この本は2007年の1月に発表されたが、発売当時から多くのメディアが取り上げていた。
たぶん現在は10刷近くまで版を重ねているのではないだろうか。
しかし、アマゾンなどで読者のレビューを読むと評価は完全に2分する。
「よくぞ書いてくれました」という絶賛評価が多くある一方、「これは世間知らずの大学教授が書いたトンデモ本のひとつ」と酷評するものもたくさんある。
去年話題になった大学教授が書いた本で名古屋大学大学院教授の速水俊彦氏の「他人を見下す若者たち」も評価が確か完全に2分されていた。
この本では、「馬鹿ばっかり」 「オレのことをわからない上司は馬鹿だ」「あんな会社働く気はない」等々、自分自身を棚に挙げ人を見下す。自分を大きく見せたくて、見下すことで安心感を得る。そんなことを「仮想的有能感」といい自分自身に自信がないことの裏返し的な反応なのだと説いている。
酷評しているのはもちろん、若い世代が多いらしい。
「下流志向」に話を戻すと、大学の卒業単位の「単位」という概念はアメリカの工場労働者の概念から来ていると書かれていた。
つまり月曜から金曜までの労働時間が8時間×5日、土曜日が5時間で併せて45時間が1単位という概念になるそうだ。
大学の卒業単位は文科省が124単位と定めているが、その1単位は45時間に相当する。
ただ、現実と相当違うのは1単位の授業時間は15時間。残りの30時間は予習復習で各1時間という考え方になっているそうだ。
しかし学生時代を思い起こせばわかるように中学や高校までの学習と違って大学の授業時間以外に予習復習している学生は皆無であろう。
せいぜいテスト前かレポート提出前に学習するぐらいだからその時間を約7~8時間と見積もって、ようやく1単位と定義されている45時間の半分(22~23時間)のぐらいだろう。
しかも大学の場合は90分授業半期15週で2単位とカウントしている。
2単位は120分授業半期15週でなければならないはずだからすごい水増しだ。
よく「欧米の大学は入学してからが大変だ」と言われるが、毎日授業が3コマあるとすれば、日本の大学の単位の概念でも予習復習で3時間(90分×2)×3コマで9時間学習しなければ単位は取得できないことになる。
とてもアルバイトや部活動、イベントやサークル活動に興じている時間はない。
いくら底辺校といわれる大学でもこのぐらい学習すれば「大卒(学士号取得者)」として世間から信頼される「教養」は身に付きそうだ。
海外で仕事をしていると一番感じるのは「大学を卒業している人」の教養の高さだ。
日本人だと大卒でもアメリカ大統領やイギリス首相を5代前まで遡って答えられる人は殆どいないと思うが、海外の大卒者と話していると日本の政治や文化のことをよく知っている。
彼らと話しているとこちらが恥ずかしくなって、帰国してからわからなかったことを調べてみたくなる。
私も含めて多くの学生は「単位が取得できる」ことを期末試験で一定の基準をクリアすることと思っている。
しかし、期末試験は短期的かつ一過性の習熟度を見る目安であって「本来の単位取得条件」ではない。
単位の概念から考えれば「単位取得条件」は、授業の3倍相当の学習を積んだ履歴なのだ。
「えっ、それじゃ習熟度合いとは相関しないのでは」といわれる方もいるだろうけど、専門学校のように資格取得を授業の目的とする場合を除き、大学授業の習熟度合いなんて試験で測れるものではない。
大学の授業を通してそのテーマについて授業中の不明確な知識を補充し、考えを巡らし、学友と議論する時間が大事なのであって、その効果(習熟)は将来効いてくるものだ。
話はちょっとずれるが、「大学教育を通じて生み出される成果物」を「学生の習熟レベル」として考えると変なことになると思う。
大学側は、授業時間の3倍程度の学習が必要な場を作り、それを確認することが一義的には必要なのだろう。
何十年も変わらぬ講義ノートで講義し、何十年も変わらない期末試験をするだけでは1単位の価値はさらに下落していくのだろう。
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