小学校卒業と同時に引越した先の中学校で。学年一番の成績という十字架を背負って。
その中学の子たちと同化しきれるわけもないのに。それでもやっぱり、あがいたよ。
受け入れてほしくって。そうしないと、怖くてその場にいられないでしょう??
でも。それでも。あたしは異質で、異物だった。それはもう、どうにもなんないレベルで。

だから、高校~大学に行ってさ、ほんん・・・っっとに、楽だったの。
高校よりも大学の方が楽だったかな。うちの高校(東京学芸大学付属高校)は逆に
ハイソ過ぎて(東条英機の孫とか、田園調布の社長令嬢とか、フツーにいたからね)、
思いっきり庶民でおビンボな私には、少々居心地悪かった。

大学入ってさ、東大って庶民的でいいよねーーという話を、同じ高校出身の友達と
言いあってて、となりで土浦第一出身の子が「えぇーーっ」って言ってた。
そう、東大はとても居心地がよかったの。
中学ほどレベルが低くなく、高校ほどハイソでもなく。

今も会う友達は、男女含め(旦那ちゃん含め)東大の子が多い。
東大で得た友人ってのは、本当に得がたい、真の友というにふさわしい人が多くってね。
ありがたいなぁ、とあらためて思うわね。

そっか、それだけでも、あたし東大行った意味あったかもね。
東大入ったことを活かせてねぇなーって、しょんぼりしてる部分はまだあるんだけれども。
そうでもないのかも・・・。

まわりの人と比べて、異質で、異物である自分・・・。
これはずっと感じてると思ってたけど、結構こう見てると濃淡あるのかもしれないわ。
中学時代が最悪ね。なんであぁも、同調圧力とか強いんだろうな。
ほんの些細なことで、すぐにいじめというか、暴言や見下しや仲間はずれの対象に
なってしまう。その怖さ。それは今の中学生も変わらないのかもしれないね。

それでもさ、あたしは高校から大学・大学院にかけて、何人にも会えたんだ。
ヘンな人。宇宙人みたいな人。どこかあたしと同類のにおいのする人。
心の奥底から出てくる言葉を語っても、変人扱いしないでくれる人。

大阪で働いていた時代に、スクーリングのスタッフと保護者さん、という関係だったにも
かかわらず、サシ飲みするくらいに仲良くなった方がいてね。当時42歳だったっけ?
池田駅前でサシで飲んだときにさ、あたしみたいな変な人=自分と同類な人
と初めて会った、と言ってた。40過ぎるまで会えなかった、ってのはさ、
どんなにか辛かったろうな、と思うんだ。

あたしは、20そこそこでいっぱい会えた。ヘンな人がいっぱいいて、
あたしだけがヘンなんじゃないんだってわかって、
そんで、そういうヘンな人たちに、けっこうかわいがられる経験をした。
それはね、ほんとに、幸いだったと思うんだよ。壊れないですんだ。
修復の道に入ることが出来た。そういう、さ。有難さを、感じたんだよね。
ほんとうに、ありがたいと、思うんだよ。
いっこ前のエントリで、中1の冬に、人生お初の「いじめ」に遭った話を書いた。
結局あたしは、葛藤した末に、Aさんに屈することに決めた。あそこで生き残るために。
自覚あったもの。これで自分は、自分の中の一部を殺すのだと。死なすのだと。
それでも、それが私の下した決断で。

そのころのあたしにとって、クラスはただのおまけでね。部活のために
学校行ってたようなものだったから、部活辞める選択肢はあたしにはなくってさ。
一緒に闘おうにも、自分に人望がないこともわかっていた。小学校ならいざしらず。
引っ越してきて、誰も知り合いのいなかった中学校・・・。

入学前に何人か近所の子を紹介してもらったけど、あたし彼女ら好きになれなかった。
しっくりこなかった。同じクラスにも、お昼食べる子とか、一緒に下校する子とか
トイレ行く子とか(笑)はいたけど、それだけ。3年間、振り返っても、そんだけだった。

唯一、気があって好きだったのは、塾が一緒だった、違う中学校のFさん。
彼女一人だけだった。中学時代にあたしが好きになれたのは・・・。
前田珠子とゆー小説家さんが好き、という共通点があったんだよね。
それは大きかったと思う。思い返してみても、彼女以上に、心ゆるせる人はいなかった。

