年末になって、TV各局で震災報道や紛争報道が増えている。なんかあんまもう、なんとも思わなくなってる、
戦争のことも。原発のことも。本当は、いろいろ動いたほうがいいのかもしんないんですけど。


でも、思っちゃうの。原発は、何の象徴なのだろう。この世界が私の心の反映なら、
私はなぜこの世界で原発を必要としたのだろう。チェルノブィリの事故のときも覚えている。
小学生だった。傘を忘れて、それなのに、その日休んだクラスメートに家に
プリントを届けるよう担任に頼まれて、雨にぬれて、母がひどく取り戻していた。
忘れていたな・・・あたしだって、原発事故のあと、無防備に雨にはぬれたんだ、10歳くらいの頃に。
・・・まぁ、そのあとは、たいした量ではなかったろうけど。今回とは違う。


小学生の頃、アニメ「はだしのゲン」の上映会に行って、途中で気持ち悪くなって、
みていられなくなって出てきてしまった。
母親はフランクルの『夜と霧』の写真で吐いた。女子高育ちの友人はうちのサークル部屋の汚さで吐いた。
あたしは吐かなかったけど、はだしのゲンに耐えられなかった。


放射能。怖いよね。とんでもないパワー。冥王星的な。生き物の根底をくつがえしてしまう力。
だれもなにも制御し得ない無限の力。

そう、原発なんて、人間がコントロールすることなんてできやしないのに。

根源的な力。コントロール不可。
ここらへんが、キーワードなのかも。もはや、制御できるという幻想にひたる時代はおしまいなのだと。


ゆさぶられた。ゆさぶられた。Wake up call。崩壊するのだ、と。
これまで、まるでよくできたおもちゃのように精緻に動いていた日本社会は。
虚構の壁が、ガラガラと崩れ落ちる。音を立てて。
古いものを海が根こそぎ持っていった。比較的変わりにくいエリアを選ぶかのように、
ほとんど強制的に。変わらざるを得ないように仕向けられているかんじだ。


根源的恐怖。死ぬかもしれない・・・! 人が、本当に”ごろごろと”死んでいく。
リアルタイムで。ほんとうに、あっけなく。人というのは死んでいく。カタチあるものは崩れ去る。
気仙沼の、夜の大火をTVで見て泣いていた。
数ヶ月のちにFlash Forwardというアメリカのドラマを見て、しょっぱなの惨劇のシーンを
悲しい思いで見た。これは作り物なんだよな、って。

こんなんじゃ、びくともしない人間になってしまった気がして。
実際には、あたしはそんなすごい映像、ぜんぜん生では見ていないにもかかわらず。


9ヶ月もたつと、本当にそんなこと何もなかったように日々は過ぎていっている。
でも「もう世界は変わってしまったのです」・・・原子力のPower。強大な力のコントロールはもうやめる。
予定調和な社会の終焉。旧いものの死と再生。私の力も、封印はもうとかれていること。
力をあけわたして誰かのなにかの言いなりになったり、無力を誇示して操ろうとしなくていい。
・・・もう、いい。そんな時代はすべて終わり、と、そういうことらしい。


吉田家から帰ってきて頭痛。水飲んで眠って午後になってもまだ痛いので、二日酔いではないみたい。
またゆるんでいるから、痛いのかも。眉頭から頭に向かってこめかみのほうへ・・・
なんなんやろこの頭痛?と思ってセラピーカード引いてみた。こんなんで有意なものでるのか?
と思ったら、Other Lives過去生が出ました☆


・・・古い僧院。ヨーロッパ中世か。薔薇の名前の世界。暗い室内に閉じこもって、
ひとり、真理を探していた男。年老いて、体もあちこちこわばって、
残り時間がもはやわずかであることを悟り、絶望している。求めても、求めても、見つからない。
見出せない。神はどこにいるのかと。なぜ衆生をお救いくださらないのか・・・!


その人生のなにが、今の私を止めているのか。


やめておけ。神などかかわるのはやめて置け。どのみち絶望することになるのだから。私のように。


その人生で、私は何を学んだのか。ギフトはなんだった?


神について考えつくした。調べつくした。そして、人々が思っているようなかたちでは、
この世に顕現して奇跡を行ったりはしないと知った。

調べる楽しみ、思索する楽しみを味わった。もう、僧院でやることは、終わったのだ。
神は、僧院の書庫にはいなかった。私は気づくべきだったのだ、私たちの一人ひとりが
それぞれ神の一部であることを。もっと、生身の人と交わるべきであった。

そして、私自身のことも神のあわられの一つとして慈しむべきであったのだ。私はそれをしなかった。
むしろ、ムチ打った。満たされぬイライラをぶつけ続けた。自分への失望感をもてあましていた。
同じ轍を、踏んではいけない・・


2枚目。Communicationコミュニケーション。ひきこもりから抜け出して、再び世界と触れ合うこと・・・

3枚目。Success成功。ほへぇ。本当?嬉しいなぁ、って思うけど。


なんかねぇ、ドンキでルクレのシリコンスチーマーが安く売ってんの見つけてさぁ、
気になってしょーがないのよね☆なにがいいんだっけ、どんな料理が作れるんだっけ??
料理本とかのぞいてみようかなぁ・・・それで何を作りたい、ってのはよくわかってないんだけど(爆)

