まただよ。あぜみかさんへの、怒り再燃。布団の中で悶々として、泣いたり、そこからなかなか出てこられない。
あたしが原因の一つであることはわかってる。助けがたい人、というのは、いるのだろう、と。
心を閉ざしてしまっているから。でも、あたしだって、好きでそうしてるわけじゃないのに!!と思う。
どうにかしてよ、って、思う。


ジョー・ヴィターリ、イハレアカラ・ヒュー・レン『ハワイの秘法』を読んでいる。
これと、ゲイリー・レナードの『神の使者』を合わせると、わりに納得がいく。
わたしたちは、自らの意思とは関係ないところで生成するひらめきを実行に移す、もしくは移さない
という自由意志は有している。
そして、この世界を赦すことと、エゴに振り回されることのどちらかを選ぶことができる。
それが、わたしたちの「自由意志」の本質。それ以上では、ない。


ここ2ヶ月ほど、かなりはまってるチャック・スペザーノのセルフセラピーカードを今日もひいてみる。
特に習ってるわけじゃない。付属の、解説本読みながらいろいろひいてみているだけ。
でも、おもしろい。ああああやっぱりそぉですか・・・!!って、なるのよ。不思議。

今日は、タロット並べ、というのを初めてやってみた。なんとなく。結果は・・・やはし


1枚目。「自分」を示すのは、Holding On。執着。何かを抱いて狭い部屋で一人うずくまる人。
くすん。泣きべそで、抱きかかえてる。さみしいよぅ。だれか助けて、って言ってる。
部屋にぽつんとひかれた電話はなんなんだろう?
傷つきを、あたしは後生大事に抱え込んでいる。この傷つきの記憶を取り上げられそうになったら、
きっとひどく抵抗するだろう。まだしがみついていたいの。ここしか、よりどころはないんだもん・・・


後生大事に抱きかかえているソレを、握り締めてても先はない。そんなことは、わかってる。
昔叶えられなかった欲求、であるらしい。赤ちゃんみたいな、欲求だな・・・と感じる。
あたしをわかって。特に要求しなくても、いろいろ気遣って世話をして。無条件で愛して。
まるごと、受容してちょうだい・・・そんな欲求、生身の他人に期待したって、満たされるわけはない。
んー、でも、満たされたいのね(泣)「自分の思い通りになってくんないんなら、前になんか
進みたくなイィッッ」、とじだんだ踏んでる絵が浮かぶ。『かんしゃくの一種』だそうです。ほんとそーね。


悲しいなぁ。本当は、生身の、生きてる誰かにして欲しいことなのに。
本当は大昔に叶えられるはずであったその望みは、いまや永遠に叶いません、ってか。
手放すしか、ないらしい。悲しいよぅ哀しいよぅ・・・


で、2枚目。「今起きていること」はIndependence。自立。一見良さそうなフレーズなのに、
緑の大地に背を向けて、一人砂漠に向かう一人の男。辛い感情を、癒すのではなく手放すのでもなく、
切り離して、孤立して、閉じこもろうとしてしまいそうになっている、ということらしい。
まさしく、そうだから。愛と桃舎さんのセッションにしたって、もうほんとに、心開けなくてしんどくて、
もういっそ、心閉ざしたまんま『シータマシン(=みかさん)受けに行く』くらいに割り切ったほうが
いいかもしれん・・・と思っていたところだったから。ひどい話なんだけどさ。
でも、どっかでそれじゃあかん気もしてたんやろな。だから、このカードひいてやっぱり、うぐ・・・ってなった。


3枚目以降は、Personal Myth、Love、Judgement、Belief、Vision、Ancestral Problem、Flow、と続くんだけど
そこはすっとばして8枚目「最終的な結果」・・・が、Revenge。復讐。


リベンジ。すごくよくわかるわ。それくらいでしか、報われないのね。まだここは、癒されていないなぁ。。。
1枚目のHolding Onしているのも、きっとそこなの。まだ、手放す気になれない。リベンジ。思い知らせたい。
あんたが一体何をしたのかを。あたしがこうなってるのは全部全部あんたのせいよ!!

そう、言いたいんだ。だって、なんであたしが赦さなきゃなんないの!?あたしが、あたしの不幸ッぷりを
見せつけなきゃ、あんたわかってくんないじゃんよ!!自分が何をしたのかを!


呪ってるのよ、あたし。見るがいい。てめぇのせいで、このザマだ。


Holding On。抱きかかえている、満たして欲しかった過去の欲求は、もう腐敗して変質して恨みに変わってしまっている。
リベンジ。したいよ!!!そりゃーねッ。思い知らせてやりたい。あたしが味わった何十分の一かでいいから、
あんたにもいやな思いを味わわせてやりたいよ。なんであたしが一人でこんなに
苦しまなあかんねん!!!おまえはまだ「良い母親」のつもりでいるのだろうが・・・!