でも、高校入試であたしだけが受かってしまうことが何回かあって、
そこはかなり気まずかった。Fさんを傷つけてしまうんじゃないか、って・・・。
あたしだけが受験に受かることで、彼女と疎遠になってしまう・・・。
そういう、怖さ・さみしさは、あっただろうなぁ・・・。

でね。こうして記憶をたどることはできるんだけど、そのときの、
そういういたたまれなさとか恐怖とかを、“リアルに”感じることが、
できないんだよなぁ・・・今でもね。
感じると辛すぎるから、あたし感じないようにして凍りつかせてきたものが、
たぶんいっぱいあるはずなのですよ。で、それをどう解凍していいかわかんないの。

「勝ちすぎないようにしよう」「自分が優れていることを誇示しないようにしよう」と、
身をすくめるようにして生きていったら、あたしどんどん平凡になっていった。

今思うと、その一件以外でも、あの中学でのあたしはキツかったんだと思う。
本当に実質にFさん以外、あたし心ゆるせる人っていなかったし。3年間、毎日通う中学校に。
そんなとこに通い続けて、長時間過ごして。校内はまだ、いわゆる不良さんたちが
跋扈していて荒れてたし、いじめを受けてる子だっていた。男子でパシリにされてたり、
実際にぽかぽかぶたれていたり。授業中にいきなり爆竹、爆発したこともあるし。
誰とかちゃん転校したんだーと思ってたら、どうもリンチされたとか、
うん●食べさせられたとかレイプされたとか。そんな話が流れていたり。
生徒指導の先生の車のフロントガラスは割られたし。
卒業式には警察が来て校門を封鎖した。そういう環境だった。

・・・目立っちゃいけない、標的にされる・・・そうか、あたしクラスでも思ってた。
学年1番の成績、という目立つ要素があったから尚更・・・

今思えば、私がクラスで浮いてしまう最大の原因だった「学年1番」ということが、
実は私を守ってくれていたのかなとも思う。
私は、クラスの中の一人、というよりは、“エイリアン”だった。
だから、いじめる対象にもならなかった。暴れん坊の男子でも、ちょっかいかけてこなかった。
それでも、ずっと私は恐怖を感じ続けていたけれど。必死で同化しようとしてたっけ。
禁止されてるマンガを大量に持って行ったりね。
「私もあなたたちと一緒なんだよ。だから、はじかないで、お願い・・・」って。

・・・さらにつづくーーー☆なのです(^▽^;)
またもご無沙汰でございます。なんかね、ほんと最近、よく寝てる。本もあまり読まないし。
自分の内側を掘ることしかしてないんじゃないだろうか。
だいぶね、いろいろなことして解放してきたはずなんだけど、それでもまだまださ、
さまざまな恐怖があるわけだ。たとえば、目立つこと、優秀であることへの恐怖。

先週末のNHK杯は本当にすごかった。宮原選手の初優勝もだけど、やはり何より
羽生選手のSEIMEIがね。とんでもなかったでしょう?
で、ワタクシLIVEで見ていたわけですけど、羽生選手がね、勝ったとき、
そりゃもんのすごい演技だったから当然なんだけど、
すっごい露骨に、勝ちを誇示するポーズをしたの。「俺が一番だ!!!」って。

あたし、そこで妙ーーに不安になったんだ。ぞわぞわ、ざわざわして。
何か心配になってしまってね。また何かたたかれやしないか、反感もたれないか、
一部のスケオタ達やその他の人を敵に回すんじゃないだろうか・・・って。
でもね、さすがにすぐに気づきましたです。「あ、投影だ」って。←えらい!
あたしの中の恐怖を、彼のふるまいが刺激したから、不安になってんだ。

「目立つのが怖い」。出る杭はつぶされる。
昔の同僚さんでキライな人がいたんだけど、その人けっこうスタンドプレー気質だったのね。
許せんとか、むかつくとか、そんなこと思ってたいけどさ。でも、自分でもわかってた。
それは本当は、自分がやってみたいことなんだろな、って。

中1の冬までのあたしは、けっこう目立つことにちゅうちょなかった気がする。
本番にも強い子だったし、合唱団で、ソロ歌うことになった時もうれしかった。

中1の冬に何があったかというと、簡単に言えばいじめです。
吹奏楽部のクラリネットパートの子たちに、1週間無視された。それだけ。
Aさんという同学年の子がいてね。家も近くて、私と同様、中学入学と同時に引っ越してきて。
クラリネットも、私と彼女だけ、1年の時から夏のコンクールに出ることを許された。
1年の冬には、早くもパトリとして、その権益をふるうようになってた。
顧問の先生と付き合ってるなんていう噂すらあった。