バカな話なんだけど、今日起きて下に降りてって、おおぉと思ったの。

すげぇ片付いてるー、自分の家じゃないみたい、って。をいをい。

・・・前がどんだけ散らかってたんじゃ、っていうのと、

片付いてることに違和感おぼえてちゃ、この状態続かれへんやん、っていうのと。

早晩もとの「なつかしい」状態に戻してしまうに決まってる。

そんなに長い間、モノとホコリとにまみれた空間で過ごしてきたということなのね(泣)。

まぁ、でもさぁ、まだまだ、やばいとこはあんねんよ??玄関とか2階の洋間とか

外回りとか・・・草抜いたりせな、と思ってのびのびのびちゃん、のび太くん。

斎藤学『自分のために生きていけるということ』を読み返して、また泣いている。また、反応している。
まだまだPTSDがあるのだろうなぁ。対人恐怖は、むしろ先鋭化しているようにも思うもの。
神のこと。人を信頼すること。コントロールを手放すこと。そういうテーマが上がってきている。
そこに、やっぱりまだ、抵抗を感じている。


小学校低学年の頃にふと「頼りになるのは自分だけ」と自覚した。
他人は、私を(究極的には)助けることはできない。最終的に、頼れるのは自分だけなんだと思った。
自分しか、いないんだ・・・。それは、さびしさを突き抜けたもっと違うものだ。
寂しさはあるんだけれども、そんなものを感じている余裕すらない。感じても何も意味がない。
それが満たされることはありえないのだから。そんな感傷に付き合う余裕があるのなら
私は自分の力で自分のことを何とかしなければ。他人は結局のところ、助けてくれないのだから


そう思うようになったきっかけは喘息やアトピーだったと思う。どれだけ苦しくても、だれも
私の身代わりになることはできない。だれも、肩代わりはできない。
周りの人間が、どれだけそうしたいと思っても、無理。・・・でしょ?


自分のことは、自分でする。他人など、頼らない。頼ったってろくなことないし結果が予想つかないし。
だから、すべて自分のコントロールのもとにおいて、やっていきたい。
そうやってあたしはやってきたのだよなぁ、ずっと・・・


それは、覚悟であり絶望であり、ある種の自負でもあった。
自分の設定した高みに、自分を駆り立て、追い込み、そして達成するのは、ある意味楽しかった。
無力感を慰めることもできた。

ただ、それが続くと、『際限ない自己改善プログラム』の輪を廻しつづけることに疲れてくる。
どこまでいっても、あたしは自分を「よし!」とは思えなかった。
まわりの子たちと比べて、あれもできないこれもひどい、そんなあたしが嫌いで嫌いでならなくて
ある日を境にウツになってからようやくそのおかしさに切り込めるようになった。


だって、私は当時そこそこのものを達成していたのだもの。外見も、業績も。
ギツギツにはりつめて、ようやく達成したもので、ひとつゆるめたらすべてが崩壊してしまいそうな
あやういものだ、という感覚はあったけど、それでもそれなりのものを維持することができていたのに。

そうまでして作り上げた“自分”がまったく好きになれない。そして、もうこれ以上
続けられない、という感覚。燃え尽きて疲れ果てて引きこもって。すべて、瓦解させた。


何もかも切り離したところで、自分は何をして生きるのかと。自分を使って人体実験してる気分だった。

・・・なんだけど、今年の2月くらいからずっと、ある種の流れがきている。
コントロールを手放せと。神への信仰。大いなるものに生かされていること。
私の力で起こせることは、実は限られていること。


文章も本当はそうなんだ。あたしは大量に、それこそ連日30頁くらい書くこともあるけれど、

それは自分で書こうとして書いてるのとは別物なんだ。

あたしのコントロールのもとで書いてはいないの。前もってあたしが書こうと思っていたことが
そのまま書けることは、実はほとんどない。書くことには流れがあって、そこに抗ったとたんに
あたしの中で聞こえていた言葉は消える。だから、あたしは自分が何を書くことになるのか、
実のところあんまりわかってないまま、猛スピードでペンを走らせている。


じゃあチャネリング的な?というと、そうでもないような・・・
私自身が考えて書くのとは違うんだけど、私以外の思考、というかんじでもない。


2月にGary Renardの本と神のことブログに書いて。

311では本当に奇跡的に、何一つ被害がなくて、親も海外旅行中で煩わしくなくて。

11月30日は財布のことでまた人の温かさを知ることができた。

私ほど、財布をどこかに置き忘れ、そして無傷でどなたかに届けてもらえてる人も珍しいのかもしれん☆

その前に買った自然石のおみくじで、人の温かさを思い出させてくれる、とのメッセだったしさ。

人は、優しいんだよ、って、いわれているのかもしれない。

自分以外は、何もだれも頼りにできない!!というところから、脱却しようとしているのかもしれない。


スペザーノのセラピーカードに出会ったときもHolinessと「神」のカードを引いたし、

インド占星術の鑑定でも神の加護がすごく強調されてたしさ。やはりそこですか・・・って。

パワーゲーム。お前の言うとおりになんかならない!!という憤り。

「なにがそんなに自分をつっぱらせているのか」

・・・自分なんてもうコントロールできない。パワーをあきらめる。それが自分を正気に戻す。

意志の力の信仰をやめ、あるがままの自分を受け入れると決める・・・それがAA(アルコール・アノニマス)の柱。「こんな自分でいいんだ」「他人の目におびえながら生きるのを、もうやめていい・・・」そういう、「これら自分の経てきたステップを、まだ○○することの努力に溺れている人々に正確に伝え」る(斎藤、p.209)、それが、きっとあたしが今やっていること、こうして書いていることなのかもしれないな。

> お忙しい中鑑定結果をありがとうございました。

>

> アトピーって新しい病かと思っていたら双子座ラグナだとそうなの??生来って、じゃあどうしたらいいんだ?など思うところはありますが、仕事の継続性の弱さはかなり納得でした。

>

> スミマセン、一つだけお伺いします。

>

>> 木星期が由佳さんの場合はその時期でしたが、それがもう終わろうとしていますので、今までの様なやり方では上手くいかなくなると思います。

>> ただ、その流れに身を任させて、新しい生き方新しい流れを見つければまったく違った形で夢が叶う可能性があります。

> とのことですが、「その流れに身を任させて、新しい生き方新しい流れを見つければ」というあたりがわかりづらいのでもう少しご説明いただけますか?

