例えば、「今まで川魚をいろいろと調理してみたがまずい」と思っている人に「調理方法によっては美味しいんですよ」といくら口で説明しても通じない。
「美味しく調理された川魚をとにかく食べてもらう」ことによって「調理方法の工夫によっては美味くもなるんだなぁ」ということを体験して知ってもらわないと、「自分なりにはそれなりに努力して料理しているけどまずい」または「どのように調理してもまずい」と思っている人には「調理方法を工夫したり改善すると川魚も美味しく食べられる」という概念はいつまでも持つことは出来ないだろう。

上記の例えでいえば、能力のある会社や工夫をすることによって「マネジメントシステムは経営に活用できる」という体験があるところは「審査で気づきや学び」を得ることは出来る。
しかし、そうでない会社は「何らかの方法で、工夫次第ではマネジメントシステムは経営に活用できるし役立つという気づきや学び」を体感しなければ「審査で気づきや学びを得ること」はまず無理である。
「マネジメントシステムは使えると言う体感」は日常業務の中の工夫・改善やコンサルタントによる指導の中で体感することが王道ではあるし、正攻法ではあるが「会社にそういった視点でモノを見る力」や「継続的なコンサルティング費用を掛けることが困難」な会社では「王道または正攻法な方法」では現実的には難しい。

そのような場合「川魚は美味く調理する事が出来るから、川魚を敬遠しないで欲しい」と願う人(マネジメントシステム審査員)はなんとかして、川魚は使えるまたは工夫して使ってみようという気にさせるための努力をする。
つまり何が言いたいのかと言うと審査を通じて「気づかせたい、学びを得て欲しい」と審査側が願っても「一つ目の足がかり(使えると言う体感)」がないとそれは困難なので「くだけた審査が時として必要」になると思う。
誤解を恐れずに言えば、もちろん「監査の目的」から言えば「指導、助言を目的とすること」はご法度であるが、「マネジメントシステムを活かすための足がかりとなる気づきや学びを得てもらうことを目的とした審査方法」であるならば、表現としては「指導、助言に映る」ものがあるのも現実ではないか、と長年の業務経験から思うのだ。
(つづく)

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