安倍総理といえば「空気が読めない」がいつの間にか代名詞になってしまった。
「空気を読む」をネットで検索していたら『40代以下の芸人がタモリ・さんま・所・鶴瓶を脅かせない一番の理由』というブログが話題になっているということを知り早速読んでみた。
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070907/J
そのブログによると、40代以下の芸人がイマイチな理由は、
○現在の若手お笑い芸人の間では、“空気を読む”という風潮がある
○元来、素人は空気を読めないもの
○空気が読めない素人からいかに面白いことを引き出せるかがプロの芸人司会者
○タモリや所ジョージの文化人いじり、さんま、鶴瓶の素人いじりがおもしろいのはプロの芸人司会者であるからということらしい。
併せて、若手芸人が勉強のために見るべき作品として桂三枝師匠が司会をする「新婚さんいらっしゃい」を挙げていた。
う~ん、確かに一理あるかも。
私はこの現象を違う側面で感じていた。
つまり「芸人のサラリーマン化」である。若手芸人の夢は「芸人名やコンビ名を冠にした番組を持つこと」である。しかし、冠番組を持った場合に視聴率や人気・話題性で「コケる」と芸人としての真価・力量がかえって深く評価されることになる。
政治の世界で言えば、安倍総理は総理にならなければ細く長く「名家出身政治家」として一目置かれる存在だっただろう。
つまり、「案外この芸人は庶民性がない」「ゲストに対する話の振り方が下手」「番組を仕切れない」などのマイナス評価がついてしまうことを恐れて、「ひな壇芸人」としてコンパクトにまとまっている(まとまろうとする)傾向があるのではないかと思う。
芸風のひとつにしている感もあるが「おぎやはぎ」が「目指しているところは4番手のポジション」と公言していることに象徴されるように、「出すぎず、目立ちすぎずに便利に使われやすいポジション」が多くの若手芸人(または芸能事務所)のスタンスになっているからだと思う。
そのスタンスは「息の長い芸人」として生き残っていけるための生活に知恵だからだろう。
しかし、この結果「文化人を含めた素人(ゲスト)を上手く料理できる芸人が育ってきていない」ことにつながっているのではないかと勝手に考えている。
このことを自分仕事である審査に置き換えて考えてみると、多くのシロウト(受審者)は「審査シロウト」である。
つまり「この場(審査の場)ではこう答えるほうがいい」とか「この言い方をすると(審査員に)誤解を与える」「このような言い方をしないと外部の人間には伝わらない」という「審査でどのように振舞うべき」という技術は、普通持ちえていないし、それが当たり前だ。
「ISO用語(マネジメント用語)で答えてくれなければ、審査にならない」と公言したり、思っている審査員がいるとしたら、その方がおかしい。
「審査シロウト」の考えや理屈を「適切に引き出して読み取る力量」が「真の審査員」なのだ。
審査員や審査登録機関によっては「規格要求事項に対応した規定や業務の対比表の提出」を事前に受審者に要求するケースもあるという。
確かに円滑な審査のためにはそういった事情もあるかもしれないが、基本は「審査側が実態として組織が規格に適合した考え方を有して業務を実施していることを読み取る」のが本筋だ。
さまざまな話し方や用語、認識で会話をする「審査シロウトの考えを引き出し、理解する能力」が審査員の力量なのだろう。
「お膳立てされた状況を味見する」のが審査員の仕事ではないのである。
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