今や上場企業の多くはISO9001やISO14001は当たり前のように取得している。
またはマネジメント規格の認証を取得せずともCSR(企業の社会的責任)レポートなどで製品やサービスの質の向上、業務に関わる環境負荷の低減、個人情報保護など情報資産の管理、社会との共生・調和、コーポレートガバナンス体制、リスク管理、コンプライアンスの徹底などに対する継続的な改善への取り組みを謳っている。
そういった取り組みをしている企業の社員の方と話したり、日常接していると「行動の中で意識して仕事をしているなぁ」と感じる。
例えば電子媒体を通じての情報(データ)ひとつのやり取りにしてもウイルスなど情報セキュリティの観点から気を遣った対応をしてくれる。
もちろん「堅苦しいなぁ」「たかだかデータひとつの受け渡しなのに煩わしいなぁ」と感じることもあるが、「今の時代そういう気遣いをする必要性や存在があることを知らない」人に比べれば「さすが大手企業さん」と思う。

ただ、ちょっと意地悪だけど「どうしてこういうルールなの」とか「そんなに硬いルールにしなくてもいいんじゃないの」的な質問(もちろん面と向かって質問するわけではないが)をすると「うちのルールで決まっておりまして・・・。。。」的な認識が多い。
まるで「官僚」ならぬ「民僚」ともいえるお役所チックな対応だなぁ、と内心苦笑してしまう。
もちろん外部の人にはそう答えておくのがラクという面もあるが「その企業がどうしてそういうルールにしたのか」という経緯までは興味を持って考えた事がある人は少ないように感じる。

ISOを導入している大手企業に勤務する管理職の人に「どうして御社はISOを導入しているんですか」と愚問にも近い質問をすると「大手企業にとって当たり前のことだから」「我々がやってきたことを認証で示したかったから」という回答が多いが、中には「トヨタのように改善提案が日常茶飯事で各従業員から挙がってくる企業体質にしたい」という声も多い。
さらに突っ込んで「ISO規格が要求していることは勉強会を開いたりする機会があるんですか」と問うと「うちの場合はISO事務局がある段階で“規格を理解するのは難しいから止めよう。自分たちのやっている事自体がISOなんだから自分たちのやっていることを理解すればいい”という考えになった」といわれるケースが多い。

「自分たちのやっていること」=「ISOで要求していること」は大企業に勤務する人からよく語られる理屈だ。
社員の階層(例:派遣社員、平社員、中間管理職、管理層、経営層)にもよるので一概には言えないが、「ISOを使った業務マネジメントシステムの改善」を目指すのであればその考えではマネジメントシステムを考える上で「考え漏れ」や「そもそも論」に不足が生じる可能性がある。
例えばスポーツ選手が「基本」や「型(かた)」といったものを基礎練習として初期の段階では身体にしみこませるように反復練習する。
その後、そこから自分の身体的・精神的特性にあったオリジナルの方法論を確立して成功を収める。
しかし、自分の調子が崩れたとき、あるいはこれでいいのか?と振り返るところは「基本」や「型」で、それと現在の自分を比較して崩れている部分、理にかなっていない部分を抽出し修正する。
「ISO規格を使っての業務改善」とはそのようなもので、スポーツで言う「基本や型」である。
だから「ISO規格は勉強しなくても自分たちがやっていることを理解すればいい」は誤りなのである。

ただ、スポーツの基本や形などを身に付ける基本練習が「つまらない」のと同じで一見無味乾燥なISO規格を読んでもつまらないし、第一「組織とは、仕事とはどうなって動いているの?どうあるべき?」という概念がない段階では規格の意図するところが頭に入らない(イメージできない)。
ISO規格を使うためのポイントは「どういう状態、どのタイミングで規格を勉強させるのが効果的でいいのか」ということにもなると思う。

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