通常国会が閉幕して7/29投票の参院選挙モードに各党は入ったようだ。
8日日曜日の朝の各局の報道番組も各党党首が揃って出演されていた。
テレビはつけっ放しにして「ながら作業」していたから真剣に聞いていたわけじゃなかったけど、せっかく各党党首が勢ぞろいしているのに、各党党首は案外「論客」ではないので議論は白熱していなかった気がする。
例えば、自民党なら舛添参院政策審議会長、民主党なら菅代表代行、公明党なら北側幹事長、社民党なら又市幹事長、国民新党なら亀井代表代行が参加していたらもっとディベートになった気がする。(もちろん、司会者がうまく仕切らないと収拾がつかなくなる恐れもあるが)

討論会を見ているとつくづく民主党の小沢代表は「裏工作向き」の政治家だと思う。
政治の世界を劇場型にしてはいけないけど、党の離合集散が激しかった90年代のような時代の「裏舞台」を仕切るのが向いている。
共産党の志位委員長は主張の内容は抜きにして主張の仕方はうまい。
「共産党」というだけで毛嫌いして主張をまともに聞こうともしない政治家や視聴者が多いように思うが「話の論理展開」を観察していると理路整然としていることが多い。
昨日の討論番組で言えば年金問題を司会者に問われたときも「党利党略ではなく超党派で国民のために対策をとるべき・・・」と各党が自説の優位性のみを主張する中にあっては一番我々にとってまともなことを言っていた。
新党日本の田中代表は1人で論を展開している時は「なるほど」感がとってもあるが、キャラクターの濃い政治家の中に入ってしまうとなんだか霞んでいた。

それはともかく、昨日は民主党幹部の菅代表代行、鳩山幹事長、渡部恒三最高顧問が各講演会場で「参院選で自民党の過半数割れを達成できなかったら辞任(引退)する」と決意を表明していた。
将来の政権交代を目指す党の幹部としては当然の決意だと思う。
我々国民は、05年の郵政解散で自民党が圧勝して以来「数の論理」でまともな議論が国会でなされずにどんどん法案が決まっていく現状を見続けてきたので、まずは参院における「数の論理のみがまかり通る現状の打破」がなければ野党第一党の幹部として責任を取るのは当然だろう。
本来「参議院は党派を超えての議論や票決」をして欲しいと思う。

それにしても、リクルート事件や佐川急便事件で国民の政治不信が頂点に達し、93年に55年体制が崩壊し、アメリカ型2大政党制に日本も移行するかと思われたが、なかなかそうならない。
今では政治不信を通り越して「どうせ変わらないんでしょ」「好きにやってよ」という政治的無関心、虚無感さえ国民に漂っている。
個人的には、1983年から参議院に「比例代表制」という「政党基盤」の概念が持ち込まれてから変になった気がする。
参議院は、
・無所属で選挙戦を戦う
・議員個人が自由に院内会派を組む
・党議拘束を掛けないで票決する
が大原則だと思う。
そうでなければ参議院は「良識の府」ではなく「長いものに巻かれ仕方なく衆院の結論に同調する府」に成り下がってしまう。

このブログでは「政治ネタ」「宗教ネタ」を扱うと「言いたい事の真意」が伝わりにくく誤解を招きやすいのであまり書かない方針なのであるが、歴史を振り返ると「知らず知らずのうちに誰かにとって都合の良い社会システム」にいつの間にか作りかえられている気がする。
だからこそ「ものごとの本質を読み解く力」が必要なのだと思う。

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