今あたしが“成功”しちゃったら、あんたの子育てが良かったからだとあんた思いそうだからヤなんだよ!


バカみたいだ、ということもわかってる。ひどいひどいひどい。Heartbreak。傷ついたあと、さらにこんなことしかできないなんて。


凍てつく湖の氷の上に立って、ヒビが入って氷が割れて、今にも冷たい湖水に落ちてしまいそうな、このカードの女の人。
岸辺には、ひざをついて、辛そうに懇願するもう一人の女の人。


そう。もっと嘆いて。悲しんで。泣き喚いて。その姿ほど、あたしを喜ばせてくれるものはないわ。
でも、だめよ。あなたの懇願なんか、聞いてあげない。泣いてすがったって、ダメなの。あなたに、苦しみを。
あたしが味わったのと同じような苦悩を、苦痛を、与えることだけが、私の望み。そのためには、この命、
くれてやったってかまわない。思い知りなさい。もっともっと傷ついて。泣き叫んで。

・・・そのために、あたしはあたしの人生すべてを費やしたのだもの。


眉を上げて、愉悦の表情で見下す氷上の女。それはあたし。そう、これこそが、あたしの望んでいたことなの。
そう・・・望んでいた、はずなのに。


・・・ばかみたいじゃない?こんな醜い、みじめに泣き悶えている、こんな奴のために。
こんな情景を見るために、それだけのために、あたしはあたしのすべてを捧げたの?




・・・くだらない。もう、用はない。おまえなどしらない。

おまえの泣き顔もわめき声も、飽きた。もう、どうでもいい。馬鹿らしい。
いつまでも、こんなおろかものと2人きりで、私は何をしているのだろう。
こんな場所に、いることはない。お前など知らない。もう私に関わるな。どこにでも行ってしまえ。
お前などに興味はない。


本当に馬鹿らしい。あんな、みじめったらしい姿を見たいなんて、なぜ私が思ったのかわからない。
もう、関係がない。私は私で生きていく。あれに痛めつけられた痛み?もちろん、残っているさ‍。
古いふるい、傷跡が。無数に。だがこれも、それなりに使い道はあるのだろう・・・


ハイ☆妄想終了~(爆)ほほぉー、ってかんじ。途中でキャラが変わったかんじがおもしろいね。
このRevengeのカードをひいて、解決法としてもう一枚ひいたのはInnocence清らかさ、だったの。
神の愛、よね。だからね、本当なら、私はこの岸辺の女を、見下したりせず、赦さないとなんだろうけど。
まあ、でも、とりあえずは、いいかー、と。第一段階としては。・・・バカらしいや、という感覚を、
得ることができた。こんな寒々しい場所に、こんな楽しくもない奴と二人ぼっちでいることもないじゃん、
って。どっか、もっとあったかくておもしろそうで、心地いい場所に行こ、ってね。
邪道かもしんないけど、こーゆー使い方も、あっていいよね。

昨日はかめおかゆみこさん の出版記念&バースディパーティにいってきた。遅れていってしまって、ちょっと
なじめないまんま1次会は終わっちゃったんだけど、2次会はたのしくて、結局3次会まで行ってしまった。
なんかね、1時間も遅れちゃったんだ。「行きたくないぃぃ・・・」ってなっちゃってた。
怖かったのかな・・・知らない人ばっかだし、って。前日くらいまですごい楽しみにしているくせに
当日、出かける間際に行きたくなくなるこの心理・・・しょーもな、と思うけど、仕方がない。
義務じゃないんだし、行きたくないんなら行かんでいいんよーと自分で自分をなだめること30分。
ようやく動き出すことができた。なので、かめおかさんの話はほとんど聞けず。ワークも参加せず。
ま、しゃーない。


フリータイムに、出版された本にサインしてもらいに行ったの。そしたら、「自分を信じていいよ」って
書いてくれて、それだけで涙腺が壊れかけた。じわわーと。なので何もいえず、お礼だけ。

質問コーナーでも子どもが不登校でダンナと不仲で、という女性に、大切なことは学校に行く
行かないではなくて、子どもが幸せになること。そして、その子どもの人生が結局幸せなものとなったかは

大抵の親は見届けることができない。だから、信頼してくださいと。愛情のエネルギーを心配に使うのではなく。
まだ見えない未来を信じて、と。苦労もするでしょう。まわり道もするかもしれません。でも、
苦労のない人生が幸せな人生でしょうか、って。ここでもまた、じわわわーと。なぜ、
そんなにも反応するのかね??あたしが言ってほしい言葉だからなのかな・・・


