時間が経ってしまったが、6/26~28に行われた光母子殺害事件の集中審理後の記者会見で遺族の本村洋さんが語った「聞くに堪えない3日間だった」はすべてを象徴している言葉だと思う。
被告人は、1審、2審の検察側起訴事実をこの差し戻し審理ではが全面否認した。
遺族からすれば「この7年間はなんだったのか?」「殺害理由は我田引水で殺害された2人の命に対する尊厳のかけらもない」否認内容だからだ。

また、被告人が今回主張した殺人の背景は冷静に見ても荒唐無稽なストリーのように思える。
代表的な発言が、
・絞殺した長女夕夏ちゃんを押入れに隠した
→ドラえもんが何とかしてくれる
・絞殺した妻弥生さんを姦淫した
→昔読んだ本で死者に精子を注入すれば復活する
である。
当時18歳の被告人を馬鹿にするわけではないが、被告人の生活習慣、知的レベルから想像して、藤子不二雄氏の「ドラえもん」はともかく、山田風太郎氏の「魔界転生」を読むはずがない。裁判官が「ストリーを話してみてください」と質問したのは当然だと思う。

メディアでも言われているように今回の再審は「事件の真相を明らかにすること」よりも少年法や永山基準の見直し(強化)を阻止し、死刑廃止論を世間に展開していくことに目的があると思う。
この事件に対する世間感情や事件性からすると「少なくとも被告人を社会に2度と復帰させないこと」は社会的な正義であると思う。しかし、そうなると現在の法律では「死刑」しかない。
「無期懲役」では現状、模範囚であれば10数年で出所する。
「一生社会復帰できない終身刑」が日本の刑事罰にはなく、判決結果が、「死刑」か「将来社会復帰する無期懲役」しかないことが、この弁護団の荒唐無稽な弁護方針、法定戦術、ストーリーを作らせたのではないだろうか。
弁護団からすれば、この判例をもって少年法や死刑とする事実上の「永山基準」が強化されることは避けたい気持はわかる。
しかし、遺族(本村さん)の心情はどうなるのだろう。
法曹家として、果たして、むちゃくちゃなストーリーで検察側起訴事実と真っ向勝負するしかなかったのだろうか?

語弊があるかもしれないが、例えば民事の企業法務は若干法廷闘争に「スポーツの勝ち負けのようなゲーム性」がある部分があっても仕方がない気がする。結果が損得勘定になるから、原告・被告双方が、自分たちがどう考えた結果なのか法廷で理屈を主張し合うのもわかる。
しかし、刑事事件は「勝ち負け」よりも「罪に対する反省」がまずは最初の出発点であるはずだと思う。
そうでなければ、弁護士は「被告人利益のためだけに屁理屈を述べ裁判に勝つこと」が役割になってしまい、社会正義を守り、社会の要請に応えるといった本来の弁護士の役割を果たしていないと思う。
もちろん、少年法や永山基準がこの判決を旗印に、今後いたずらに強化されることも問題はある。
しかし、仮にこの裁判で弁護団の主張が通ってしまったら、社会的秩序や事件の真実を解明し真に悔い改めることよりも、世の中すべてが「言ったもん勝ち」「言わなきゃ損損」的な自分勝手な風潮がさらに助長されていってしまう気がする。

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