権益なんつーと大げさに聞こえるけれども、パトリという特権?で、
期末の成績まで、いちいち彼女に申告しなければならなかったりしてさ。
今思うとバカバカしいんだけど。いや、当時もあたしはバカバカしいと思っていて、
たぶん態度にも、露骨に「ばっっかじゃないの?」というのが出てたと思う。
だからこそ、あたしは目の敵にされたし、つぶされた。

彼女に嫌われてるのはわかっていたけど。それ以上にショックだったのは、
パートの他の子たちが、彼女の指示に従って、私のことを無視してきたこと。
そこそこ仲が良いと思っていた子すらもあっさりAさんについた。そこに傷ついてた。
結局あたしは、葛藤した末に、彼女に屈することに決めた。あそこで生き残るために。

なんか、打ち込んでたらすんげぇ分量になってるんで、いったんここで切りまする☆
うふふ。ひさびさマ●ク。しかもカプチーノだけじゃなくて
100円ハンバーガーまで食べちゃった☆久しぶりに食べたらけっこうおいしかったよ。
まぁ、1835にして本日第一食目だった、ってのもあるけどにひひ

ジャンクなものも、ほんとはけっこう好き。ポテチ中毒は抜けたけど。
今日もね、変な時間に食べると旦那ちゃんと一緒に食べられなくなるから・・・と
アサイーのスムージータイプ(←どろっとしてるの)飲んだら
わりとおさまった気がしてたんだけど。TVでね、マ●クのじゃないけど、
ハンバーガーの映像見ちゃってさ(;´∀`) で、家から一番近い外食っていうと、
今はマ●クなわけです☆あーあ、なんてチョロイのあたし、と
自分で自分をおかしく思いながらハンバーガー¥100食べた。

何年ぶりだろ?前はさ、マ●クの食いもんなんか、怖くて食えるか!と思ってたのに。
100円で、旦那ちゃん帰ってくる前の小腹をみたすのに、これだけの満足度をくれる。
これはけっこうすごい!、というか、これはこれでちゃんと存在意義あるんだね、と思ったの。
くっっだんねぇ、添加物満載の、家畜のエサ以下なもんばっか売ってる悪徳企業、
くらいのイメージだったのにね。いや、食品の質的には、まぁそうなんだろう、と
今でも思ってるけど。なんだろ?嫌悪の対象にすることもないんだぁぁ・・・!というか。

あたしはちっちゃい頃からアトピーだ喘息だに悩まされてきたから、
けっこう健康オタクだった時期もあるわけです。
ローフードみたいに好きになれなくてしなかったものもあるけど、
時間かけてお鍋で玄米炊いてごま塩かけて食べたりしてた。マクロビね。
肉食べなかったり、コーヒー断ちしていたり。
今でも、砂糖と揚げ物はほとんど食べないけど、旦那ちゃんジャンク好きだからねぇ・・・

こないだ旦那ちゃんアメリカ出張でお留守の間に、酒飲んで記憶とばした後、
翌日、カップの天ぷらそばの容器をゴミ箱の中に発見した。
は??ってかんじ。
そういえば、なんか、チープなかき揚げの油の感じが残ってる気はした。うん、初めて
食べたけど、酔った時のカップそばって悪くなかった。←て、ほとんど覚えてないやん(爆)
それ以前に、そこまで酔っぱらうな、という話なんだが☆

なんかね、気づきというか、あんまり、身体によくないと知ってる食品を、
怖がんなくてもいいのかな、と思い始めたの。振り子が逆に振れてるだけ
に聞こえるかもしれないけど。健康オタクから、ジャンク礼賛みたいな??
でも、あたしの中では、これは「怖れを手放す」という文脈に近い気がした。
今日。だって、葛藤したもん。マ●クのハンバーガー?!何入ってるか
わかったもんじゃねぇじゃんあんなの!!って。

怖れの解放。まぁ、多少ヘンなもん食べても具合悪くなんない程度には、
あたしの身体の調子が良くなってきている、というだけなのかもしんない。
ちょっと前はよしぎゅーとかだうどんとか食べると、猛烈に下痢ぴーになる人でさ(-_-;)
旦那ちゃんには「セレブだ」と揶揄されていたんですわ・・・

・・・てかねぇ、たかだかマ●クのハンバーガーでどんだけ書くのかと自分・・・(^^ゞ
とりあえず、今日もいっぱい書いた。さてと、どうするか。打ち込むか。
なんか、こうして昔話にひたってんのもな・・・(-_-;)と思わないでもないんだわ。