挫折も苦労もまわり道も、まったくない人生は私は送りたくないもんな。過保護な母親を前に、
あたしに“失敗”をさせてくれ!!と(心の中で)叫んでたことあるもんな。
もっとも、ずっとずっと挫折と苦労じゃ、それはまたそれでヤダけどさあ・・・

あとね、かめおかさん作詞の曲を、歌手のなおさんが歌う、その歌声にやっぱり涙でした。

なおさんの歌は、ほんとに素敵だった。見事だった。あぁ、やっぱプロだぁ・・・と思った。
その、かもしだす空気感がね。ぜんぜん、違うの。アマチュアとかとは、文字通り雲と泥。
懇親会でお話しできて嬉しかった。とっても優しくてデリケートそうで、お酒に弱くて、
ちょっとおかしい女の人。もうほんと、好きになっちゃう。


あとは、懇親会行くときに声かけてくれたアキさん。彼女とほとんど一緒に行動してたかも。
B型で、私と同じ狼(←動物占い)☆変わっていると言われるとむしろ喜ぶヘンな人種。
体が固く力はいってて、力抜いてくださいといわれてもどう抜いたらいいかわからない、とか話してた。


体が固いのは私も同じだ。それは結局、自分も他人もこの世界も、すべて信用していないからだ。
だから、なるように、身をゆだねることができなくて、何が起こっても対処できるようにと
身構えてしまっているのだ。それでもいいならいいんだけど。それが辛くなってきているなら、
少しずつ何かを信じるところから、始めないとな、と思う。自分や他人は、最初から無理、なら
プロセス、というか、シンクロニシティというか、大きな流れとか、そういったものを信じる、
から始めてもいいのかな、と思う。すべてが、起こるべくして起こっている、と。


感謝とも、つながっているよね。かめおかさんとそのまわりにいる素敵な人たち。
その素敵な人たちと出会わせてくれたことに感謝するとともに、こういう素敵な人に出会わせて
もらえるのだから、このプロセスを信じても大丈夫なのだ、という気持ちになることができる。
この人たちとも、会うべくしてあったのだと。だからきっと、この先も、素敵な人との出会いはあるのだと。


今日は、やっぱり少しお疲れさんっぽい。昨日はテンション高く夢中でおしゃべりしてたし、
知らん人も多くて気も張って、・・・でも、なんかスカッとしている。ジャッジメントされない
場で、存分に話せて騒げて、って空間は、すごい大切なのかもしれない。あと、仲間、か。

かめおかさんつながりで、「かめさんのことが好きな人たち」というグループに、私は
なんとか入れてもらえてるのかなと思う。正直、ちょうど1年まえの、メルマガ7周年記念会の
ときと、自分の状況が変わってないことに落ち込んでいたのだ。負い目を感じる、みたいな。
それが、行くの億劫になっちゃった要因でもあった。けど、行ってみたら、そんなんどーでもよかった。
だれもそんなこと話題にしないし、したところでそう話しても誰も気にしなかったと思う。
なぁんだ、ってかんじよね。


苦しむプロセスにも意義はあって、でも、そろそろそこも抜けようとしているのかな、と思ったり。
あと、日常生活もう少し何とかしたほうが、やっぱりいいのかもしれない。それが、表に出たときに
自分で自分の価値をディスカウントしてしまうところにつながっているように思う。


大学で教育行政学を専攻し、大学院でアメリカのより自由な公教育制度について研究し。
レフェリー論文も書き。博士課程単位取得退学。研究者の卵として生きていたけど、そこから降りた。
そもそも、研究職を選んだときに、そこしか自分が生きられる場所はないと思ってたよな、ってふと思い出した。


小学校くらいから、とにかく人間関係が苦手。人が怖い、というより、理解不能なの。
だから、自分は人間関係に関してはダメなんだと思ってて、あまりそういうのが要求されなさそうな
研究職なら、自分が生きていくこともできるのではないか、っていうような思いが、あの時に
そういやあったんだっけ。忘れていたな。とにかく、民間の就職活動が無理で、国家公務員も
コレは違うな、と思ってしまって。ほとんど消去法のように大学院に行ったけど。
数年して、やっぱり現場のほうが良くなって、研究の世界からは離れることになった。
ほんとうは、人と人とががちんこの場のほうが、興味としては大きいんだと思う。
苦手意識とか恐怖感とかが、ものすごいある領域だからこそ。


大学院の途中で鬱になって、スピ系の本をむさぼるように読む時期があって。なんでこんなにも
自分のことが嫌いなんだろう・・・ってところに、初めて向き合った。26歳。私の転機。
どう生きたらいいの、という問いかけを切実に抱えつつ、教育行政学の論文を書くという
二重生活のような状態に耐えられなくなっていった。書くことがない、というか、
自分の問題関心を、そのまま学術論文につなげることがどうにも無理で。
なのに、時期的に博士論文の構想を出さなきゃならなくて・・・


