私は「××の主義なんです」といわれると、寂しくなってしまうことがある。
もちろん、その時の状況や相手からのフォローの言葉で救われるときもあるが、なんだかその時はバツが悪い。

よくあるパターンは知人を和食の料理店に連れて行ってその中の一人が「私は生ものを食べない主義なんです」といわれるようなケースだ。
接待する側である場合は、こちらのリサーチ不足であり、相手を不快な気持ちにさせて本当に申し訳ない限りだが、なんだかバツが悪いし、寂しい。
「てんぷらをいただいてもよろしいでしょうか」とかフォローがあると救われる。

似たようなパターンでは「お土産」がある。
お客さんのところに訪問するときに、菓子折りをちょっとした寸志のつもりで持っていくと「糖尿病なんでお菓子は食べられないんです」とか「贈答品は一切受け取らない主義なんです」といわれるケースだ。
相手からすれば「私に渡されてもゴミにするだけだから、もったいないし、他の方に差し上げてください」や「そういう決まりにしているから」という想いだろうし、渡した側も「配慮が足りなかった」「そういう事情なら仕方がないか」と頭の中では理解できても、どうも虚無感がある。

バレンタインデーの時にテレビで「女性が何個ぐらい男性にプレゼントし、いくらぐらい費用を掛けるか」という特集をやっていたときに、女性司会者が「私はバレンタインデーにチョコレートを送らない主義なので一切そういったことは考えたことがないですね」としゃべっていたのを見て、引いてしまった事がある。
それまでは、比較的好感を持って視聴していたが、なんだかそれ以来、その番組からチャンネルが遠のいてしまった。
「渡さない主義」は信条だからその考え自体は頭では理解できるが、なんだか感情的なところで寂しく感じた。

同じく報道番組で「早食い(大食い)チャンピオン」の話題が出たときに司会者が「私には理解できない」「真似しようとする子供が出て悪影響がある」「食糧事情に不自由な人もいるのに・・・」というようなコメントをしていた。
この司会者は、はっきりモノをいうトークがウリの人だし、あくまでも「視聴者を代弁したひとつの意見」だから「そういう考えもあるよな」と流してテレビを見ていればいいのだけど、チャンピオンになっている人は早食いを「スポーツ」として捉えて身体を常に鍛えたストイックな生活をしている。
そういった努力に対しては「賛同はせずとも理解があってもいいのではないか」とそのときは思った。

自分の出来事では、今年になって全国出版扱いの本を2冊上梓したので新聞社、雑誌社などに献本した。
時間を費やし、魂をこめて(ちょっと大袈裟か(笑))原稿を書いたのだからもちろん、世の中に伝えたい主張がある。
しかし中には数件の「受け取り拒否」で返送されてきたケースがあった。
もちろん、こちらが勝手に送っているから無理矢理「読め!」というのは失礼だし、ゴミ箱直行よりは「開封せずに返送」される方が返送やそういった趣旨のお手紙などの手間を掛けさせているし、資源を無駄にしないという観点から誠実な対応かもしれない。
返送する側の感覚や想いとしては街頭で配布されているビラを「どうせ捨てちゃうんだからもったいない」と受け取らないのと似ているのかもしれない。
ちなみに、ワタミの渡邉美樹社長、ペッパーランチの一瀬社長からは直筆のお手紙を頂戴した。
渡邉社長は教育再生会議やコムスン事業の譲渡、一瀬社長は社員の不祥事でご多忙だと思われるのでで恐縮してしまった。

「××主義です」というのは相手の想いや事情、こちらがそれを配慮できなかった点など反省材料も多いし、理屈では理解できるのだが、感情的にはなんだか寂しいときがある。
そんなことをいちいち気にしていたら世の中、図太く生きられないのかもしれないけれど。

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