エルデンリング 過大評価 | ゲーム脳のクソゲー人生(ベリーハード)

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ELDEN RING | ゲームタイトル | PlayStation (日本)

エルデンリング。フロム・ソフトウェアが満を持して送り出したオープンワールドRPGであり、発売当初から「史上最高傑作」「神ゲー確定」と各所で絶賛の嵐だった作品だ。
メタスコアは驚異的な数値を叩き出し、ユーザーからの評価も軒並み高得点。SNSでも、まるで信仰に近い熱狂が巻き起こっていた。

だが、実際に100時間以上プレイしてクリアまでたどり着いた今、率直に言わせてもらいたい。
「エルデンリングは決して神ゲーではない」

もちろん駄作というつもりはない。良い部分も多く、名作の一つであることに疑いはない。だが、世間で語られているほど完璧かと問われれば、それは明らかに誇張されすぎている。むしろ粗が目立ち、ストレスの方が強く残ったゲームだった。
以下では、その理由を具体的に掘り下げていきたい。


広大なオープンワールドの正体は「作業の広がり」

エルデンリングの最大の売りは、これまでのフロムゲーにはなかった「広大なオープンワールド」だろう。リムグレイブに足を踏み入れた瞬間、果てしなく続く草原と遠景の城を見てワクワクした人は多いはずだ。序盤の体験は確かに素晴らしい。

しかしプレイを進めるにつれて、この広さは次第に「無駄に広い」と感じるようになる。
理由は単純で、探索のパターンがほとんど変わらないからだ。

  • 廃墟を見つける → 同じような敵を倒す → 宝箱から微妙なアイテム

  • ダンジョンに潜る → 既視感のあるギミック → ミニボスを倒す →報酬は代わり映えしない

序盤は「何が出るんだろう」と期待できるが、中盤以降は作業感が強まり、「はいはい、またこの流れね」と惰性で回ることになる。ゼルダのBotWのような発見の喜びやサプライズ感はほとんどなく、単調さが前面に出てしまっている。

「広い=楽しい」ではない。だがエルデンリングは広さだけを推しすぎていて、その中身の密度が足りないのだ。


理不尽さが際立つボス戦

フロムゲーの醍醐味といえばやはりボス戦だ。だが本作のボスは「歯ごたえがある」ではなく「理不尽で疲れる」に傾きすぎている。

  • 攻撃判定の不自然さ

  • 異様に長いコンボ

  • 回避タイミングを潰してくるディレイ攻撃←これがバカすぎる

  • 狭い部屋で暴れ回る巨大ボスとカメラの悪さ

特に中盤以降、コピー&ペーストのように配置された同型ボスには心底うんざりした。腐敗の樹霊やマリケス前座の獣系など、戦っていて楽しいどころか「またこいつか」とため息が出る。

もちろん倒した時の達成感はある。だが、それは「ゲームとして正しく練られた戦闘を攻略した達成感」ではなく、「不条理をゴリ押しでねじ伏せた安堵感」に近い。これを神ゲーの戦闘と呼ぶのはさすがに無理があるだろう。


ストーリーは分かりにくさを超えて投げっぱなし

フロム作品の特徴として「断片的なテキストから世界観を推測する」という手法がある。ソウルシリーズであれば、プレイヤーが考察する余地を残しつつも最低限の筋は追える作りだった。

だがエルデンリングは、そのバランスを完全に放棄している。
重要な登場人物が突然消えたり、条件を満たさないとイベントが全て飛んだり、NPCのセリフがヒントにならなかったり。普通に遊んでいたら理解できるわけがない進行が多すぎる。

実際、ストーリーを理解するには攻略サイトや考察動画を頼るしかない。これは「解釈の余地」ではなく、単なる説明不足と不親切設計の結果だ。
製作者が語る「自由度の高さ」というのは聞こえがいいが、実際には「放置」に近い。

ストーリーもキャラも意味不明で全く魅力がない。


UIとシステム面の不親切さ

2022年の大作として考えると、UIや操作性の古臭さも看過できない。

  • マップにメモ機能はあるが、情報管理は面倒くさい

  • インベントリは種類が多すぎて整理が不便

  • 戦技や魔法の切り替え操作が直感的でない

  • マルチプレイの仕様も時代遅れ

細かい部分だが、プレイ時間が長いゲームほどこうしたストレスが蓄積していく。快適性への配慮が足りないのは明らかだ。


過大評価の背景にある「信者補正」

ではなぜここまで「神ゲー」として評価されるのか。理由は単純で、フロム信者の存在だ。

フロム作品には根強いファンが多く、彼らは「高難易度こそ至高」「不親切こそフロムの味」と擁護する傾向がある。その声が大きいため、批判意見はかき消されがちだ。

信者というより盲信者狂信者のどちらかだろう。
さらに、レビューサイトやメディアも彼らの熱気に迎合し、満点評価を連発。結果、「神ゲー」という空気が作られ、冷静な議論ができなくなっている。

実際のところ、オープンワールドRPGとして比較すれば、ゼルダBotWの革新性には遠く及ばないし、探索の作り込みや快適性でもウィッチャー3の方が上だ。エルデンリングは決して唯一無二ではない。


それでも評価できる部分

ここまで辛辣に批判してきたが、もちろん長所もある。

  • 独特の陰鬱な世界観とアートデザイン

  • 敵やボスの造形の迫力

  • 攻撃や回避の重量感あるアクション

  • 適度に緊張感を与えるバランス感覚(序盤だけは)

フロムが持つ雰囲気作りの力は確かであり、これが「なんだかんだ最後まで遊んでしまう理由」にもなっている。
ただし、それらの魅力は「神ゲー」と呼ばれるほど万能ではない。尖った個性を好む人には刺さるが、万人が絶賛するような完成度ではないのだ。


結論:名作ではあるが神ゲーではない

エルデンリングは、確かにプレイする価値のある作品だ。だが「神ゲー」と呼ぶには不親切さや作業感が目立ちすぎる。

  • 広さに対して密度の足りないオープンワールド

  • 理不尽さが勝るボス戦

  • 投げっぱなしのストーリー進行

  • キャラに魅力がない

  • UIの古臭さ

  • 信者補正による過大評価

これらを無視して「完璧な傑作」と言い切るのは、あまりにも冷静さを欠いている。
エルデンリングは「優れたゲーム」であることは間違いない。だが、同時に「過大評価されたゲーム」であることもまた事実だろう。

神格化するのではなく、冷静に長所と欠点を見極めて評価すべきだ。そうでなければ、プレイヤーは過剰な期待を抱き、同じように失望することになる。