自分の抱えている苦しみはおいておいたとしても、直接の問題関心は(おそらくは
"ねばべき”で縛られてきた自分の子ども時代の反動として)より自由で子どものありのままを、
その子のよいところを伸ばしていけるような、柔軟な公教育制度の在り方、というようなもの
だったのだけど、研究フィールドだったアメリカもどんどん逆方向(学力テスト重視)にいくし、
日本もそうだけどあちこちの国でどんどん産業界に奉仕するための教育になっていって、

違和感だけがどんどん積もっていった。


教育におけるアカウンタビリティの話も、その頃流行っててさ。私も論文一つ書いたけど、
結局、いまひとつ私にはわかんなかったんだ。教育の成果って、何で測れるんだろう、ってね。
多分、測れないんだよね・・・


でも、何かで測らないと、お金下りないじゃん。
放縦経営のところと、真摯に子どもに向き合ってるところとの見分けもつかないじゃん。
公教育ってことは、国などの予算がつくってことで、予算がつくってことは、
それなりの成果を議会に向けてアピールしなくてはならなくなる。そこが苦しいな、ということと、

どんな教育がふさわしいかという価値観があまりに多様でありすぎて。
どうしたらいいのかしら??って途方にくれてしまったのかもしれない。


とりあえず、アメリカ研究してんだからアメリカに行かなきゃ!!と思って、
でもアメリカ帝国主義の反感が抑えようがなくてうまくいかなくて、

カナダに切り替えたとたんにするんと留学が実現して。


カナダにいた6ヶ月間は、教育学の論文なんかろくすっぽ見なかった。NPOへの関心のほうが強まってた。
「先進国」なのにね・・・日本は豊かなはずなのに、両親そろっててお金はそこそこあって、
でも学校に行けなくなる子どもがいる(行かない、ならまだいいんだけど)。年間3万人が自殺するし。
カナダも、こんなにも福祉が充実し、多文化主義で、子どものこともかなり個人として尊重してるふうなのに、ものすごく!麻薬におぼれる白人がいるの。


ストリートキッズにしたってさ、白人けっこう多いんだよ。
こういっちゃなんだけど、ネイティブアメリカンや移民の子どもたちが問題抱えるのはまあわかるんだ。
けど、白人たちがなぜこうまで荒むんだろう、って、思ったね。


異様にスピとかZENとかに傾倒してる白人も多かったし。てか、ZENとつきゃオシャレだと思ってるやろ?!
というくらい、ある種のインフレ起こしてた。べジーな人もモノも多かった。
あとはYogaだのReikiだのShiatsuだの・・・興味はあったけど、なんでそもそも東洋のもんを
白人から教わらなあかんねん、と思ったな。んんん、でも、Vancouverは、大切な時間だったなぁ。
こういう生き方もアリやねんなーって。ゆったり時間使って、お金かけなくても楽しく暮らしてたり。
非正規の仕事が大半でもなんてことないような。自分の人生を楽しんで

自分で作っていっているかんじがあって。あこがれたな・・・


教育の成果なんて示せない。どんな教育がいいのかも決まってない。

てか、そんなん誰にだってわからない。人それぞれ、ってのが一番近いようにすら思う。


NPOにいたときに、不登校の子どもたちと、教育委員会と、に接していてひどくジレンマを感じていた。
私たちが大切にしていたこと・・・表情の乏しかった子に笑顔が増えるとか、
「ありがとう」「ごめんなさい」が言えるとか、必要なときに人に助けを求められるとか、
ものすごい大事なことだと思うのに、そんなの学校や教育委員会や中教審が求める
「教育の成果」になんて、どうしたって入ってこない。


中学校時代のトラウマから、机に座って鉛筆持つことすらできなかった子が、
あるとき、50分のテスト時間中座り続けたことがある。
もう、テストの解答用紙が埋まることはなさそうで、終わったら退出してもいいんだよ、と言ったけど、
それでも大丈夫と言って座り続けていた。具合悪いんかな、と心配してしまったんだけれど、
あとでこそっと「トレーニングしてた」と言ってきた。
誰もその子にそんなこと言ってないのに、自分から、ちゃんとその時間、
シャーペン持ってテスト用紙を前にして座っていること、という課題を設定して、そして見事にやり遂げた。
すごい!と思った。でも、そんなの、高校生の教育の「成果」として認められるのかって言ったらさ。
多分、無理じゃん?