>

> よろしくお願い致します。



アトピーや皮膚疾患の人を調べると大抵の人が双子座との絡みを持っています。



由佳さんの場合、ラグナが双子座、月も双子座、そして、凶星の火星も双子座にいるので、身体的な面に火星の良く無い要素があらわれているんだと思 います。



対処法としては、火曜日に火星のマントラを毎週唱えると火星の悪い面を解除できます。



オーム フーム マンガラヤ ナマハ



というマントラを108回唱えてください。



後は、信仰心を持つこと、瞑想や心の修練をすることが惑星の悪い面を抑えることに繋がります。

神サマに誓って、肉を食べないと決めることも、神サマの加護を得る事に繋がり、こうした身体的な問題が改善する人もいます。



ナバムシャというもう一つのチャートで見ると双子座の場所には木星がいます。木星はグル、指導者、神の加護を意味しますので、

神サマの加護をえることで肉体的な問題を改善できる可能性を持っているとみることができます。



土星期になると今までのやり方が自然と通用しなくなります。色々な事が遅延します。また、障害や邪魔が増えて来ます。

ですが、それもすべて神サマの試練と思って、あまり焦ることなく、受け容れることです。



人生において、一番成長出来るのは土星期だと言われています。その時期にそれまでの自分の癖や、悪いパターンを見直して、

変えることで、確実な成功やブレない自分になれます。



土星期の様々な問題を避けるのも、同じく、神サマの信仰心や、日々の瞑想が一番有効です。



いずれにしろ、ご自分が考えている方向や想像したのとはまったく違った方向に人生が流れて行きますので、

その時に抵抗しないことです。そうすると最終的には土星期は良い時期だったと後で分かります。

鑑定結果お知らせします。

1,仕事について、

インド占星術でも10室に惑星が集中しています。ただ、継続力を意味する惑星との絡みが少なくその為、才能があってもそれを
使ってずっと一つの事をするということが難しいチャートです。

11室(願望)に木星とケートゥが一緒にいることからも、とても理想が高すぎて、それに現実が見えてないという点が見受けられます。

双子ラグナの方で、支配星の水星は10室にいることから生来的に仕事が人生のメインテーマであります。

ラグナの一室には月と火星が一緒にいて、これは非常に頑張る人というのが見受けられます。

現在、木星期で、11室の時期でしたから、この時期なら本来は自分の夢を叶える可能性もあったと思いますが、ケートウと2室の土星の二つの
凶星の影響でその夢が途中で挫折したんだと思います。

向いている仕事というのは今までやられていた仕事はすべて向いています。また現在の講師の仕事もベストです。問題はあなたの場合、何でも
出来てしまうことです。なので、大切なのは向いている仕事を探すのでなくて、ある程度のところで妥協することです。そして、そこに留まること、
ずっと続けることを通じて学ぶことが大切です。

良く適職、天職と言いますが、天職というのは自分に向いている仕事の事を言いません。天職というのはずっと続けている仕事の事です。
なので、自分が嫌で、向いてないと思ってもずっと続けている、あるいは続けられているのならそれは天職です。

こんな話しがあります。前にテレビで女優の薬師丸ひろこさんが出ていました。14才で映画デビューしてずっと女優を続け来ましたが、彼女は自分は
ずっと女優には向いて無いと思っていたそうです。あるとき、イギリスかフランスでカウンセラーに相談したそうです。「私は今の仕事は向いていない 気がします。他にどんな仕事が向いていますか?」

カウンセラーは彼女が女優だとは知りませんでした。「あなはその今の仕事をどのくらいやっているの?」
「子供の頃からなので、30年ぐらいになりますかね?」

カウンセラーは大笑いしながら・・・・「あなたね!本当に向いて無い仕事だったらそんなに長いこと続けられる分けないでしょ!それはあなたの天職 だよ。」

それで薬師丸さんは気がついたそうです。ああ、好き嫌い関係なくずっと続けていることが天職なんだと。

もう、あれこれ探し回るのは辞める頃だと思います。

というのも、もう木星期が終わります。

来年から2031年まで試練の土星期に入ります。

土星は2室(家族、収入)にいて、8室(カルマ)、9室(精神修養)を支配していることからも、土星期に入ると今までの様に
色々と動くことは出来なくなります。もしかしたらずっと地元にいることになるかもしれませんが、それを通じて我慢すること、
あれこれと手を出さないことを学ばされます。

インド占星術では、才能があっても、その才能が開花するには適切な時期が必要と見ます。

木星期が由佳さんの場合はその時期でしたが、それがもう終わろうとしていますので、今までの様なやり方では上手くいかなくなると思います。
ただ、その流れに身を任させて、新しい生き方新しい流れを見つければまったく違った形で夢が叶う可能性があります。

