26日午前9時過ぎより一連の「亀田騒動」の終息を図るために亀田家を代表して協栄ジムの金平桂一郎会長とともに亀田興毅選手が会見をした。
一見して以前からうわさされていたように「亀田興毅選手のテレビの前での無礼で失礼な言動や行動は『亀田スタイル』作りのパフォーマンスだったんだ」と思った。
言葉足らずの面は、しばしばあったけど丁寧語や敬語をちゃんと交えて記者からの質問にキレることもなく返答していたのは「本当はちゃんとした話し方ができるじゃん」と感じたし、今までのイメージからすれば「よく頑張った」と思う。

謝罪会見から一夜明けて「26日の謝罪会見は許せるor許せない」や「記者の質問は警察口調かつ詰問調で不快」など一連の騒動について本質的でない議論がテレビのワイドショーやネットではまだ渦巻いているが、私個人的には金平会長と亀田興毅選手の謝罪会見時の説明で一応の決着が付いたと思っている。
謝罪会見時の説明や会見後に金平会長がワイドショーに出演してわかったことは、
○内藤大助-大毅戦で反則行為を指示していたことを認め謝罪した
○亀田家の一連のパフォーマンスは「亀田スタイル」作りの一環だった
○亀田史郎氏は協栄ジムのトレーナー職の辞意を申し出て受理された
(事実上ボクシング界から引退)
○JBCの処分に加えて協栄ジムとして会長自らの処分も考えている
○大毅選手の精神状態が戻ったら必ず謝罪会見実施してから練習を再開する
○亀田兄弟の練習は協栄ジムに通って実施する
○「亀田スタイル」は世間一般の感情を越えてしまった点があった。検証していきたい。
○対戦相手など戦略はトレーナーが決めるが亀田兄弟に関しては会長も関与していく
などを説明したからだ。

そもそも騒動の原因は、『間違った亀田スタイルの確立』にある。
会見で興毅選手が「セコンドから(反則を)指示したときは頭が真っ白になっていた」と語っていたが「亀田一族の負けない伝説」をまだ実力が不十分なのに作ってしまったために「無効試合や試合続行不能(TKO)でもいいから敗戦という足跡を残したくない」という想いからの指示だろう。
『家族愛』をウリにしていたから「協栄ジム」に移籍しても「籍だけある状態」でボクシング界の常識やホンモノの指導者と閉ざされた環境で訓練を続けてしまった。
プロボクシングは「興行あってのプロ」だから興行主のジムとしては、メディアが盛り上がる亀田家が提案してメークしてきた「亀田スタイル」や「一連のパフォーマンス」、「対戦戦略(実績が不明な外国人選手)」を容認してきてしまったことが、騒動が大きくなった真の原因であると金平会長は認識しているのだろう。
「問題点の真の原因」を理解できている人は再発防止策を的確に実施する事ができる。
だから、「一応の決着がついた」と思うのだ。

大阪時代(グリーンツダ)と東京(協栄ジム)に移ってからの亀田家の変貌を「メディアの問題云々」とする人もいるが、あくまでもメディアは「亀田スタイルやパフォーマンス」を助長させた触媒に過ぎない。
この問題が社会問題にまでなってしまった真の原因は「亀田家を所属ジムが(キャラ作りなどを)管理しなかった(あるいはできなかった)こと」である。

話は変わるが芸能人は「いい人キャラ」でも「悪役キャラ」でも本人の素(す)の性格は抜きにして事務所やスタッフが大衆に受け入れられる「キャラ」作りを綿密な計画の下で管理している。世間の空気が変化したら敏感に反応して修正する。
しかし、亀田家は空気の変化を読めなかった、あるいは「それも亀田スタイル」として通してきた。「協栄ジム」に所属している以上、協栄ジム側がその辺をコントロールすべきであるができなかったのが真相だろう。

それにしてもこのブログでも再三指摘しているが、内藤-大毅戦に関しての問題原因はJBC(日本ボクシングコミッション)の判断ミスもある。
「なぜWBCルール規定されている「親子、兄弟セコンド禁止」を守れなかった」のだろうか。このことについてJBC事務局は反省と今後の方向性を語っていない。

多くの人は徐々に忘れてきてしまったけど、こうなると「朝青龍関」の謝罪会見はどうなるのだろう、と思う。
横綱はまだ「ケガで巡業を不参加したにも関わらずサッカーに興じてしまったことの説明謝罪会見」をしていない。
相撲協会(北の湖理事長)は協栄ジム金平会長のようにちゃんと問題の原因を究明することだでき、再発防止策を立てる事ができるのだろうか?と思ってしまうのである。
私たちは、組織のトップはまともな論理能力とリーダーシップがなければ組織をつぶしてしまうことを認識しなければならない。

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