日本テレビ恒例の「24時間テレビ」が今年も感動のフィナーレで終わった。
番組は今年で30周年。目玉は欽ちゃんこと萩本欽一さんの66歳にしての70キロマラソンだ。
欽ちゃんは好きだから、ついつい「感動のゴールシーン」は見てしまった。
それにしても、今年のマラソン走者が欽ちゃんに決まったときは驚いた。
番組が30周年だからテレビ局は超大物を招聘するしかなかったのだろうけれど、マラソン経験のない66歳の欽ちゃんに真夏の70キロはきついだろうなぁ、と。
結果として、欽ちゃんは番組の通常枠をオーバーして、次番組の「行列のできる法律相談所」の中で無事ゴールの日本武道館に足を引きずり、顔をしかめながら到着した。
とっても痛々しい姿だったけど、欽ちゃんの沿道で応援する方に対してちゃんと挨拶をして、そんな余裕は残っていないはずなのに、ファンの握手やタッチの求めに応じていた。
月並みだけど「欽ちゃんすごい!」と思った。
しかし、毎度のことだけど、番組を見ているとなんだか白々しいものを感じてしまう。
なんだろう?
たぶん、感動を「押し付けられている」演出の香りがぷんぷんするからなのだろう。
例えば、「欽ちゃん」と言えば、コント55号での相方の坂上二郎さん。
その坂上二郎さんは数年前に脳梗塞で倒れ、驚異的なリハビリで回復されたとはいえ、ろれつは回っていない。その二郎さんがスタートとゴールに登場した。確かにファンは欽ちゃんと二郎さんをセットでは見たいけど、私は往年の姿をリアルタイムで知っているだけにこれも痛々しい。
また、「中間発表でなんと約3億円以上もの寄付が集まりました!これも欽ちゃんのおかげです」と例によって徳光和夫アナが連呼していたけど、これもとっても白々しい。
確かに番組の力で何億ものお金が集まるのは素晴らしいけれど、制作側のテレビ局は40億円とも言われるスポンサー収入が入っている。
また出演したタレントさんはノーギャラじゃないから総額いくらの出演料が支払われているんだろう?と考えてしまうと「チャリティー番組といいながら、出演者には莫大なギャラが支払われているし、テレビ局も通常より多くの収入を得ている。結局は募金した人とテレビの前で感動を押し付けられた視聴者が踊らされているだけ。」と感じさせられてしまうから、なんだか「感動はするけど。。。」という視聴後感が残るのだろう。
例えば「出演料なし」、「過剰なお涙ちょうだい的演出なし」、「スポンサー収入は利益なしの制作費のみで残りはすべて募金」だったら番組の社会的な意義は大きい。
番組を視聴した後のこのすっきりしない感覚は「24時間利権」がぷんぷんするからなのだろう。
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番組は今年で30周年。目玉は欽ちゃんこと萩本欽一さんの66歳にしての70キロマラソンだ。
欽ちゃんは好きだから、ついつい「感動のゴールシーン」は見てしまった。
それにしても、今年のマラソン走者が欽ちゃんに決まったときは驚いた。
番組が30周年だからテレビ局は超大物を招聘するしかなかったのだろうけれど、マラソン経験のない66歳の欽ちゃんに真夏の70キロはきついだろうなぁ、と。
結果として、欽ちゃんは番組の通常枠をオーバーして、次番組の「行列のできる法律相談所」の中で無事ゴールの日本武道館に足を引きずり、顔をしかめながら到着した。
とっても痛々しい姿だったけど、欽ちゃんの沿道で応援する方に対してちゃんと挨拶をして、そんな余裕は残っていないはずなのに、ファンの握手やタッチの求めに応じていた。
月並みだけど「欽ちゃんすごい!」と思った。
しかし、毎度のことだけど、番組を見ているとなんだか白々しいものを感じてしまう。
なんだろう?
たぶん、感動を「押し付けられている」演出の香りがぷんぷんするからなのだろう。
例えば、「欽ちゃん」と言えば、コント55号での相方の坂上二郎さん。
その坂上二郎さんは数年前に脳梗塞で倒れ、驚異的なリハビリで回復されたとはいえ、ろれつは回っていない。その二郎さんがスタートとゴールに登場した。確かにファンは欽ちゃんと二郎さんをセットでは見たいけど、私は往年の姿をリアルタイムで知っているだけにこれも痛々しい。
また、「中間発表でなんと約3億円以上もの寄付が集まりました!これも欽ちゃんのおかげです」と例によって徳光和夫アナが連呼していたけど、これもとっても白々しい。
確かに番組の力で何億ものお金が集まるのは素晴らしいけれど、制作側のテレビ局は40億円とも言われるスポンサー収入が入っている。
また出演したタレントさんはノーギャラじゃないから総額いくらの出演料が支払われているんだろう?と考えてしまうと「チャリティー番組といいながら、出演者には莫大なギャラが支払われているし、テレビ局も通常より多くの収入を得ている。結局は募金した人とテレビの前で感動を押し付けられた視聴者が踊らされているだけ。」と感じさせられてしまうから、なんだか「感動はするけど。。。」という視聴後感が残るのだろう。
例えば「出演料なし」、「過剰なお涙ちょうだい的演出なし」、「スポンサー収入は利益なしの制作費のみで残りはすべて募金」だったら番組の社会的な意義は大きい。
番組を視聴した後のこのすっきりしない感覚は「24時間利権」がぷんぷんするからなのだろう。
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