愛知県警の任意の取調べや遺族への謝罪で、兄弟弟子のひとりが「死亡当日に金属バットで時太山を殴った」と供述し、親方も「死亡前日にビール瓶で顔を殴った」と説明しているそうだ。
時太山は父親の勧めのあり今年度になってから高校を中退して時津風部屋に入門した。
亡くなったのは名古屋場所前の6月26日に愛知県犬山市の時津風部屋の宿舎で、ぶつかり稽古をしている最中に体調不良を訴えて、病院に運ばれ、死亡が確認された。
時太山は亡くなる1週間前に「先輩力士が怖い」「稽古がつらい」と部屋を脱走していたが、両親が説得して部屋に連れ戻していたという。
ご両親は、当時時津風部屋の指導に信頼を寄せて息子を親方に預けていただろうから、遺体がアザだらけで、遺品には真っ二つに折られた携帯電話などがあったそうだから「無念」でならないだろう。
亡くなった原因と「しごき」の因果関係ははっきりしないが、相撲部屋の世界には伝統として「かわいがり」という特定の若手をしごく習慣がある。
その意味合いには、
○純粋に若手を鍛える
○盗みや脱走に対して制裁を加える
があり、今回のケースは後者に相当する。
「注意しても聞かない、理解できない」子供に対して体罰を加える方法は「教育方法のひとつ」として認識されている。
しかしその反面、人格否定や傷害事件という結果を引き起こすことも少なくない。
過去の有名な傷害事件としては「脳幹論」に基づいて困難な状況を作り出すことで心身が鍛えられるというスパルタ指導方法を取る「戸塚ヨットスクール」の例がある。
私の予想・想像では大相撲に限らず今後「伝統」「習慣」として「昔からやってきた方法がベスト」と信じ込んでいる世界では「事故」や「不祥事」が発生すると思う。
「伝統」「習慣」は「そのプロセスと結果がより良い方法」として思い込んで、現在の状況にマッチした方法を採用したり、以前からの手法を改善したりしないからだ。
あるプロセスを実施する際には、前提条件や変化する状況を把握し、考慮しなければ「同じ結果」は導かれない。
今回の体罰で言えば、懲罰的「かわいがり」で矯正効果があった当時と比較して、
○若者の心身がひ弱になった
○体罰を加える側がその加減をコントロールできない
という違いがある。
そこを理解していないと「愛のムチ」ではなく「単なるいじめ・暴行」となってしまう。
スポーツ科学や教育論は、昔は「常識」と思われた事が現代では完全否定されている。
例えば「練習中は水を取る(給水)な。水を取るとかえって疲れる」を実施し続けたら「脱水症状」になってしまう。
前提条件、変化した状況を考慮せずに「経験と勘」「伝統と習慣」に頼っている指導方法は「継続的な改善」を生まない。
大相撲の世界は閉鎖社会だから外的変化に乏しく、指導力不足を感じにくい。
幕内経験など一定の現役時代の成績を根拠に年寄名跡を取得でき、指導者(親方)と成れる現在の制度では力量不足の指導者が蔓延していくわけで、「事故や不祥事」はまた発生する可能性が高いと思う。
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