あたしは、いやだったんだよな。そもそも、ほんとにやりたいと思えることがなかった。
大学3年のとき。えっらい分厚い、いろんな企業情報の入った冊子・・・いくら見ても、
どうにもつまらなそうで。関わりたいと思えなくて。それでも一応は、多少はまわってみたんだけど。
びっくりした。教育なんかに、人としての学びになんかに、関心のある人間は、
企業にとってむしろ邪魔なんだ、ということも知った。
なまじ、自分の考えなんて持ってちゃ使いづらくってしょうがない。
若くて、白紙の者がいいらしいの。国Ⅰでもそうだった。
文部省志望なのに、求められているのは法律の知識だけなのよ。
教育に対する考えなんて、事前にもたれてちゃ、都合悪いの、むしろ。
入省後、省の考えに染まってもらわないと困るからよ(もちろん、実際には省内に
いろんな考えの人がいて、それなりに争いもあって、決して一枚岩じゃないと今は知ってる)。
そんなん、ごめんこうむりたいわ。バカにした話よ、とね。
憤ったけど、憤ったところでどうなるものでなし。
日本の今の社会では、自分の考えなんて持ってしまっているものは、
ただ使いづらくって迷惑な、邪魔な、敬遠すべき人間であるみたいよ。
「使いづらい」ってなによ。哀しかったなぁ。
それだけはイヤだ、と思ってしまったのね、あたしは。自分の考え否定されて、
どっかの企業なり省庁なりの考えを、さも自分が本当にそう思っているかのように
しゃべらされるのは、絶対にイヤだと。
就職活動中、自分の価値観に優先順位をつけるようにと、よく言われるでしょ?
あたしの場合は、お金も地位も、どうでもよかった。
ただ、「弊社といたしましては・・・」とかって、こころないことしゃべらされるの
だけはいやだと思った。そんなところにこだわってしまったから、
職業選択の選択肢がえらい絞られてしまうことになった。
研究職だったら、イケるか、と思ったのよね。
でも、研究論文って、作文の作法が決まっているわけ。ひどく不自由でさ。
自分のナマの想いは入れられないのよ。思うことのカケラの一つをかろうじて
しのばせることができる、という代物でしかなかったから・・・
やってみてわかることだけれどもね、これは。結局大学院に5年もいたよ。
だったら。研究論文ではうまく伝えられなかったことを、ただただ書くしかないじゃない。
形としては、エッセイになるのかな。まぁ、でも、カタチなんてどうでもいいか。
あまり私自身わかってないし。小説だっていいけど。誰が読んでくれるかなんかわかんないけど。
自分の考えなんか、持ってしまえばしんどいだけだ。だったらTVや周りの人の言うことを
丸のみにして、楽しくスポーツ観戦にでも興じて、自分の仕事や上司のくだらなさを
肴に酒飲んで、そうして過ごせば楽なのかもしれない。そういう人が、いるのはいいよ。
でも、あたしはいやだ。あたしは、そうはなれない。
備忘録的に。
「何かを避けることには多大なエネルギーがいる」ナタリー・ゴールドバーグ『魂の文章術』p.59
母になること、子を生むこと、をあたしは避けているのかな。たしかにいろいろ恐れている。
きっと、こうして一人ゆったりファミレスに陣取って、好きに過ごすことも
できなくなるんだろうし。書くネタは提供してくれそうだけど。
なまじ、教育業界で、いろんな保護者さんに接してきたからさ。親って大変だなぁ・・・って
心底感心することもあったんだ。あたし、あんなふうにできるかなぁ(いやできないよ)って。
改めて、書き出してみますか。
・自分の時間が削られること
・お産が痛そう
・本当に産めるかわかんない。年齢的に。
・障害を持って生まれてきたら、あたしはちゃんとその子を愛し支えられるのか不安
・だんなさん放っぽって子どもにばかりかまけて、関係がうまくいかならないか
・妊娠って辛そう。つわりとか、酒が飲めないとか、骨が弱くなるとか。
・子どもにアトピーが出たら、罪悪感おぼえる
・子育てなんて、ほんとにあたしできんのか。いろんなことが心配になって、おかしくなりそう
・ママ友とかPTAとか、めんどくさそう。すごい先のことなのに、想像するだけでげんなりする
・保育園には、専業主婦だから入れられない。実家も遠いし。子どもをうっとおしく感じてしまいそう





