青島太平洋マラソン | ログハウス・ビルドのブログ

青島太平洋マラソン

第32回となる青島太平洋マラソン、今年も走るに至らず、ボランティアに参加しました。

 

 

江平五差路の交通規制の為に、沢山の小道具が用意されています。

 

 

大人11人と佐土原高校の学生男女21人、計32人のボランティアがこの場所の担当です。

 

 

午前8時半に集合し、白いヤッケの責任者から説明を受けました。

 

 

午前9時32分、北側から左折と宮崎駅に向かう2車線を残して、警察官により信号機が全て赤に換えられると、

 

 

コーンやゴム重し等を運んで、決められた場所に並べていきます。

 

 

約15分で予定通りの場所に、全てのコーンが置かれ、準備が整いました。

 

 

マラソンは宮崎県総合運動公園を9時にスタート。

 

 

先導白バイの後には

 

 

軽快な走りでトップランナー

 

 

そのすぐ後ろから、2位と3位の選手

 

 

大きく間が空いて、4位グループ

 

 

続々と健脚ランナーが駆け抜けていきます。

 

 

ここから北に数キロの宮崎神宮を折り返して来たトップランナー

 

 

しばらくすると大きな集団が現れ

 

 

後続も次々とやって来ます。

 

 

そして、宮崎神宮に向かうこちらの選手と、折り返して来た向こうの選手が、知り合い同士声を掛け合って擦れ違います。

 

 

仕事の電話に呼び出されて事務所に帰り、

 

 

上から見るとこんな感じです。もうランナーも大分少なくなってきました。

 

 

終盤になると白バイが集まり始め、

 

 

途中棄権の選手を回収するバスも集まってきました。

 

 

後方の選手は多くが歩き始め、最終ランナーの後ろからは後押のパトカー。

 

 

江平五差路が第4関門となって、この時間以降の選手は強制的にストップとなります。

 

 

5分前からハンドマイクで選手たちに予告が始まり、

 

 

テンカウントと共に、ちょうど11時33分

 

 

無情のロープが張られ

 

 

関門が閉まりました。

 

 

選手たちは止められて、ゼッケンに付けられた記録カードが回収されています。

 

 

何とか走り続けてきた選手も、元気なくみんな歩きはじめました。

 

 

まだ歩いて来る選手達もいましたが、撤収の声が掛かり、

 

 

コーンが撤去されて、車道には警察官のみ。

 

 

元の場所に全てが回収されて、ボランティアは解散。

 

 

頂いたお弁当とお茶で昼食。

 

 

お疲れ様でした。