書いたものをUPして「いいね!」がつくと、やっぱり嬉しい。
でも、そこでもっと「いいね!」ほしいな、とか、
「コレには『いいね!』がつかなかったな、しょぼーん」
とか思いだすとマズいな、って自戒してる。気をつけてる。

Kの思い出を書き終えたけれど、こんなんUPしてどうするんだか。
まぁ、「どうせ書いたんなら、どっかに晒すか」程度なんだけども。それでもいーか。
少なくとも、害にはならん。あたし自身は、楽しんで書いた。それで十分、よね?

・・・まだ少し不安かな?こうやって、書きなぐって、
インクと紙を消費して、それで何になるというんだろ、って気は、するもんな。

やっぱりな。旦那ちゃんは毎日仕事。遅くまで仕事。えらいよね。
あたし、働いてた頃だって、あんなに連日、長時間働けない。イヤになってしまうの。
大学院生の頃は、睡眠3時間で1週間、とかやってたけど、
しょせんは自分の興味対象に関わることの作業だし。

おんなじように、雑誌記事検索かけて、コピって読んで、また調べて・・・みたいな作業を、
バイト代もらって他人のためにやったことがあるけど、まったくの別モノだった。
超つまんなくて、申し訳ないけど、クオリティも低かったと思う。つまんないんだもん(爆)。

いや、そりゃ、仮にもお金もらってやってんだから、それなりに一生懸命やりはしたんですよ?
ですけれども・・・うん、つっまんなかったな―――・・・。

ラクだったけどね。自分の名前では表に出さないことだったから。
矢面に立つ必要がない。書いたモノのクオリティが、そのまま私の評価になるわけじゃない。
緊張感が、全然ちがうの。だから、とってもラクだった。
でも、もんのすげーーーーーーつまんなかったわ。

本書きたい、みたいなことは、カウンセリング学んでた頃も、
ペア組んだ男の人に、本書きたい、という話をしてさ。「いいですねぇ」って。
「それで、どんな本を書きたいんですか?」・・・それがわかんないんですぅーー。
ずっと、その状態。でもさーーー。書けることって、超ナマモノなんだもの。
このテーマで書こう、って初めから決めて書けるタイプじゃない。

いや、そりゃ、書けるよ、なんらかは。テーマ指定されて、字数決まってて、
その中で書けって言われたら、そりゃ書けなくもないですよ?
さんざん、そんな訓練はしてきたもの。 でも、のらない。

楽しさが、爽快感が、多分、全然違うと思う。
そして、書けたものの勢いも、きっと全然違うんだろう。
私、本好きのくせに、そういう文章の勢いとか、味わいとか、そういうの
あんましわかんない方なんだ。けど、それでもね、
自分がお行儀よく書いて、丁寧に丁寧に推敲した文章が、
どれほどつまんないか、どれほど味気ないか、はわかってる。

ただなぁ・・・正直あたし、だれかに、何かを発信したいとか、思っていないしなぁ・・・。
ぶっちゃけ、そもそも、他人どうでもいいもの。
あたしは牡羊座、と、星座のせいにしてみる。自己中なのよ、本質的に。
他人はどうでもいいの。あたしをほっといてくれれば。そして時々、遊んでくれれば。
いい天気!洗濯してきたぜ☆またもやサイゼ。BGMはブラ1。
昨日、お邪魔したお家でたまたまブラームスの交響曲第1番聴いて、あぁやっぱいいな――
と思ってさ。昔、高校の音楽部のオーボエ男子(とりあえずKにしておく)に、
ブラームスの4曲の交響曲の中でどれが一番好きか訊かれて、1番、って答えたの。
ふっとそんなこと思い出した。

1番はね、第4楽章のメロディを小学生の頃だかに、歌ったか音楽の授業で扱ったかして、
印象強かったんだと思う。私の答えを聞いたKは「ふーん」と
まんざらでもないような顔をして、世間的には3番の評価が一番高いと教えてくれた。
K自身が好きだっつったのは、たしか4番だったと思う。けど、自信ないな。
もうン十年前だもの。高校時代。

高1の時は、高3の先輩でちょーかっこいい人がいて、
登下校の時にちらっとでも見れるとキャーってなってた。
まわりから「ジャニーズに入れば」みたいに言われてる人だったから、
完全に遠くから見ているだけだったけど☆
文化祭の3年生の劇、見に行ったりね。青春だねっ(笑)

