トーク番組を見ていたら、女優の桃井かおりさんが「演技のうまい人がいい俳優さんというわけじゃない」といっていた。確か、このときの番組ではお笑い芸人の花子さんが映画だかドラマに出たときのことを話題にしていた。
桃井さんは、「私は新人俳優さんに演技指導をするのが得意だけど、花ちゃん(花子さん)みたいに飲み込みの悪い子はいなかった。演技も下手。しかもきっとうまくもならない。だけど、主役の脇にいても存在感があるし、予想外の動きをするから、それがまた女優さんとして面白い。
こういうタイプはなかなかいないし、演技指導しても出来るもんじゃない」というようなことをいわれていた。
確かに、私の大好きな俳優さんである往年の名脇役スターの故笠智衆さん(男はつらいよシリーズの御前様としてよく知られる)は演技が決してうまくない。セリフはかなりの棒読みだ。
しかし、味がとてもあって、棒読みのセリフが逆に感情の起伏をとても表していた。 おそらく演技のうまさだけなら、官公庁が作成する火災予防や交通事故対策などの啓蒙系の映画やビデオに出演している名もなき俳優さん達のほうがうまいと思う。
文学の世界もそうかもしれない。文芸評論家の福田和也氏は雑誌で、「高杉良の日本語はすごいよ(悪い意味で)」といっていた。
しかし、それでも多くのビジネスマンの心を打つ経済小説を世に送り出している。同じく、福田氏は金原ひとみさんの日本語も評価していないが、彼女は史上2番目の若さで2004年に芥川賞を受賞している。
出版社に勤務している人から聞いた話であるが、「小説は文章がうまくなくてもいいけど、ビジネス書や実用書は読み手に正確に意味が伝わるようなうまい文章を書かないとダメだ」と言っていた。俳優さんの演技にしても、小説などの文学作品を書く小説家さんにしても、読み手が自由に解釈する部分を残して演じたり書くことが「芸術的な作品」としては必要になる。
画家や書画、歌の世界もそうだ。実用的な利用のためにうまい絵や字を書く人はたくさんいても、人を挽き付ける絵や字かといわれれば、そうでないことの方が多いと思う。サザンオールスターズの桑田佳祐さんの歌い方を音楽の時間の歌唱テストでやったら、あんまりいい点数はくれないだろう。
別の視点で考えると、実用的な作品は、アウトプットに含める要求事項を満たすために計画的に作業も進められるし、その作業をする人を計画的に比較的確実に育成することも出来る。しかし、芸術作品は、計画があってないようなものだろうし、人材も育てるというより、いかに優秀で未知の可能性を秘めたな素材をどうやって発掘するかの方が、育成するという要素よりも大きいと思う。
凡人は、芸術以外の道で頑張るしかないのかな、と思った。