『目標』の意味を辞書で調べると「行動を進めるにあたって、実現、達成を目指す水準」と定義されている。
「真っ当な組織」や「真っ当な仕事をしている人」と評価される人には明文化しているか否かは別にして、「目指すものごとの方向=方針」は明確である。

「目指すものごとの方向」を決めても、それを実現、達成するための段階(ステップ)はある。その方針の達成を何年スパンで考えるのかは別にして、方針を着実に達成するためにはいくつかのステップを計画することになる。
ステップを設定したら、そこに「目標」という概念が入ってくる。
仮に、目標を設定しないとすると、ある行動を進めた結果が「一定の成功を収めたのか」または「失敗だったのか」がわからない。
また「結果論」は「成功」「失敗」と表面的には結論付けられてもその行動を進めるにあたったプロセスに反省材料や改善事項がなかったかどうか評価できない。

ちなみに、一般論として目標や目標を達成するためのプロセスを設定する場合は「得意な部分をさらに伸ばす」「弱点の補強」「追い風を見極めてそこに資源を集中的に投入する」「脅威に対する備えをうつ」など、今までのデータや現状のデータより、より具体的な効果的な行動計画を立てることが必要だ。
「力を合わせて頑張ります」「全員一丸となって全力投球します」ということでは単なる「お題目」に成りかねないから、なかなか目標達成はおぼつかない。
なお『目標を明確にしない』ということは「目標」または「目標に至るまでのプロセス」について振り返ることが出来ない。これは「成功であっても、失敗であっても今回の行動についてはそれらを問わない」ということとイコールである。

7月5日に閉幕した165回通常国会後の記者会見で安倍首相(自民党総裁)は「党首のリーダーシップ、信頼性を問うのは当然だ」と強調しながらも、「戦う前に負けることを前提に話す気はない。結果は真っ白な気持ちで待ちたい」と述べ「勝敗ライン」を明確に示さなかった。
またこの発言を受けたせいか、ここ数日のテレビ番組に自民党幹部が出演して参院選の勝敗ラインを司会者に問われると「全選挙区で当選」であったり「勝敗ラインは設けません」「政治は生き物、戦ってみないとわかりません」と目標ではなく「理想」や質問を煙(けむ)に巻いた回答が多いように思う。
そりゃ、たとえば、警察庁長官に「今年の交通事故死者数はどのぐらいを目指したいですか?」と問われれば「交通事故での死亡事故ゼロです」と理想は誰が長官でも言うだろう。しかしそんな発言をすれば「死亡事故を減らす優先順位や対策が不明確」であるし、「長官としての責任回避」であることは冷静に考えればすぐにわかる。
自民党幹部の言葉巧みなこういった発言だけを捉えると「それも一理あるよな」と思ってしまいがちだが、このたとえ話と本質的には一緒だと思う。
つまり、基本的には「参院選挙後に首相(総裁)や内閣、党執行部の行動体制のミスや責任問題に言及したくない」ということが裏にあるのだろう。
参院選挙の勝敗ラインを明確にしなければ、結果論から勝手に「まずまずの結果だった」「責任を問うほどの国民からの信頼が揺らいだわけではない」ということが出来るからだ。

年金問題にしても、税金問題にしても、教育問題にしても、ホント、言葉巧みな人たちの真意を捉えていないと気が付かないうちに「為政者」にとって都合のよいシステムにどんどんなっていく。
為政者は基本的には利己主義だ。「国益のため」「日本の将来のため」と思って行動している人は数えるほどの人しかいない、と思って政治家の行動を眺め、「真意」を考察していた方がいいのかもしれない。

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