土星期になると私達は自分の思いを手放さなくてはいけなくなります。それを試練と取るか、神の導きと取るかは人それぞれです。

2,アトピーについて

双子座ラグナの人はアトピーになりやすいです。月がラグナにいて、火星からも傷ついているという点からもアトピーは生来的な物だと思われます。
なので、両親がどうのこうのは関係無いです。たしかに2室土星で家庭的には厳格な家庭、あまり愛情を受けてないとは取れますが、ラグナそのものが
傷ついているので、これは生来的な傾向として、受け容れることが大切です。

他に何か質問があればご連絡ください。


> ■ご用件
> インド占星術メール鑑定
>
> ■メッセージ
> いつもブログを拝見しています。これまで西洋占星術や宿曜経、タロットなどに興味を
> もっていたのですが、近頃なんとなくインド占星術に魅かれ、本などを読んでチャート
> を読み解こうとしています。しかし、なかなか、パーツではなく全体としてみることが
> 難しく、鑑定をお願いしようと感じるようになりました。
>
> 気になっている点は次の2点です。
> 1つ目は、10室に多くの星が入っているわりには、なかなかこれぞ!という仕事に出
> 会うことができません。大学院でアメリカ教育政策を研究し、大阪で不登校のNPOに従事
> したあと、今は地元で塾講師をしています。今の仕事をずっと続ける気はないものの、
> 次が見えてこない焦りを感じています。どのような仕事をしていったらいいのか、この
> 人生で私は一体何をすべきなのか、鑑定をお願いしたいと思います。
>
> 2つ目は、生後数ヶ月からアトピーに悩まされています。また、仕事で不在の父と専業
> 主婦の母の間に生まれた一人娘であり、いわゆるアダルトチャイルドです。2室の土星
> がきいているのかなぁ、と思いつつ・・・身体的・精神的での健康についてアドバイス
> をお願いできればと思います。
>
> 以上、よろしくお願いいたします。

とてもショックなことがあれこれ。タオ指圧後、施術を受けることについてどう感じているのか訊かれて。
なかなか、質問の意図がわかんなかったんだけど。いや、毎度のように遅刻してしまっているからさ。


嫌ではない。受けたら気持ちいいと思う。けど、楽しくはないよな、確かに・・・
なんでこんなことにばっか、時間もお金も使わなあかんねん!!って自分に対して向いてしまう
怒りがたしかにあるな、って。だから、うまく答えられなかった。

この、自分への怒りのことを話したとたん、涙がぽろぽろっと出てきて、驚きだった。そんなにも?って。


・・・後ろ向きな気持ちのまま、なにかの義務のように中野に行っていたことも確かで。
そういう状態のあたしを治療するほうも苦しいんだ・・・って、初めて知って、とても申し訳なく思う。
とりあえず、少し間をおいてみようかなぁ、と思っている。それでどう感じるかは自分でもわからない。


自分でも、よくわからない。義務感たっぷりでやる以外の在りかたが、わかってないかんじで。
治療してもらって、楽になってうれしい!ありがとう!!という感激は、正直ないんだ。
体の感覚が鈍くなってしまっているから、そんなに際立って変化を感じられはしないのよ。
むしろ、麻痺してた部分に血が通いだして違和感が生じて、余計に自分がどれだけ凝っているのか
意識してしまうくらいで。翌日はけっこうだるさも出るしね。


おなかのあたりに、ずうぅぅんと重たいものがある。それが今日はことさらにうごめいているな。
母から留守電が入っていた。ろくなことないから、身構えてメッセ聞いたんだけど、うちの水道が
もれて、近所の人から本庄の母のほうに電話連絡がいったらしい。またかぁぁぁ・・・
うちの水道、1年くらい前に大がかりに掘り起こして工事したのにーまた水道屋に行かにゃ☆


なんかもぉ、今日はそぉゆー日なのか・・・?って気分。ふんだりけったり的な。

あたしって本当にどうしようもない人間のように感じてしまうのよねこういう時。
なんなんだろう本当に。何が起こっているのあたしに?・・・泣きそう。だれか助けて。

でも、あたしがそういう助けの手をすべて振り払ってしまっている気もする。


スポーツクラブも、やめるしな。どうしても「余計なことに時間と金を取られてしまう」
という感覚になってしまうから。価値を感じられてないらしい、いまいち。
じゃあ何が「余計でないこと」なのかはよくわからないのだけれど。

たしかに、書くことと本を読むこと、は存分にやりたいけど。日頃、特に予定のない休日だって
そんなに有意義に過ごせているわけじゃあないのに。何をしたいんだろう、私は。


指圧とかしてもらうと、思わず意識が飛んでしまう。時には、いびきかいて寝てたりもする。
日頃、過緊張だから、触れられてゆるむと意識を持っていかれてしまうらしい。
そんなにいっつも、緊張して過ごしているんだろうか?


