夏や春に甲子園で開催される高校野球選手権大会をテレビで見ていると「試合をするごとに強くなるチーム」が必ずある。
甲子園での大会の模様は全国放送されるから、その注目度の高さから周囲や本人たちの認識や自覚が否応無く向上していくのだろう。
高校野球の試合特性である「負けたらそこで終わり」というトーナメントシステムもそのムードを盛り上げるひとつの要因になっているに違いない。

話は全然変わるが、マネジメントシステム監査を通じて「審査の中で受審企業の認識や自覚があるきっかけでガラッと変わる」ことを感じる瞬間が案外ある。
そう言った受審企業の認識が「ガラッと変わる」「眼からうろこが落ちる」「気づきが生まれる」という瞬間に立ち会える事があったときは「審査を通じての仕事の喜び」を感じる。
こういうときは、得てして審査を受けている相手も同じような感覚を持っている事がある。
まさに「相互浸透」している状態である。

ただ、正直な話、「審査を通じてガラッと気づきや学びを得る事が出来る」というイメージがもともとある受審企業は、淡々と審査(注1)をしていても「受審企業の方が審査の進展に応じて勝手に自家発電・自動発火」してくれる。
注1:ISO19001に従った審査、あるいは、JABが「審査方法に適合性がある」と評価するような審査。

問題は、「審査を通じてガラッと気づきや学びを得る事が出来る」ということを聞いてはいるが、『実際、何度か審査を受審しても現状との不整合性を指摘されるばかりで、システムの見直しとは現状への後追い作業ぐらいしか体感していない企業』である。
こういった企業では前記したような「規定された所定の工数で、淡々とした審査の適合性の観点からみれば模範的な審査」をいくら立派に、何十回、あるいは何十年も実施したところで「審査を通じての真の気づき、学び、認識がガラッと変わる」はまず体感する事が出来ないだろう。

「たまごが先かにわとりが先か」と同じで、こうした企業が「マネジメント審査制度を活用しての成長」があるとしたら「所定工数内でのいわゆる審査の適合性の観点から見た模範的審査を若干逸脱した審査を通じて、審査を通じて学びや気づき、認識がガラッと変わる、目からうろこ」的な体験をしてもらわないといつまでたっても「宿便がたまった便秘」的な面持ちでマネジメントシステム監査の時間をやり過ごすことになるだろう。
(つづく)

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