でも、ちょっとだけ、Kのことも好きだったかもなぁ、、、KにはNちゃんがいたから。
NちゃんはKのこと、中学から好きみたいで、公言してた。でもつきあってはいなくて。
Nちゃんのが背ぇ高かったのがネックだったのかな?
あたし(クラリネット)も同じ木管だったし、オーボエのKとはわりと仲良かったから、
もしNちゃんがあんだけ好き好き言ってなかったら、あたしもちょっとKいいな、っていう
部分があったと思う。でも、そう思わないように、感じないように、していた。
だって、遠慮しようと思うじゃん?何より、めんどくさいのゴメンだし。
Kはふつーにしててもあちこちで問題起こすから、それでなくてもめんどくさいし。

私は奴から「おねーちゃん」と呼ばれていた。
女性に対する最大の敬称だとか言ってたけど、どんだけシスコンなんだよ(-_-;) 
としか思わなかったわね。卒業間際には、一度だけ「おかあさん」と呼ばれたわ汗
私、お前の母じゃねーわ!!むかっむかっ
・・・まぁ、そのへんからも、あたしの立ち位置がわかるわよね――――。

そもそも、あたしが木管パトリ(パートリーダー)引き受けたのだって、Kがらみだし。
はじめ、同じクラリネットのF(←女子)が立候補してたってのに、Kが、
Fがパトリになるんなら部活やめるとかゴネたらしくって・・・
オーボエ1人しかいないからさ、うちのオケ、それはマズいと
あわてた先輩数人に、あたし別室に呼ばれてさー、説得されてさー
・・・やりたくもねぇパトリに立候補することになったのよ。

Fだって、そのへんの経緯は察するわけで、クラパートって2人しかいないんですけど!!
あたし、そっからしばらく、Fと超気まずかったんですけどっっっ (-_-;)

そーよ。Kを守るために、あたしパトリになったよーなもんよ。
奴は、Fとも指揮者のSちゃん(←男子)ともよくモメたから。
音楽的に妥協を許さないタイプが複数いて、その方向性がいき違うと、ほんっとめんどくさい。
オケやブラバンは、そこらへんでもめないことはない、と言ってもいいくらい、もめるんですわ。
少なくともあたしのいたとこはそう。音楽に対して純粋で、真摯であればこそなのだけど。

多少ヘタレなとこもある(本番に弱いとか)Kだったけど、そーゆ―、
ヤツの音楽的なセンスとかひたむきさとかは、私尊敬してたから、守ろうと思ったんだろうね。
で、きっと、ほんとはちょっと好きだったんだわ☆

ふと、もう一人の音楽部男子Aを思い出した。奴はバイオリンで、ソ連&戦闘機マニアで
(ロシアは軟弱でダメだ!!とか言ってた。変なヤツ・・・てか、うちの高校
 ヘンなの多いからな~~(◎_◎;))、
髪がふわふわで色白で小柄で、後ろ姿女の子と間違えられる子で。
中3の模試の成績上位者の常連で、入学前から名前だけ知ってた。
1年の時同じクラスで、一度だけ数学の問題を教えてあげて、おーすげぇ、って
言われたことある♪ この、数学なんて、小1の「くり下がりのある引き算」から
苦手なあたしがよ☆ ←数学じゃねぇな、算数だな。

なんでKのついでにAまで思い出したかっつったら、Kから音楽の影響を受けたなーと思って。
「アルビノーニのアダージョ」かシベリウスの「バイオリン協奏曲」だったか。
Kが、Aのこと「あいつすげぇ影響受けやすいよな」って嗤ってたの。
シベリウスの方かな。Aにギドン・クレーメルの弾くシベリウスのCD貸したら、
他のところでAが、クレーメル超いいよなーとか言ってたらしくって。
「あいつさー、俺が貸してやったら、すぐこんなこと言ってんだぜー」って。
それ言ってた時のKが、すごいAをバカにした感じだったから、あたしも
ちょっとズキッてなってた。自分まで、バカにされた気がして。
あたしだって、そうだもん。すげぇ、影響受けたと思う。
いまだに、「アダージョ」もギドン・クレーメルのシベリウスも大好きだもん。
ちょっと恥ずかしいくらいに・・・

ていうかさ、Kは、相手を巻き込む力がすごく強いんだよ。
だからこそ、ぶつかりもするんだけど。
奴が文化祭のあとでパセリの苗を贈ったのね(ふつうは花束おくるでしょ)、
そしたら、なんとそれが定着してしまって、
3年後に文化祭のステージ聴きに行ったら、後輩たちが、
あたりまえな顔して野菜を贈りあっててビビった。
「これが音楽部の伝統ですから」って・・・ちげーよっっ!!!

