる企業文化を創り、第二段階として仕組みの質的向上を専門性の強いコンサルタントが担う、という役割なのかな、と思うこのごろである。
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