今ある産業社会に子どもを当てはめていくだけの活動に、教育というものが、なってしまっている気がして。
本当は、会社とかで働くことは、人生の一部分でしかないはずなのに、

それがすべてのような風潮になっている。


仕事は仕事で、まぁちゃんとやるとして、プライベートもしっかり充実してる人生がいいじゃない。
やりたいことをやる、そしてやりたいことを見出していける子になって欲しいじゃない。
それを教育の目標にしたいくらいだよあたしは。ま、なんないだろーけど☆
国とかは違うことを考えるさね。だから、そこを当てにしてはいけないんだな、って。

公教育改革をしたかった。いくつか訪れたフリースクールはみな財政難であえいでいたから、
公費でそういう活動ってできないのか、って思っていろいろ調べた。
でもね、どうしても、ゆがんでしまうんだ。公費だと、予算を消化した分、
成果を提出しなきゃならない。それもわかりやすい「成果」を。
それに、やっぱりこれは上からは変えられない。変わらない。いろんな意味で。


だから、したいことをそれぞれやってくってとこに戻るんだけど。あたし自身が、

やりたいなと思うことをとりあえずやってみるってのを、これまで、それなりにやってきて、
コレが弱さかな、と思うのは、ただあたしがやりたいと思うことをやっても、
それだけじゃあんま楽しくないのかも、なんらかの形で楽しさを分かち合わないと、

楽しさって干からびちゃうのかも、ってとこなんだ。


・・・ただ、まぁ、分かち合う、って言ってもね・・・ただでさえ、友人作るのうまくない上に、
ここ数年引きこもりモードで、昔の友人たちとの縁をぶちぶち切ってしまっていたからなぁ・・・
来た年賀状にも返さないこともあるくらいの、無礼ッぷり・・・またつなげられるところは、
つながらしてもらえるといーなー・・・なんて思ふおいらです☆

今日は、ばーっとスタバで書いて、一度帰ってスニーカーとか持ってスポーツクラブにいったら受付で、
15分前でマシンが止まると聞いて断念。いや、30分だけでもいいかと思ってたんだけど、
さすがに残り15分じゃね、と。そしたらおねーさんが、「日曜祝日は8時までです」と笑顔で言って、
それにむかーっとしていた。知ってんねんそれは!!って。マシンがそれより早く止まるってことが
知らなかったってだけであってだな!・・・と。すごい怒りがこみ上げて、
早々にスポーツクラブを出て隣接するショッピングセンターのトイレに行った。


不思議。彼女は絶対、好意とかサービス精神とかで言ったんだろうに。むかついてたまんない私。
バカにすんな!それくらい知っとんじゃぁあボケぇ!!くらいの勢いで。・・・ふー。


ふと、書き出すと軽く20ページは書けることって、それなりに一つ、自信に思ってもいいのかもしんない、
と思った。今日もノンストップで2時間半、25ページは超していた。右手の筋がちょっと痛い。さすがに。
内容はないよー、でもいいのさ、と。とりあえず、何かは出てくる。
それが誰かにとって価値があるとかないとか、気にしない。

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あまりにいいお天気なので、ふと太陽のオーラ写真のことを思いだし、
私の携帯カメラで撮ってみたらどーなんだろーと撮ってみたら