まぁ、そうかも。リラックスとかって、よくわからない。
いつもどっか、辛いもん。追いまくられているし。何に追いまくられているんだろ?
あれやらなきゃ、これもこうしてああして、って、考えるだけでうんざりして足がすくんで
布団の中でまるくなってうずくまっていたくなる。


あたしの人間関係全般、やばいのはなんとなくわかっているけども、
他人とつながりたくなんかないぃぃっ!!とどっかで絶叫している自分がいるな。いっつもじゃなくても。

自分ひとりだけで、幸せになれたりはしないもんなのかなぁ・・・なんか、自分の好きなものとか
収集してそれに没頭していられる人とかさ、それで幸せでいられるのはすごいうらやましい、とか思う。
どういうのが「楽しい」なんだかも、なんかもー最近よくわからないよー・・・(泣)



・・・あぁぁあぁ、今日はどういう日なんでしょー・・・。ハンズで買い物して、駅構内のカフェに
入って、がつがつ一通り書いて、そんで川口に戻ってきたら・・・財布がないっっっ!!!
ということで、30分近くかけて、またもや来た道を逆戻り。いやもぉあのカフェ以外にありえない、
たーのーむー・・・と祈りつつ戻った。店が見えてきたらもうどきどきしてたまんなくなった。
あってもなくても、とにかく神様にありがとうと言おう、と決めていた。ら、祈りが通じたのか?ありますた!!!

カフェのお客さんが届けてくれたらしい。お金も何もすべて無事で。ああぁ良かったー・・・。


人とつながりたくなんかない!という思いをどうしよう、とか書いてたらこれですわ☆
なんなんざんしょ、このタイミング。こないだも、ちょっとしたおみくじで
「人の温かさを思い出すことを助けてくれます」みたいなメッセージをひいてたの。

しかしそれにしても、あたしもよく財布を置き忘れるよなぁ。で、ほとんど毎度、よく無傷で
出てきてくれるよなぁ・・・たぶん、人生で5度目。少しは学習しろ自分、というのと、
本当に、人は温かいものなのかもしれない、ということと。


届けていただいてみつかった財布を抱えて、ほっとして乗った帰りの電車のなかで、
お願いしていたインド占星術の鑑定結果メールが携帯に届いて、また「うわわゎ、そーなんか・・・」
とくらくらきていた。なんか、いろいろあった日だったなぁ・・・はふ。

土曜日はまたもおよそで飲んだくれて騒いで午前様。でもおなかすかなくて5時過ぎまで寝てた。

のどかわいて水飲んだら、冷たさがおへそのほうまで流れてきた。胃下垂。気虚。

漢方的には「気」が足りないらしい。気は内臓の位置も整えてるらしくて、

気虚だと内臓が下がってきちゃうんだとか。気虚→虚弱体質。そうなのよ。そのとおり。

でも、気虚だから、虚弱体質だから養生して、っていうのも、なんかちがうな、って思って。


生きててもどうでもいい・・・ってなってるから、そうなってるわけじゃない?

いまひとつ、「生きていたい」「生きてて楽しい」って思えない。わくわく感とかない。

だから、気虚にもなるさ、って思う。こっちをなんとかしないと、養生なんて退屈だし、

我慢ばっかでますます弱りそうな気がするよ。


虚弱体質。確かに、体質は悪いんだ。治療を受けても、なかなか効果が出てこない。

でも、「あなたは体が弱いから」という刷り込みを、受けている可能性もあるよな、って、思ったんだ、

母親から。あなたは体が弱いんだからどーでこーで・・・って、行動を制限されるようなことを、

だいぶされてきた。だから、その思い込み手放したら、どうかな、って。


また酔っ払ってTV見て騒いでたんだけどさ、あたしって、酒飲むとおしゃべりになりテンションが上がり、

理性のしばりがとれて感情表現が激しくなる。でも、あたし、酔っ払ったとき出てくるものって、

そんなに攻撃的でも見苦しくも(多分☆)ないんだよな、って思ったの。

よく、アル中の人って酔って家族とかに暴力振るったり、物壊したりするっていうでしょ?

それは、怒りを攻撃性を抑圧しているからでしょう?けど、あたしはあんまりそうでもないな、って。


もちろん、酔って攻撃性を発揮≒男子ぶん殴ったりしたこともあるけど☆ここんとこは、そうじゃない。

なら、さぁ、・・・酔わんでも、出せばいいじゃん?思ったことそのまんま言って、感じたまんまに

笑って騒いで泣いてってすればいいじゃない??それほどまで押さえ込む必要のありそうなものじゃないのに、

何故に私はこんなにもキツーく抑圧しているんだろう。


楽しそうに騒いでたら「うるさい!!」って怒られたのかな?娘をお行儀のいい上品なお嬢にしたかった

母親のもとでさ。言いたい放題言って、うとまれたのかな?記憶なんてまるでないけど。

本当すぎることって、一番イタイから。嫌がられたのかな。楽しそうに騒ぐことを、許されなかったのだとしたら。

テンション上げて、思うように感じるままにふるまうことを禁じられてきたのだとしたら。

・・・私が酔わないとそうなれないことも、つじつまが合う気がする。でもさぁ・・・いいんじゃね?

もう、誰に迷惑かけるでなしハイテンションで過ごして何が悪いんだろう。今からでもいいじゃない。

酒飲まんでも一人でも、楽しい!!って感じて生きたっていいじゃない。

今、そういうのをあまりに抑圧しているから、こういう生気の感じられない体を

もてあますことになっているのでしょ?そこまで、押さえ込まなきゃいけないものでも、ないんじゃない?