Kのバカがはじめたんだよ。
てか、そんなんが、こんな短期間に「伝統」になるもんなんやな・・・(◎_◎;)

今、何してんのかなー。公立中学校教師になる、というあたりまではきいたんだけど、
公立学校のあの官僚的な管理体制に、
反骨精神旺盛な(そして神経はデリケートな)奴がどこまでもつのやら??
と、当時でもすごい心配してしまったのよねぇ・・・
おかあさんや・・・いや、ちがうって(;´Д`) 
安心できる場所が欲しいの。あたしは。
無防備で、ぼーっとしてて(たいてい頭の中で、いろんな思考をくるくる遊ばせている)、自分のことにだけかまけていられる閉じた空間、が、どうしても必要で。そこに突然侵入されるとダメなの。それが信頼している、大切な人であっても。

旦那ちゃんもそう。でも、あの人に危険要素なんてほぼほぼないのにね。人畜無害、というと良くないのかな?でも、昔っから、でっかいテディベアのような人だからさー。

唯一びくッとさせられるのは、私の身体に突然さわってくることくらい。特に夏場。私、腰とかお腹とかモモとか、むき出しになっても全然気にしない、というか、気づかない。そこをさ、いきなり、触ってくるのよねぇ(◎_◎;) 甘えたがりな人だし、スキンシップなんでしょうけど、嫌とまでは言わないけど、いまだに、ふぎゃぁっ、とか叫ぶわ☆

ま、昔から、人に身体触られるのは大キライで、知らん人に頭撫でられるとか、おつりのやり取りで手が触れるとか、フォークダンス的なやつで手をつなぐとか、服着てても肩に手を置かれるとか、そういうのすべて苦手なんでね。仕方ない。それでも、少しは改善されていると思うのよ。

そう、でも、いまだに、旦那ちゃんの、帰るコールと、あたしがお風呂入ってる時の洗面所の立ち入り禁止、は絶対。このあいだ、私がお風呂入ってる間に脱衣所で体重を測りたかった旦那ちゃんが、「入るよー」と声かけてから入ってきたんだけど。

私やっぱりそれもヤで。どーしよーかな――って我慢することも考えたんだけど、やっぱりイヤはイヤということで、伝えて、今はお風呂入る前に体重計だけ廊下に出すことで何とかなっている。こういう神経質なところ、私たまにあるんだよな…。

安心したいの。人がいるだけでもう安心できないの。どっかで、警戒して、緊張モードに入るんだと思う。外ヅラの自分になるし。ま、さすがにもう2年半も一緒に暮らしてるし、彼は信頼できる人だし、お互い多少は醜態をさらしたりもして、だいぶね、そのまんまではいられてるんだけど。それでもやっぱり、自分一人でいるときとは違うの。違ってしまう。

今、相手が家のどこにいて何をしてるのかをだいたいででも把握していたい、とかね。それで、思わぬところから近づいてこられたりすると、まじで「わあぁぁッ」と叫ぶ。ほんとに叫びます。びっくりしちゃうの。なんかね、彼的にはけっこう傷つくみたい。

あとね、「自分の家なのに・・・」という不満は漏らしてる。帰るコールも定着するまでは、やっぱりふた悶着くらいあって、なんで自分の家なのに、いつでも好きに帰って入っていけないの?と思うらしい。でもさぁ、あたしはあたしだけの空間が欲しいんだよぅー。一時は、パーティションかなんかで「あたしだけのスペース!」って区切ろうかしら?と思ったけど、それはイヤみたいなので、時間で区切る、ということで落ち着いたの。あの人が帰ってくるまでは、この家は私だけの空間。メールが来たら、帰宅時間を逆算して店じまいをするの。そーゆ―生活を2年半してる。

まぁ、それでもさ。あたしがこの程度のストレスで、他人と暮らせてるんだからたいしたもんよ。一人暮らし歴長かったからさー。ほんとどうなることかと思ったわよ結婚直後は☆
昔、つっても塾に勤めてた頃だから4~5年前、スナック菓子を毎日食べてた。
たいていポテチ。さやえんどうスナックとかも好き。やめよーと思うとどうにも食べたくて。

身体に悪いのはわかってるんだ。
アトピーなんて特に、揚げ物、それも上げてから時間がたったものは良くないの。
でも、ガマンしてもダメだなーと思って。
食うだけ食いまくって、早く飽きよ~~と思って。

毎晩、仕事帰りにその日の気分で選んで買って、一袋開けてた。ビールと一緒に。
2年くらいそうしてたかも。

でね、飽きたよ。今でも好きではあるけど、そんなガツガツとは食わない。
一袋まるごと、一人占めしたくもならないし。
食べる回数も激減した。今は、数週間に一回くらいは食べるかしら??