…真ん中に…真ん中に何度撮っても同じものがあせるあせるどどどどうしよ、ってかんじです…
まだ自分が嫌いでたまらない。

こんなん誰も好きになってくれるはずがないと思っている。
こんなのと一緒にいさせて悪い、申し訳ない、と思っている。

だから自分から距離をおいてしまう。

それこそが、相手への思いやりなの。
相手から、自分を遠ざけておくことが。

福本泉さんのチャリティイベント@日本橋、行ってきた。ついたのがもう16時くらいで、

狭い部屋にいくつものテーブルが出てて、知ってる人もないし「どうしよう・・・」ってかんじだったんだけど。

もう直感まかせで・・・なんとなく「この人になら見てもらいたいかも・・・」と思った人のところに。

カラーボトルが並んでてちょっと惹かれの。『仕事がらみで』といったら、カラーではなく

チャック・スペザーノのセルフ・セラピー・カードを薦められ、それをすることに。


1枚目が「8 死の誘惑Death Temptation」。黒(1~8)の最後のカード。

ぱっと見の印象を聞かれて、「まだこういうのがあるのかな・・・」と答えた。

黒い人影も首をつる縄もアイテムとしては怖いのに、どっかcozyなこの空間。

寒々しいけど、なじみがあって居心地がよい。

すぐわきには窓。その外には光あふれた外の世界があって、2人の人が楽しそうに跳ねている。

窓には柵もないし、窓枠だって乗り越えられない高さじゃない。


すべて、自分のコントロール下にあるこの狭く暗い空間は、ある意味心地いい。

窓の外は明るいけれど、何が起こるかわからない。私はまだ、

窓の向こうをのぞきながらも、自分で置いたであろう、死をもたらすための縄や椅子にひかれているのか。


このカードをひいて、ああこんなのひいちゃった、と落ち込む人は、パワーダウンしているんだって。

わたしは幸いにもそうじゃない。たしかにある種の心地よさ漂うこの空間。

もうどんづまりまで来ているの(1~8の最後のカードだしね)。ここにずっととどまり続けたいわけじゃないんだ。

「外に行くにはどうしたらいいだろう?」という問いかけが自然に出たところで、次のカードを引いた。


2枚目は、「48 神聖さHoliness」。1~48あるカードの、最後のカード。緑の丘に立つ一人の人。

そこから空に向けて伸びている白い光の存在。「やっぱり」・・・これか、とおもったよね。

そのあと、どこかほっとしたような、あったかいような気持ちになって。


2枚目の、解決策のカードのなかで、緑のはいろんな手段を自分で講じていく感じ、ピンクは自分の内奥とつながっていくような、そして白はゆだねる、みたいなかんじらしい。なんかもぉ、ここまできちゃったら、何をどうにかするとかそういうレベルではないらしい。


丘の下のほうは、まだ小さい木やむき出しの土の崖も見える。が、それでよいのだと。Holiness―

未熟なものも醜く見えるものも、それらをすべてつつみこむもの・・・。そんな解説?を聞いているうちに

頭痛くなってきて、それを言ったら、体が抵抗しているかも、と。そういう抵抗が出てくるのは、当然のこと

そこを分析するのではなく、言い分を聞いてあげて、と。怖いよね。うん、あたしも怖いよ。

でも、きっと楽しい事もあるよ。だから一緒に行こうね、みたいに説得するという感じか。


あたしはまだ、死に惹かれているところがあるんだろうか、と、黒の8番のカードを見て思ったけれど、

まだこーなのか、ああだからこうなのか、とそこにとらわれてしまうことそのものが罠らしい。

もう、だから、さんざんグリーフワーク的なことをしてきたけれど、もうそれはするなということ?

とたずねたら、否定することはない、必要だったこと、だと。でも、もうそれをしなくてもいい。

ただ、光のほうに意識を向ければいい、のだと。もう、そういう大いなるものとつながれているのだから、

背中を後押ししてくれる。仕事を選ぶのでも、今漠然とは持っている次の仕事へのイメージで、

光がいっぱいあるほう、明るく感じられるほうを選べばいい、とのことでした。


昨日 もいろいろ書いてたけどさぁ・・・やはしそうか、と。

最後に、お土産ですとメッセージカードの一枚引き。それがまた「神」の文字・・・うわ、と、思わず

声も出ちゃったよ。「あなたこんなのばっかりね」みたいなことまで言われてしまったし☆ははは・・・

「『神』 ―偶然とは、匿名を保つための神様のやり方、と遠い国の諺では言われています」だって。

うわわわわ。まじ。自分であれこれ画策してコトを起こそうとあせってじたばたしなくていい、ということか。


ほかのブースで、太陽のオーラ写真、みたいなのになんか足が止まって福袋を買った。その中から写真を取り出して、一枚目のタイトルがまた「全てはうまくいっている」でねぇ・・・そして「一人じゃない」、これがやっぱり、うわわ・・・とくるのよねぇあたしには。ひとりじゃないんだ。一人ぼっちじゃないんだ本当は、あたしは・・・。帰り際に、一人の若い女の子と話をして。同じ福袋もってたから見せてもらった。やっぱり、違うのね。何枚もあるんだけど、彼女のは全体的に黄味が強くて躍動的なかんじ。メッセージも楽しさとか、信念とか勇気とかだった。私のほうが若干、ピンクや紫が強めでパステル調。その人は、ヒーラーさんになろうか迷っていて、背中を押された!とうれしそうだった。わたしもきっと、そうやんな。私の場合は神とつながること。もう一人でがんばんなくていいんだよ、って。きっとそこだよね。


・・・ぞわぞわいってる。涙もなんかにじんでる。頭も痛い。さっきの、48番のカードを引いたときと同じ。

暗く狭く、でもcozyな小部屋から出たいなら出れる、より明るい未知の世界に。神と一緒に。

・・・そこで抵抗が起きてる。そんな、神がともに在ってくれるような、そんな存在なのか自分、と。

おこがましい、と。おまえのような、卑小な、醜い、穢れた人間が、神とともに在ることなどできない、と

いっているかのよう。おまえにそんな資格はない、と。でも、違うんだね。私はそういうのとも、

つながっているんだね。じゃなきゃこんなに、ひかないよ。

これでもか、ってかんじだよ。たたみかけるように、いわれている気がする。

自らの神とのつながりを信じよ、と。自己卑下も罠だと。くり返しくり返し、いわれている気がする。


福本いずみさんが主催してるイベントだから、彼女のミニセッション受けることも考えたの。ぎりぎり時間も間に合ったし、リストに名前まで書いて。でも、ね、なんかテンション上がんなくて、ふと財布見たら、3150円なかったの。スペザーノのカードリーディングは2000円で、それならあってさ(→で、残金500円を切った☆どうにかコーヒー代と帰りの電車賃は出たけど、もうちょっと財布の中身見てから出かけろってかんじね)。でも、それでよかったと思う。結果オーライ。そういう、縁ってのもあんねんな、って。


