会合に出席したときに初対面の人には「コンサルタントの有賀です」と挨拶する。たいてい相手の人は「○○会社の△△です」と名刺を差し出してくる。私は独立して以来「自分の力で生きるしかない」と思わざるを得なくなったから、独立後は会社名を名乗ることは滅多になくなり「仕事名+個人名」になった。
「コンサルタントの有賀です」と相手は次に「何のコンサルタントですか?」と聞いてくる。
そのときは「ISOマネジメントシステムを利用した業務改善を専門にしています」と答えるようにしている。
話は少しずれるが、シニアツアーで活躍しているプロゴルファーの青木功氏は挨拶するときに「ゴルファーの青木です」というそうだ。あれだけの方であれば「青木です」で十分通じると思うが「ゴルファーの」を頭に必ずつける。
その姿勢には「ゴルファー」という誇りがあるのだろう。

話を元に戻すと「マネジメントシステムを利用した業務改善です」と挨拶した後は「具体的にはどんなことが専門ですか・・・?」と聞かれる方が殆どだ。
『専門のお仕事は?』といわれれば「経営改善、経営マネジメントシステム構築、マネジメントシステム監査、品質管理」と回答するのがいいのだろうけれどなかなか相手に通じないので「論理的な思考力や思考法を指導・助言しています」と答えるようにしている。

ある会合に出席したときのこと。
その会合では著名な大学教授の先生を知人に紹介してもらった。
その時の自己紹介も上記のような展開に案の定なった。
その先生は、その会合では「大先生」なので仕方がないが、ちょっと上から目線で話す話し方が鼻についていて気になっていが、せっかく紹介していただいたので自分の仕事や仕事に対する考え方を掻い摘んで紹介した。
すると「日本人の品格の著者の藤原正彦も言っているけど論理的であることは必ずしも正論じゃないんだよね」とか「論理よりも感覚・感性が大事になってきている」という言い方をなさる。
「あっ、この人話を聞いてなーい」と思った。

確かに藤原正彦先生は論理がすべてではない、と著書でいっているし、脳科学者の茂木健一郎先生も「最近の脳科学ではひらめきのメカニズムが研究されている」と言われている。
ただ、話の流れとして私は「中小企業の経営改善」や「管理職養成手法」として『論理的思考方法の指導をしているんです』と説明している。
つまりマネジメントの概念が確立して身に付いていない層に対して「仕事をする上でのさまざまな意思決定」すなわち、ものごとの見方・考え方はまずどのような思考プロセスで考えるべきかを説くのが自分の仕事です、と。
藤原先生や茂木先生の主張は、確かにその通りなのだが、著書を熟読すればわかるが「基本的なものごとについて筋道を立てて考える事ができる人」と言う前提があって、その上で「論理の出発点となる思想や信条が間違っていれば、その論理は論理的であっても正しくない」とか「さまざまな知識や多くの仕事を通じての経験が組み合わさって天才的なひらめきが出現する」と言っているのである。
つまり、「知識不足」や「仕事の経験不足」「筋道を立てた基本的な思考能力がない」「物事の道理(常識)がない」人(=論理的にものごとを見られない人)に藤原先生や茂木先生の話をあてはめても全く意味がない。

「上から目線の先生」はその後、自分の?(藤原&茂木主張?)「ご説」を延々と話されていた。
まったく、それまでの私の話の説明が読めていないKY(空気が読めない)な人だと思ったけど、その会合ではエライ先生なので黙ってニコニコ拝聴していた。
こういうKYな先生の話を自分に都合よく聞いた論理的思考力のない情緒的な感覚思考の人がまた、ロクでもないことを外で吹聴するのだろう。

世の中は情報が氾濫している。
「学識経験者・有識者」と言われる方の話はなんとなく都合よく切り取って聞き理解してしまう。
「どんな情報が正しくて、この話は一理あるけど、いくつかの疑問があるからゆっくり検討・検証して自分の考え方を確立していこう、という眼を持つこと」=「論理的思考」がやはり大事だと思うのである。

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