離婚届。それぞれの幸せを追求して。 | ★One Chance★

★One Chance★

死にぞこないの、人生ボロボロだった男が前向きに生きている。
思ったことを書き連ねていこうと思う。良いことも悪いことも。

今日、離婚届の証人欄に自分の名前を書いた。

2年前、婚姻届提出直前で失敗した僕にとって、先に離婚届に自分の名前を書くとは思わなかった。

こういうところも僕らしいと言えば僕らしい。

 

子供の頃、自分の目の前を何回か、緑の紙切れがやり取りされていたのを思い出す。

幼いながらにいつかはその時がくると思っていた両親の離婚。

子供のことを思ったのか、最後の一歩が出なかったのか、ギリギリ続いてきている結婚生活。

父も母も、結婚する時には相手や相手の家族に対して「何か違うな・・・」と思っていたのを知り、

それでも結婚に踏み切るしかなかった当時の社会情勢の恐ろしさ、不幸さを思い知るね。

自分の本心を押し殺して、親戚や兄妹のために、お互いが流れで結婚してしまったようだ。

 

高校生の頃から、離婚しないようにあれこれ考えて、自分なりに行動してきたけれど、

結局のところ、僕は何も変えられなかった。

もしかすると、僕が誰かと結婚して子供が出来て、両親に孫の顔でも見せることが出来ていたら

こういう結果にはならなかったのかもしれない。

そう思うと、僕にも責任があるのかな。

確かに、今まで何回か、僕が決断さえすれば結婚まで行きそうな雰囲気はあったように思う。

実際3年前は、いよいよ決心してプロポーズをし婚約までいったのだから。

 

でもね、僕の心にはいつも結婚に対して希望を持てないもう1人の自分がいた。

今もそう。

ここまで人を想うことが出来るのか、と自分でもビックリするぐらい大好きになった人がいるのに。

 

たぶん妹も同じだと思うけれど、子供の頃、両親の不仲で常に家がギクシャクしてたから、

たくさんあった自分のやりたいことを無意識に我慢してきたように思う。

父も母も、子供たちには有り余る愛情を注いでくれたと思うし、感謝してもしきれないけれども、

両親が2人揃って、2人で祝福や褒めてくれた記憶は僕にはない。

褒めてくれる時はいつも1人ずつだった。しかも、片方がいないところで隠れてね。

友達の家に遊びに行った時、友達のご両親が友達に2人揃って愛情を注いでいるのを見ると、

とても羨ましく思った。

逆に怒る時は両親がそれぞれのストレスを怒りに任せてぶつけてくるから、2人一緒だった。

自分が悪いことをした時は怒られても仕方がないと思えたけれど、正直なことを言えば、

何で今、怒られなければいけないんだろう?・・・と疑問に思うことがあったように思う。

夜中3時まで立たされたり、真冬に玄関から外に放り出されたり、服を脱がされて外に出されたり、

今思えば、虐待に近いことも受けてきた。

それでも、他の人ができないような体験をさせてくれたり、時々だけど遊びに連れてってくれたり、

金銭面や待遇面で他の人より恵まれた環境で育ったから、外見上、自分は幸せ者だった。

内面は周囲にひた隠しにしながら。

 

何だかうまく言葉に出来ないし、これ以上はただの悪口になるから言葉にするのを止めるけど、

普通の、両親の仲が良い家庭で育ちたかった。

子供の目の前で緑の紙切れをやり取りしたり、気が付けばいがみあっている環境ではなくね。

 

こんな自分が誰かを好きになって結婚しても幸せに出来るのだろうか?と思うことがある。

幸せな結婚ってどういうものか?を知らない自分が抱く理想は、現実離れしているかもしれない。

そんな風に思ってしまう考えが常に頭の片隅にあった。

だからこそ、自分と考え方や価値観がとても似ている人を見つけ、その人に一目惚れをした時、

「これは運命なのかもしれない」と生まれて初めて思った。

 

初めて会った時に一目惚れしたけど、勇気がなかったのもあるが、敢えてすぐに声をかけなかった。

外見だけに惹かれたなら、時間が経つと感情が消えると思ったから。

きちんと内面を見て素敵だなと思ったら、勇気を出して思い切って声をかけようと思っていたから。

仕事の時の受け答えや雰囲気を見て、感じて、もしかしたら自分と似ているかもしれないと思い、

声をかけて色んな話をして、自分の感じていたことが正しかった時の感動は一生忘れないと思う。

こんな自分と仲良くしてくれるのが、35歳になって恥ずかしいが、高校生みたいに嬉しく感じる。

婚約解消してから完全に結婚に対して心を閉ざしていたけれど、この人ならばと思うようになった。

それでも世の中やっぱり厳しい。

 

仲良くはしてくれるけど、友達以上の関係になるのは難しいみたいだ。

僕が辛く苦しい時に助けてくれた大切な人だから、自分が最も望むのは幸せになってほしいということ。

それが出来るのが自分だったら最高だと思っていた。

まだ完全に諦めたわけではないけれど、年齢も年齢だし、残った自分に出来るのは待つことしかない。

可能性はほとんどない中で、両親の離婚を防げなかった中で、果たして希望を持てるのかわからない。

 

僕より辛い人生を送っている人は世の中にたくさんいると思うけれど、

僕みたいに、色々重なって、こんな体験をしてきた人もそうはいないんじゃないかと思う。

心臓の鼓動が止まらない以上、生き続けるしかないから、少しでも前向きに、ポジティブに生きるために

頭の中を整理するために、ここに文章を残すことにした。

 

最後にどうしても言いたいことがあるから、それを書き記して終わりにしたい。

「父ちゃん、母ちゃん、生んでくれて、育ててくれて本当にありがとう。」

「これからは少しでも楽しい人生になるよう、我慢をせずに、自分の人生を生きてください」

「離婚して家族はバラバラになるけれど、僕にとっては、永遠に父ちゃん、母ちゃんです」