現代社会ではさまざまな価値観があることを理解しては許容することが重要だ、とよく言われる。
それは民主主義の原則としては、多様な価値観が共存することを目指しているからだ。

私も「多様な価値観が共存すること」は重要だと思う。
それは「人は理解しにくい価値観があると、人の性質としてその概念を無意識に違和感のあるものとして受けれなくなる」、つまり聞く耳を持たなくなり、聞く耳を持たなくなるとその人を排除し、嫌悪感や憎悪を懐くようになり暮しにくい社会になると思うからだ。

「価値観が同じ、または似ているほうが居心地がよくないですか?」という人もいるかもしれない。
確かに、ことば足らずで、多くを語らずとも相手のことが理解しあえるから、何かを伝えるにしても説明が面倒くさくないし、精神的には楽だろう。
ただ、ある価値観に支配されると、先に述べたようにその価値観と異なる情報があった場合無意識に遮断するから、新しい発想や概念を創ることや新たな価値を創造すること、そのものの性質や程度がいいのか悪いのか、またそれは何故なのか、要は考える能力が低下すると思う。
考える能力が低下すると、判断力も低下するから人間としての成長も落ちていく。

しかし、現実には家庭生活などプライベートにおいては価値観は似ているほうが長続きするかもしれない。
社会に出ているときは、自分を成長させるために「多様な価値観」が理解できる土壌を養うために戦う必要があると思うが、24時間まるまるその状態はやはり疲れてしまうと思う。

ただ、価値観は似ていても、「価値」は違っていいと思う。
ここでいう「価値観」と「価値」は、
価値観:人間にとって何が重要なのか
価値:ものごとの持つ重要な性質の程度
を指すが、日々の生活の中で重要な性質の程度はケースバイケースで調整されるべきものであると思う。
相手が弱っている時、元気な時、悩みがあるとき、気分がハイな時、自分がいっぱいいっぱいの時、立場が悪く苦しい時などその時の状況によって価値は違ってくる。

話は少し変わるが、あるインターネット恋愛・結婚サーチの「結婚観調査」によると結婚相手選びで重視する条件のベスト3は、「性格」、「価値観」、「愛情」だそうだ。
これをより解析すると「三低」(低姿勢、低リスク、低依存)、または「三手」(「手伝う(家事)、手を取り合う(理解と協力)、手をつなぐ(愛情)」)になるのだそうだ。

バブルの頃は「三高」(高収入・高学歴・高身長)といわれたからその判断は比較的わかりやすい。
しかし「三低」にしても「三手」にしてもその中身は抽象的だから、相手の価値観を真に理解して結果として自分の理想になっていることが必要だ。
日頃からさまざまなものを見聞きしてさまざまな事象を判断する能力、つまり構造に分け入る力を鍛えておくことが大切なのだろう。

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