私の場合。幸いにも。そこまで、危険なものじゃないよ(でも、子どもの頃は危険だったのね・・・)。


なんとなく、わかる気もするんだ。小さい頃のわたしは、やっぱり、わりとおとなしくて根暗な母親ひとりの

手には負えないほどやんちゃだったんじゃないかな、って。怒るときはものすごい勢いで怒っていたもの。

口も立つし、手も出るの。親と本気の口げんか。小学校では男子ぽかぽか殴ってどなって、

男子トイレに逃げ込んで「ここまでは入って来らんないだろ、や~い」とか言ってる奴に「ふざけんな!!」って、

椅子蹴り込んだりモップ投げ込んだりしてた。スイミングに行って(行かされて)いて

肩と太ももの筋肉が相当に発達してて、デブでもあったしムチムチで。走るのは遅かったけど力はあった。

男子とサッカーしても、当たり負けしない程度には。うん。相ッ当にパワフルな子どもではあったんだ。

気も強くてさ。いったい、どこに行っちゃったんだろうねあのあたしは、と思うよ、今。全然、違うもの

(まぁ、今、男性社員にモップ投げつけてちゃヤバイがな☆)


大学1年の夏を機に、一気にやせて、それっきり太っていない。どんだけ食っても飲んでも、太らない。

世間でダイエットだのなんのと言ってる中で、それは楽でいいのだが・・・でもあまりにやせすぎなんだよなぁ。


大学1年の夏。母親が入院して、父親と2人暮らしで、止める人がいないから、2人で好きなだけ

飲んだくれていた(これを機に、私は女子としては異様に酒に強くなる)覚えしかないんだよなー・・・。

何があったんでしょうか、あの夏に。ストレスフルな中学時代と、大学受験を終えて、ほっとしてはいたと思う。

酒で酔っ払うことを覚えたのと、やせたのが同時期。これは何を意味するんだろう?


小学校では暴れていた。中学ではひたすら我慢でマンガや音楽におぼれるしかなかった。

高校は前半は音楽、後半は勉強。そして大学。


夏休み。初めてのバイトをした。駿台の模試監督のバイト。冷房がきき過ぎてて風邪ひいて、

こじらせて気管支炎起こして3週間寝込んだ。高崎まで病院に行ったら、バイト代より

治療費のほうが高くって、「もう働かなくていい!!」って言われてしゅんとしてた。

そんな記憶もあるな。あたしには、働くなんて無理なんやー・・・って。


酒飲んで酔っ払う楽しさ。今の自分からの逃避。今の自分から逃げ出したい。

実際、逃げ出してしまっていたのかも。私はこの数年後に、しょっちゅう飲んでる間の記憶をとばすようになる。

そのときは、本当に思い出したくないほど(というか断片しか記憶はないんだけど)醜態をさらしていた。

ストレス満載だった頃。ドン引き確実なネタなら、この時期だいぶ仕入れた。

正直、よく死ななかったと思う。本当、よく、無事だったと思う。


私が、私という本体が、今の自分を嫌がって肉体という器から逃げ出していたら、

とり残された肉体は、その分衰弱するのかもしれない。


酒飲みだす前だって、逃げ出したかった。だから、空想の世界に、マンガに小説に音楽に、逃避した。

だけど、これらと酒とでは体に実際に変化を起こすという面でその効果が確実に違う。

より実質的に、逃げ込める場所を、あの頃にあたしは見つけてしまった、ということなんだろうか。


大学1年で酒が飲めるようになり、酒量はじわじわじわじわ増えていった。ピークは大学院の頃だな。

買い物好きな祖父がまだらボケになってきて、判断力鈍って同じようなものを大量に買ってくるようになって、

それが一時期はウィスキーで、飲みきれなくなった伯父から私や父に大量にまわってくるようになった。

シーバス・リーガル、ジョニ黒、バランタイン、アーリータイムズ、ジャック・ダニエルズ、IWハーパー、

フォア・ローゼズ、ホワイトホース・・・ぱっと思い出してみるだけでも、これだけ出てくる。

しかも、何本もだしな☆一人暮らしなのに、缶ビンの日に空きビンごろごろ出すようになってしまった。

ま、銘柄とかスコッチとバーボンの違いとか、いろいろ覚えられたからいいけど~

(ちなみにおいらバランタインが好きだっ)。


ウツの頃に、さすがにヤバイと思うようになった。これはちょっと、アル中といわれても仕方ないんじゃないか、

って・・・2ヶ月、一日も休肝日を作れなかったことに気づいたとき、ヤバイかも・・・って始めて思ったのね。

ただ、ちょびちょび飲んでるだけだ、依存なわけじゃない、やめようと思えばやめたっていいけど

別にやめる理由もないからな、くらいに思ってた。

・・・けど、2ヶ月くらい、今日こそは今日こそは、ってやり続けてるのに気づいて愕然とした。

今日こそは飲むのやめようと思えば思うほど、そのことばっかしか考えてない。考えられない。

飲まないと一日を終えられない。まさに、中毒。


結局、日本にいる間にはどうにもできなかった。カナダに行って、最初の一ヶ月がホームステイで、

ホストマザーが飲まない人で、そこでようやく半強制的に断酒できた。

しかも、カナダって州直轄のBCリカーという店くらいでしか酒売ってないのよね(←土日は閉まるしな。ありえねぇ)。ノンアルコールのビールやらワインやらもあって。だいぶ、お世話になった。


まぁ、今はまた飲んでいる。よっぽど飲みすぎた次の日くらいしか、酒は抜かないけど、まぁ、いいか、というところ。昔みたいな量じゃなし、って(いやぁ、どうかな・・・☆)

2008年に引導を渡された。父から。もうこれ以上援助はできないと。働いて、自分で生きるようにと。
なんだか、裏切られたような気分になった。心もとなさも、感じた。


あれほど、自分たちの「愛情」を一方的に押し付け、それを受け取るように強いてきたのだから、
あたしの欲求やわがままは満たされてしかるべきだと思ってきた。
彼らがつつましく暮らしつつも、あたしが求めたら数十万の資金なら出してくれて当然と
思ってきた。それは、彼らの「愛情」を受け入れる代わりに支払われる“代金”のように思っていた。


