「くまぇり」こと連続放火犯の平田恵里香被告が懲役10年の有罪判決を受けた。
裁判長は判決文で「放火を楽しく感じエスカレートさせており、動機も短絡的で自己中心的。地域住民に精神的な苦痛を与えた」などと指摘した。
判決文を聞いた平田被告は「はい」と小さく表情を変えずに返事をしたそうだ。
平田被告は1月に警察署の留置所内のトイレで首つり自殺を図った。
面談した父親は「精神的に追い詰められており、生気がなく、ろう人形のようだった」と話していたという。

この事件から「リアリティとバーチャルな世界を区別できない人が増えた」と多くのニュースコメンテイターはいう。
もちろん、漫画やアニメの非現実世界と現実がごっちゃになっていると言うこともあるだろう。
しかし、変な話、精神的に追い詰められている時は普通の人であっても、不眠症になり、心に重く圧し掛かっている精神的重圧感で「これは現実なのか非現実なのか」と錯乱することがある。

私は平田被告の思考回路を「リアリティとバーチャルな世界の区別がつかない」こともあるが、もっと顕著な特徴は「いくつかの並列するものごとをロジカルに思考する能力に欠けていた」と思うのである。
つまり「あることに対してAとBの選択肢がある。しかしAを選択するとBは後々不可能になる。だからBを選択してCになるよう理性で自分を律しよう」というように考えることができなかったのではないだろうか。
別の言い方をすれば「場当たり主義」、「次に起こる事態が想像できない」と言うことになる。

このような思考回路であると、身近な興味あることにのめり込んでいってしまう。
タトゥに興味があれば、タトゥを入れるし、熊田曜子似に整形すれば回りからかわいくなりちやほやされると考えれば整形を実行し、ブログでヌードを公開すれば人気が出ると思えばそれも実行し、放火してそれをブログの記事にすれば自分が注目を浴びることができると考えれば犯罪まで実行する。
しかし「芸能界でアイドルになりたい」を将来の目標と考えているのならば、すべて後々マイナスになることでしかない。

このような思考回路は、反社会的な行動を犯していないときは、時として「天真爛漫」、「天然がはいっている」と言われて、ある意味愛嬌があるのかもしれない。
しかし昨年の「事件の容疑者」を見ているとこの思考回路のタイプが多いように思う。
2児童殺害の畠山鈴香被告も、報道での多くのコメンテイターや識者は当初、鈴香容疑者を「知能犯」的な扱いで分析していたけど、たぶん、もっと単純で、「後先の事態が読めない衝動的」な犯行だと思う。
テレビだと表現も制限されるのでいいにくそうであるが、要は「あたまの弱い人の事件」だと思う。

「ものごとを論理的に見る力」、つまりフローチャート思考は、日常の出来事に対して、「何故だろう」、「どうしてだろう」、「どうなるのだろう」という意識を常にもって考えることだと思う。
「難しいことを考えるのは嫌だ」と頭を抱え込み意識的に避ける人も多いが、日常からものごとをそのように習慣化して見ていれば何も難しいことではない。
「何事も単純化してシンプルに考えるのがいいことだ」と世俗受けすることを喧伝する人も多いが、論理的に思考できない人がそれを都合のいいように皮相的に誤解して捉えてしまうのであればどうかと思う。
「シンプル思考」の本質は「難しい事象を単純化したモデルにして考える」ことにあるだけのことである。
もちろん、無理に小難しく考える必要は無いが、脳みそのシワが増え、脳みそが汗をかくぐらいものごとを考え抜く日常の習慣が誰にも必要だと思う。

そうでないと、自分が責任を持つ仕事に対しても目先の関心に捉われて本質を見失い、問題に対する反省が欠けて再発を誘発してしまうのではないだろうか。
したがって再発防止戦略の最大の鍵は一人ひとりの「論理能力向上」にある。

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