ふと、これって「退屈」?って思った。今の生活。コレが退屈なのかも。

私はあんまり、退屈、と思ったことがなくって。いつもやるべきことがあって、

そこから逃げ出して空想の世界に遊ぶことに忙しかった。だからだけど。

今、すべきことが見つからない。やりたいこともないわけではないけれど、

そこまでの意欲がもてない情熱がない。

そして、腹がすいては食事をし、汚れたら掃除をし、眠くなったら眠ってそして月日が過ぎていく

・・・ふと気づけば自分がずいぶんと年を食ったことに気づく・・・そういう感覚。

てか、まだ30代でそゆコトいうのは早いんでは、と若干思わんでもないんスけど。


日々、つまらない、のかもしれない。やることがないのは楽だけど、どうして皆、そうやってしゃかりきに

いろいろ何かできるの?そうやってて楽しい?じゃあ、あたしはどうやったら楽しくなるんだろ?楽しくできんだろ?

おばちゃんとかでたまに、すげえパワフルでニコニコしてて豪快に笑い飛ばしてる人がいる。

そこまででなくても、にこにこ朗らかにしている人がいると、どっかで反発覚えつつ、不思議になる。

なんでそんなに、楽しそうなの?何がそんなに楽しいねん。明るく楽しく幸せに生きる。そんなのを

求めてるだけなんだろうに。それなのに、そうして生きているように見える人々に、不審の目を向けてしまう。

そんなことしてるんで楽しいの?幸せなの?へぇ~え・・・(よくわからんな)って。

あたしなら、同じポジションにおかれても、きっと楽しいとか満たされてるとかいう気持ちにはならんな、

ってことがほとんどだから。人生って、何してたら楽しいとか満たされるとかするんだろう??

って考えちゃう。良い仕事ができたら?他人から感謝されたら?愛する人に愛されたら?


そういう、私としては真摯な問いかけを、大阪の上司さんには辞め際に「じぶんさがし」とかの

陳腐な言葉に集約されてしまって、それなりにムッとしてたんだけれども。

彼女のように、知名度も高くさまざまな人に頼りにもされ、バリバリと音がするように仕事をして

生きている人から見たら、きっと私は甘ちゃんに見えたんだろう。・・・でも、私は間近で彼女の生活を

見ていたけど、ダンナがいて息子がいて金もあって仕事もして・・・でも「幸せ」からいったらどうかな?

って思っちゃったんだよな・・・ロールモデルにはならんな、って。ひどく、しんどそうに見えた。

これはゴメンやな、って。あたしはいやや、って。


人生を、人間としてこの世を生きることを、すばらしいとは思えないでいることに変わりはない。

この世を生きることに、あたしが価値を見出せたら、変わっていくんだろうか。所詮この世は幻なのに?
愚かしい人間の歴史を生き様を、時折私はひどくいとおしむ。それは何故なんだろう・・・。