でも、そうではなかったらしい。さんざん、あたしに「うちの人間なのだからお金を稼ぐ能力はない」
だの「こんな不況のときに就職することはない」だのと言ってきたくせに。
なんだよ。あたし結局、自分で働いて自分で食ってかなきゃなんないんじゃん。

(いや、そうするつもりではいたけどさ)。


あんたら、結局あたしの欲しいもの(=お金)はくんないんじゃん。

・・・どっかで、ずっとすねをかじりながら依存させてくれて、生きていくのかと思ってた。
さびしがりやの彼らも、なんだかんだと言いながらそれを望んでいるのかと思ってた。
あんまりかじり甲斐のないすねだから、加減しなくちゃね、くらいのことを言っていた。思っていた。

だから、いきなり突き放されてショックを受けていた。2008年の暮れ。正月休みで帰ったとき。
あれから、もうじき3年になる。

昨日、親たちが来て野菜をしこたま置いていった。何を考えてるんだかわからない。一人暮らしの人間が、どうしてコレだけ食べられると思うんだろう・・・というくらいの量。かなりブルー。かぼちゃは、とりあえずでかくて包丁入れられる気がしないので、よくお邪魔している指圧師さんのおうちに持ち込むことに決定。ほかのは、どうしようか・・・大根ニンジンごぼうカブ水菜青梗菜ホウレン草・・・自炊なんかしたくないのに。キレイにはなりたいんだよ?でも、そのための努力をしたくない。苦痛なの。「あれだけやったのに・・・!」って想いが出てきてしまう。数年前。さんざん、いろいろ、努力したんだよ。それでも、大して良くなんなかったじゃない・・・!という怒りと嘆きが、すごいあるみたい。


本当は、いろいろあれこれやっていたから“その程度”で済んだのかもしんないし、集めたマクロビやらメディカルハーブやらの知識もいずれ役に立つ、のかもしれないんだが。なんかねぇ、すごい「恨み」になっちゃってるの。あれだけいろいろ我慢してやったのに!!もうお前など信用せぬわ!(←だれ?)って。ずっとずっとこういうしんどいまんまでいたいわけじゃない。でも、「こうしたほうがいい」という情報があったときに、ひどく苦々しい気持ちで、ソレをながめてしまう。どーせあたしにゃ効かねーよ、って、ひねこびていじけているみたいなの。どーせあたしにゃ効かねぇよ、これまでもそーだったもん、って。


効いてほしく、ないのか。拒食症の子がいざ肉付きが良くなってくると「普通」になってしまう、というので抵抗する、っていうことがあるらしい。なんか、わかんなくもないなぁ、って思う。私も、経験あるもん。大阪の頃、かなりステロイドもなんもなくても調子良かった時期があって、・・・あー、それでも、こんなもんかぁ・・・って思ったの。なんとなく、さ。アトピーでぼろぼろの時間がものすごく長いから、肌がキレイになったら、なんか自分がものすごくキレイになれるような幻想があったのね。でも、考えてみたら、アトピーが普通の肌になったって、マイナスがゼロになっただけで、すごい「普通」なんだよね・・・。その上に、いろいろ積み重ねてプラスにしていかなくっちゃなんないんだよね。なんつーか、愕然としたなぁ。


あたし的には、すごいこと成し遂げたつもりでも、世間的には所詮、ゼロじゃん・・・って。どーってことないことなんだ、って。がっくりきたのかも。今は、普通以下だから、普通になりたいと思うけど、いざ普通になったらさ、そのあまりの「普通」さに、なんの喜びも高揚感もないもんなんだなぁ・・・って。で、結局、所詮はゼロに過ぎないんだし、この先プラスにしていかないとなのかー・・・あたし的にはすごいがんばってたどり着いた場所なんだけど、結局ふつーの人のスタート地点に過ぎないのかー・・・まだいろいろやってかなきゃなんないんやー・・・って、一気に徒労感がおしよせてね、へこんだの。


でも、当時はそれ以上やる余裕なんかないよーっっってかんじだった。まだまだ毎月少ないお給料でかつかつの生活だったし。服もメイクも、そもそもどーでもいい人なのだもの。仕事始めてからは、どうしても外食が増えたし。疲れて、ストレス発散!!という欲求も強かったし(それは今もだけど)。学生のときとはやっぱり違う。こんだけ我慢したんだから!!酒飲ませろ!ビールだビールッッ!!ぐび、みたいな(おやじか・・・)。


野菜も、好きじゃないの。いっつも、ずっと、義務として食べてるかんじで。ほんとはおいしいんだろうけどね。でも、時折自炊しても、すげえ投げやりに、作ってるのがわかる。憎しみみたいのすら、あるみたいに。あえて食べずに腐らせてみたり。何してんのやろ、と思う。腐らしたって臭うだけでさ、なにも得をしない。だれもいい思いをしないのに。


苦しみ、辛さ、しんどさ、暗さ、憎しみ、絶望、怒り、恨み。そういうのは、まだ私の中に巣食っているね。野菜や健康にいい食品への憎しみや恨みって、なんかちょっとおかしいけど☆ あんたらなんか、食べたくなかったのに!!って。野菜なんか食べたくない。手がかかるしまずい。いや、味がどーこーより、食べざるを得なかった。これまで他のがいいと思っても我慢して、体にいいといわれている野菜なんかをなるべく食べるようにしてきた。その反動が、恨みというカタチで、出てきているらしい。反応しているらしい。


