朝青龍関のこれまで話題になった「不祥事」の概要を整理してみる。
○懸賞金を受け取るとき左手で手刀を切る(土俵上の礼儀・作法の問題)
○病気を理由に稽古総見を休む
○先代高砂親方の葬儀を欠席しモンゴルに帰国
○旭鷲山のマゲを掴み反則負け
○旭鷲山の車のサイドミラーを反則負けの腹いせに破壊(後に弁償)
○貴乃花に負けた際に花道で「畜生!」と叫び、支度部屋で「(怪我の)足を蹴っ飛ばしておけばよかった」と発言
○出稽古で朝青龍が豊ノ島にプロレス技をかける
○腰の骨の疲労骨折が発見され全治6週間と医師に診断され、夏巡業の休場を決めモンゴルに帰国したが、サッカーイベントに参加
⇒2007年8月1日に、一連の騒動に対して日本相撲協会が、朝青龍関に対し、9月場所・11月場所への出場停止、11月場所千秋楽までの謹慎、および30%の減俸(4ヶ月間)の処分を発表。
謹慎後、師匠の高砂親方が記者会見で「朝青龍は憔悴している」と発表し、朝青龍の知人の医師の診断で「急性ストレス障害」と診断された。
「知人の医師」の診断では「怪しい」と思ったのか相撲協会が指定する吉田精神科医の診断を受け、知人の医師同様「急性ストレス障害で治療、療養が必要」と診断された。
この診断を受け、報道では「モンゴルへの帰国・療養か?!」の流れになっている。
しかし『謹慎』とはそもそも『言動や行動を反省し、つつしみ、表に出ることを控えて猛省すること』ではないのだろうか。
モンゴルに帰国したら師匠の高砂親方や日本相撲協会の管理の眼は届かなくなる。
そもそも「反省すべき行いをしてしまい、謹慎処分を受け、精神的なショックを受ける」ことは当たり前で、「その状況を自ら律し、自問自答しながら苦悩し、反省することで自己を取り戻すこと」が『謹慎』の意図でもあると思う。
仮に、「精神的な療養をしながら謹慎する必要がある」とするならば「師匠や相撲協会の眼の届く日本国内でモンゴルに帰国した家族を呼び寄せて療養」すべきであろう。
「朝青龍に好意的で相撲協会の処分に疑問を呈しているモンゴル国内」では、精神的に甘やかされるだけで、猛省できるわけがない。
「謹慎」の意図を我々は再考する必要があると思う。
ちなみに、朝青龍関の悪い面ばかりを並べてしまったが、朝青龍関は母校明徳義塾高校へモンゴルのこどもを留学させるための「朝青龍明徳教育基金」など社会貢献を実行した、本割で負けた相手に闘志をむき出しに稽古に励むなど評価されるふるまいも多い。
もうひとつちなみに、「朝青龍の知人の医師」とされた本田昌毅氏であるが、報道では「精神科医」としているところもあったが、有名な美容形成外科であることを付け加えておきたい。http://www.honda-htc.com/
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