街を歩く人を眺めているとポケットに手を突っ込んで歩いている人がかなり多い。
消費者金融、英会話教室、カラオケ屋、コンタクトレンズ屋が街でちらしやティッシュを配っている業種のベスト4ではないかと思うが、冬はポケットに手を入れている人が多いので、その手をポケットから出させるのに苦戦しているのではないだろうか。
冬は手がかじかむからポケットにどうしても手が入ってしまいがちであるが、私はどうも心理的抵抗があって、少なくとも歩いている時はその手を出してしまう。
「抵抗」の理由は、工場現場や冬場の北国ではやってはいけない行為だからだ。
工場や路面がつるつるした北国で歩いている時にポケットに手を突っ込んでいたら、めちゃくちゃに危険が高い。
社会人になったときに新人研修で、とある製造工場を見学する機会があったが、その時に同僚がポケットに手を入れていて工場の案内役の人に、ガッツリと怒られていた。
その時の光景が今でも忘れられない。
寒かったり、クセで手をポケットに入れてしまいがちだが、あの時のことを思い出して思いとどまる。
しかし、「ポケットに手をいれない」はとっても理にかなったことである。
少し考えればよくわかることであるが、転んだ時に咄嗟に手が出ないから、怪我をする可能性が高い。
以前、中国から来た研修生を指導する機会があったが、このときもこのことだけは徹底させた。
この研修生を取引先関係の工場に見学に連れて行ったときに、工場から貸してもらった作業着を着てきた姿をみて、まず注意した。
彼は、作業着のポケットに手を突っ込んだ格好で上着の前を全開にしたいでたちで登場したからだ。
ポケットに手を入れる、上着の前のボタンまたはチャックを留めない、髪の毛を結束していないなどは工場では厳禁である。
例えば、上着のボタンやチャックをしていないと機械と接触した時に巻き込まれる可能性があるから非常に危ない。
同じように、シュレッダー作業の時はネクタイをしない、またはシャツの内側に入れておくなども常識だと思う。
ネクタイがシュレッダーに巻き込まれたら首を絞めてしまう。
ちょっと、考えたら起こりうることが想像できるからKY(危険予知)が働くと思う。
ただ、現代人の生活では危険にされされないような工夫が、危険を意識する以前に施されている。
だから、この危険にさらされるかもしれないというイメージが沸きずらくなっているのかもしれない。
例えば、「危険」とはちょっと違うが、風呂のお湯をはる時に今では、たいてい設定したお湯の量に達するとセンサーが働いて自動でお湯が止まる。
以前なら自分で管理していないとお湯があふれてしまうので、蛇口の開き方によって感覚的に「そろそろお湯がたまったよな」という勘が働いた。
しかし、そういう感覚はきっと鈍ってきていると思う。
テレビを見ていたら、20年以上前に製造された石油ファンヒーターの不完全燃焼での死亡事故が年間に数件あることを報道していた。
報道だけ見ていると、メーカーがめちゃくちゃに悪いみたいであるが、何年もフィルターの清掃を怠っているユーザーもどうかと思う。
フィルターにゴミが付着していれば、メーカーが想定していない事故は起こり得るだろうなぁ、と思う。
もちろん、それをカバーするのが技術改革なのだろうけれど、誤解を恐れずにいえば、便利になりすぎると、「ヤバイ」と感じる人間の勘はどんどん薄れて行くのだろう。
何も考えずに日常を過ごしている、または便利になって意識せずに過ごしてしまうと、どうしても「自分の動作や行動の一つ一つによって次にどういうことが起こりえるか」という想像力が働きづらくなっているのかもしれない。
「先を起きることを想像する、考える」という日常の思考姿勢は「勘」を鍛え危険から自分を守る上で大事なことなのだと思う。