だから、もうここんとこは、カップラーメンでも牛丼でも酒でもケーキでも、なるべく際限なく食べてたの。ポテチはだいぶいっぱい食べて、ようやく卒業できそう。ほんとうは、そんなにおいしいわけでもないのは、多分わかってると思うんだ。だけど、これまで止められてきたその恨みを晴らすためには、やっぱり気の済むまで食べるのが、早いのかもしんない、と思う。今は、肉。これまで、あんまり食べてこなかったの。でも、食べちゃう。いいじゃん。ハンバーグとか、好きなんだもん。焼肉とか、行ったことないんだもん。今の肉たちがあまり食品としては良い状態にないことは知っている。いろいろな薬品まみれだったり、飼育環境が劣悪だったり。人口増や食糧危機を考えたらそりゃあ菜食のほうがいいし、そもそも私はあまり油分が強いと消化できないほど消化力も弱い。でも、今はなんか、肉が食べたいから、食べている。あと、ごはん♪炭水化物とお肉のゴールデンコンビ☆やせすぎだから、それは全然いいんだけども。


ちなみに今はスタバ。やっぱコーヒーが好き☆コーヒーもアディクションだなぁ。酒とどっちが強力かな?しかしなんで飲むんだろね?なんか、飲んでるときしか、幸福感とか開放感が感じられないからかも。私の酒は陽気な酒で、ひとりで飲んでるだけでもTVとかDVDとか見てバカ笑いして、気が向けば歌って踊っている。たまに深夜のドキュメンタリーとか見てツボって号泣してたり☆テンションが上がるの。これはうちの父と同じ。酒が入んないとしゃべれないの。


でも、それについて、元彼さんに、酒の力を借りないとできないのは情けない、と言われたことがある・・・そーのとぉーりでゴザイマスッッ!!あいつ正しすぎてイヤやー(泣)(泣)うちの母と同じおとめ座でさぁ・・・時折、オマエはあたしの母親か!!とつっこみたくなった。財布盗られると困るからバッグのファスナー閉めろとか。平気だってばさー・・・こっまかいんだよなぁぁ本当に。たいていは、あぁはいはいお説ごもっとも!とは思うの。反駁しがたいんですけど、言われてる内容は!でもさぁぁぁ、人間ってそーゆーもんじゃないっしょ?? ・・・といっても、通じないんだけどね(爆)。あーあーどーせあたしがダメ人間ですよう、ってところで、落ち着いてしまう。でもねぇ、そんなん、ツッまんねぇじゃんかよぉぉぉッッ!!


正しいのなんか大キライだ。清く正しく美しく。反吐が出るわ。宝塚の、アレね。清くなんかなりたくない。あたしは泥んこまみれで遊びたい。多少ケガしたっていいじゃんね。こーゆーイメージに縛られているからあたしは「美しくなる」ということについて、すげぇ抵抗があんのかなぁ??池田に住んでいた頃、阪急沿線だからたまーに「タカラジェンヌ」ちゃんたちを見かけることがあった。なーるほどなーさすがー、とおもった。なんつーか、すごいぴっちりしてて、清潔感あふれててキレイなの。たしかにこりゃぁ、誰が見てもキレイというキレイさよねーと納得する。けど、自分がそうなる、それを目指す、とかになると話は全然別で。きゅうくつでたまらんな、って思う。けったくそわるい。


・・・中身が女じゃない、とたまに言われる。自分でもそのとおりだと思う。だからといって男というわけじゃないんだけど。性同一性障害とかでもないし。ただ、男とか女とか、めんどくせぇなあ、って思ってた。なんで2コに分けなくちゃなんないんだろうね?どっちでも&どうでもいーじゃん、って。女のほうがいろいろ制約があってめんどくさいし。サークル合宿で、明け方まで酒飲んで大貧民して、後輩の女の子と2人そのまんま男子部屋で寝てたら、やっぱり当時の彼氏さんに怒られた。てか、そんな何があるわけないじゃんよー?学内の(←インカレではない。固定メンバーの)サークルの合宿でさ、彼氏さんも別の部屋にはいるんだし、そんな手ぇ出す奴いないっしょ、って思ったけど・・・まあ、世間的にあたしのほうが分が悪いのは目に見えてるのでいーんですけどね・・・


あれれ☆何を書こうとしていたのだらう・・・。

まぁ、いーか。とりあえず、吐き出したい。寒くなってきたせいか、めぐりの悪さが気になっている。血のめぐり。首や肩の凝り。特に首のつけねの。なにかが、ものすごくとどこおってるかんじ。こういうのってさ、きっと体だけのことじゃないから。気持ち的にも「変わりたくないよぉぉぉー」と、おなかあたりでうごめいて、というかちっちゃくうずくまって、ちぢこまっているような、あたしの一部が、いる気がしてしまって。こないだも、おなかさすさすしながら(夜の!)10時近くまでとろとろとろとろ寝てた。


変わろうと思ってきた。けどそれが、昔の、奥のほうの、傷ついた、悲しみと痛みと恨みに満ちたあたしを切り捨てるとか消し去るとかしちゃあ、いけないんだろうな、って思うんだ。そんなことをしようとしてたから、そりゃあさ、向こうも抵抗するよね・・・って。だれだって、自分の存在を勝手に無にされたらたまんないもんな・・・