チョコもポテチも、あたしはこうして執着なくしてきたのね。
だからさ、酒もそうなるかな~~と思ってるんだけど、これはなかなかならないねぇ――☆

ここ7年くらい、ほとんど休肝日をもうけてねぇよ(-_-;) 肝臓ちゃん、ありがとー♪
(ちなみに、こないだ、イヤイヤ受け(させられ)た ←旦那ちゃんにね 
健康診断、結果返ってくるまでまじでビクビクしてたんだけど、ほぼほぼ正常値でした☆ほっ)
アトピーは、最近わりと調子いいんだけど、ちょっと手荒れがひどくてね。
さすがにね、手だけとはいえひどくなりすぎて、じっとしててもチリチリ、じんじん痛くって、
寝るのにも支障が出るくらいになったので
さーすがにね、行ってきましたよ、皮膚科。口コミでわりと良かったところ。
わりと混んでるが、回転は早い。

汗疱、というものらしいです。先生は、50がらみの年いったおじさんだったんだけど
もう一目見るなり、「あー、もぉ、ここまでひどくして・・・」ってかんじで。呆れ気味??
先生自身も20年近く治んなかったとかで、気長に治していきましょーねーと。
マイアロン軟膏0.05%の5gを2本もらって帰ってきた。

何か気をつけることありますか、と訊いたら、とにかく蒸れるのが良くない、と。
あと、手袋はせず、水仕事もせず、
「お姫さまのように過ごせばよくなりますよ」って☆ 笑っちゃったけど。
さすがにねぇ、水仕事一切しないでってわけにはいかねぇさ。

でも、「お姫さま」ねぇ・・・。あたし本当は、そんなふうに過ごしたかったりするのかしら?
なんて思っちゃったわ。
「お姫さま」。なんか、そこが響いてる。「お姫さま」扱い、されたい?されたいのかもね

で、ね。まぁ、ある程度までは覚悟していたんだが、
やっぱり、処方された薬が、ステロイドだったのよ。
それも、5段階の一番上。strongest。

えぇぇぇえぇー、きいてないよっ!!
妊娠してても、何十年塗り続けても、大丈夫っつったじゃーーん(;´Д`)

くらくらきてたんだけど。正直なところ。いやね、このレベルの炎症だったら、
おそらくはステロイドなんだろーなー・・・とは思っていたの。
でもさぁっ、ぜんぜんそーゆー話されずに処方されるってのはね??どーなのよ、それ???
・・・処方された薬を、とりあえずネット検索かける、っていう私の態度のも、
なんだかなぁ、と思わんでもないんだが。

でもね、それでもね、今回は、とりあえず、傷が消えるまではこの薬を塗ろう、と思えたの。

けっこうさー、このちっちゃい水泡から始まって、皮膚がガビガビになって裂けていく・・・
これは、小学生の頃から、くりかえしやっててさ。おなじみなのよ。

でも、ステロイドの世話にはほとんどならずにきたように思う。
これって、多少ぱっくり裂けても、ほっとくと治るから。
先生は、完治に20年かかったと言ってたけど・・・それも正直、どうなのよ、と思う。
あたしの実感からすると、あれは出るときは出るし、治るときは治るのだ。アトピーと一緒で。

去年の春あたりに、アトピーがひどく顔に出てしまってね。
しぶしぶ常陸多賀の皮膚科に行って、そこの女医さんに説教されました( ノД`)・・・

ステロイドを嫌がるな、って話で。「『毒出し』とかいうけど、毒なんてないですから!」って。
まぁね。あのときは、右目の白内障が悪化してしまったので、やむなく、というかんじで、
弱めのステロイド出してもらって、怖がりつつもちょびちょび塗っていたんだけど、
いつくらいからかしら??全く気にならなくなっちゃった。
ステロイド塗らなくても、生活変わってなくても、
なんかね、アトピー、治っちゃったんだよ。