何の疑いも持たず、充実した毎日を送る、というオプションだって、ありえたんじゃないか、と思うんだ。

けど、あたしはそれを選ばなかった。自分で、たぶん、それじゃないほうがおもしろい、って思ったんだろう

けど。でももう、押しつぶされそうだよ。すりきれてしまいそう。

・・・さっきから、微妙に涙が出るな。なんだろう、なんかの解放になってると良いけど。


自分の傷つきに、苦しみに悲しみに怒りに、まだしがみつきたい部分があるように思う。

だって、あたしはそれだけ苦しんだんですもの。

そんな、いまさらハッピーに、なにごともなかったように生きるなんてアリ??!みたいな。

今の私の状態が、私が過去どれだけ苦しみ悲しんできたかの証拠なのだから、

それを消すだけでは、証拠隠滅を図られているようで、私の苦しみとしては

それは看過できないことである、のは、なんか理解できる。じゃあ、どうすればいいんだろう。


人生の前半の大半を、「私」は苦しんで生きた。その証は、わたしの体のあちこちに残っている。

その「証」は、さまざまな知見を、気づきを、深みを、学びを与えてくれる。だから、大切にすればいい。

そして人生の後半は。悲しいことも苦しいことも辛いことも、まだまだ多く感じてしまうけれど。

ただ、受け入れ見つめ、それが何を教えてくれようとしているのかに意識を向ければいい。

そして、一番難しいこと。私は私を大切にできてこなかった。

私は私を大切にしていくコトを、学んでいるのかもしれない。

一番、抵抗があることだから、自分自身を愛するということは。

だから、少しでも愛せるものを集めていって(大好きなロシア音楽とかな☆)、

私の反映であるそれらを愛することから始めて、じょじょに「私自身」も愛し大切にすることができるようになるのかもしれない・・・そんなことを、思った。


あと英語のリハビリがてら海外ドラマFlash Forwardの音声をポータブルプレイヤーに入れてるんだけど、
聞きながら歩いていて、Aaronの娘のTracyが一度イラクで死んだときにLet her go(彼女をいかせてやれ)
ってせりふが出てきて、それを聞いててそのせりふに反応して涙が出たの。
夜だからわかんないだろうと高をくくって?泣きながら歩いた。気づいたら鹿浜橋(←足立区)まで行ってた。

お散歩というには若干ヘビーな3時間コース。涙付き。私も「彼女」を手放さなければ・・・と。


その前段階としてね、ここんとこちょっとはまっているチャック・スペザーノのセルフ・セラピーカード
「依存Neediness」をひいてたのね。一瞬よくわかんなかった。え?これどういうこと?って。
あんまり自分が、だれか何かに「依存」してる感覚は、私にはなかったから。
けど、解説読んでいて、「相手を“自分のニーズを満たしてくれる人”と見るな」みたいなフレーズが
あって、あいたたた、と思ったんだ。
「人を見るたびに、その人がどれだけ自分の欲求を満たしてくれるのかどうかで判断する」か。
どっかで、私は相手を、自分の欲求を満たす道具のようにとらえてしまうところがある。
それはうすうすは感じてた。だから、もしかして私はどっかで「彼女」を利用してるかもしれない、と。


彼女の思い出を、一生懸命何とかしてあげたくてそれでも自殺されてしまったこと、彼女のために
癒しの力が欲しいと切望したこと、それらのすべてを私は何か、自分の為に、利用するために
握りしめている気がしたんだ。でも、私が握りしめてたら、彼女は自由になれない、天国にいけない、
みたいな気になってしまって。あああ、手放そう、って思えたんだ。
もうあたしは大丈夫だから。彼女の思い出にしがみつかなくてももう大丈夫だから・・・

Let her go. I'll let her go... OK.

いくつか、気づきもあった。一昨日かな?ツタヤにDVD返しに行こうとして、店のドアが見えたときに
ふと「何も問題なくって、いいんだー・・・」って思ったの。脈絡皆無で。


ずっとずっと、なにか問題を解決することばかりに、血道をあげていた気がする。
もちろん、いまだって、いろいろあるよ。アトピーだって良くはなってきてるけどまだまだだし、
仕事のことも解決してない。けど、とりたてて今、何か、どうにかしなきゃならないことに、
駆り立てられていない。その感覚が、新鮮だった。・・・あ、問題、なくっていいんだ・・・って。
自分にもそれが許されるんだ、って。


だから、今日とかも、いいお天気やぁ、って窓の外眺めながらごろごろして、寝転んで携帯ゲームで
遊んでたけど、「幸せじゃないか」って思ったんだ。とりあえず、今、幸せじゃないか。
だったら、それでいいんじゃない・・・?って。そんなこと、ついぞ思えたことなかったのに。
幸せ、なんて、本当には自分にはありえないんだ、というのかなぁ・・・
幸せ、という状態になっていることに、どこか抵抗があった。恐怖心、に近いかもしれない。
幸せになったら終わり、みたいな。幸せになったら、向上がない。ただただ漫然と、
だらけるだけだらけて自分の人生が終わってしまう、そういう自己不信感と焦燥感があった。


今、私に「しなければならないこと」がない。何してもいいし、しなくてもいい。
そういう、感覚をもてたのは、初めてに近いかもしれない。
いつも、「しなければならないこと」に追い詰められるように生きていた気がする。
もしくは「しなければならないことがあるはずなのに、それが何かわからなくてチリチリする」とか。
もちろん、「したほうが良いこと」や、他人から見たら「コレやっとかなあかんやん、やばいことに
なってんで」というようなものもある(←洗濯物の山とかな・・・☆)。けど、自分の中でそれは
「したほうが勿論いいけどしなくってもまぁOK。死にゃしねーし」というものとして、
私の不安感や自己否定感を刺激してくるものではなくなっている。したくなったらすればー?的な。
それがね、なんか、とっても画期的なんだ個人的に。