今も、鼻の下あたりにすこーしあるよ。他にも、気にならないレベルのヤツがあちこちにある。
それに、また体調が変化すれば、またアトピーとして炎症起こし出すかもしれない。
でも、あたしには、あんまり因果関係がわかんないんだ。
何をしてても、治んない時もあったし、何もしてないのにいつの間にか治っていたりもする。

あたしの意志ではないし、あたしの努力の賜物でもないし、
食事療法がきいたかってぇとそんな手ごたえもないし、
飲み薬や塗り薬や漢方薬も、あんまり「効いたぁぁー」って実感ないし。

なんかね、疾患自体に、意志がある、のか、
流れというか、タイミングがあるのか。あたしの意志や努力や、技術やエトセトラとは
別次元で進んでいく何かが、あるように思っているんだ、今は。
だって、あたしは、アトピーや喘息や各種皮膚炎とは長年つきあってきているわけ。
そのなかでさ、そうとしか思えないんだよね☆

P.S.
あ、ステロイドは効くよ。おそろしいくらい。
強いやつだと、塗って半日で、ぱっくりあいてた傷がふさがって、
みるみるうちに新しい皮が再生されていくのが実感できる。ありがたいんだけどね。
今回みたいに何もしなくても、ぴりぴりズキズキ痛んで仕方ないときは。
ただ、正直、劇的に効きすぎて、怖くなる。
そして、そのうち、効かなくなる。それが怖いんだよね・・・。
なんで、あたしが、しょせん人間は一人、なんて思うのか、と言ったら、
ひとつには、私が物心つかない頃からアトピーや喘息に苦しんできたからかもしれない。
母を始め、周りは心配してくれるし気遣いもしてくれるけれど、
その苦しみ自体は、私が引き受けるしかないから。

喘息は、チアノーゼを起こすほどじゃなかったし、
アトピーってのは実際問題、いくら重症でも死ぬことはない。
なんだかね、「死ぬ心配はないから存分に苦しめ」と言われてるみたいだ、と思ってたの。
喘息で、夜中じゅう、ぜぇはぁいっていて、誰も私を助けることはできなくて、
暗闇の中でじぃっと一人で過ごす・・・
アトピーは、手や顔や体じゅうの関節から、時期によりいろいろなところに出るのだけれど
毎日、手を洗うたび、風呂に入るたび、あちこちがちりちり、ちりちりと痛む・・・
そんな経験の蓄積が、根底にはあるかもしれない。

それはまた、体を恨む、という方向にも作用している。
私はいまだに、自分の身体を大切にするというのがよくわかってない。
食餌療法もいろいろやったけど。薬もさんざん飲んだり塗ったりしたけれど。
でも、いっつもどっかで腹立たしかった。

なんでこんなことさせらんなきゃなんないの!!といういきどおりがあった。
健康な人だったら、そんな労力かけなくっていいのに。
私の避けてる白砂糖を使ったお菓子や添加物たっぷりの加工食品・揚げ物エトセトラ・・・
をいっくら食べてもなんでもない人たち。

私なら、ほんの一瞬触れただけでかゆかゆになる強い洗剤や漂白剤を、
素手で触ってもなんともない人たち。そういう人たちの存在が信じられなかった。
うらやましかったし、自分の体質がうらめしかった。

あたしはこんなにも気を付けて、あれこれあれこれやっているのに。
悲しいかな、肌の質感は、彼らの方がずーっとキレイなのだ。何にもしていないのに。
なんであたしばっか、余計な苦労背負わせられた上に、こーんな汚い肌なのかしら??
って、悲しくて腹立たしくてしょうがなかった。

一時期、ビューティコロシアムとかいうTV番組があった。
いわゆる「不細工」なひとを、整形やメイクやファッションコーデなんかで
別人のように美しく仕上げる、という番組だった。
おもしろがって見てたんだけど、ふと絶望的な思いにかられた。
「もしあたしがこれに出たら…」と思ったの(←これ自体はよくやるでしょ?
「食わず嫌い王」だったら何にしようかな、とかさ☆)。

でね、あたしの一番の悩みは肌なわけです。
これはもう、どうにもなんないよ、って。
皮膚の移植でもしない限りムリじゃんよ・・・とか思って悲しくなってた。
そんなことを思い出す。
幸い、ここのところはアトピーもそんなに調子悪くない。
ただ、完全にステロイドとおさらばできたわけではなくて。

うぅん、でもまぁ、だいぶましにはなってきているかな・・・