今日は「雷記念日」それはこの私、井越歩夢の体験した恐怖の出来事だった(;・∀・) | IGOSHI・WALKER’s THIS IS ME =井越歩夢は書く語る=

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井越歩夢(IGOSHI・WALKER)

ライトノベル作家・ブログ小説家・AI生成イラスト・AI生成文書技師

そんなこの私のつらつらと思うまま徒然なるままに何か何かを書く語る場所である

 

 

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 TODAY'S
 
雷記念日

 

雷記念日は、毎年6月26日にあたります。

 

この日は930年(延長8年)に平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫が亡くなった出来事を記念しています。

 

この記念日は、当時の人々が雷を非常に恐れ、神の怒りと考えていたことに由来しています。

特に、菅原道真の怨霊が雷を引き起こしたとされ、後に彼は学問の神として全国の天満宮に祀られるようになりました。

雷記念日には、雷に関する知識や安全対策を学ぶ機会としても意義があります。

 

例えば、雷が近づいた際には屋内に避難する、高い木の近くにいない、金属の箱(車や飛行機など)の中に入るなどの行動が推奨されています。

 

また、アメリカのロイ・クリーヴランド・サリヴァンが生涯で7度雷に打たれたが生き延びたという逸話もあります。

雷記念日は、自然現象への敬意と、科学的理解を深める日としても重要です。

 

 

雷雨で激しい雷の鳴る田舎町の風景

 

 

雷とは

 

雷とは、雲と雲、または雲と地上の間で起こる放電現象です。

この現象は光(稲妻)と音(雷鳴)を伴います。

 

雷が発生する主な原因は、積乱雲の中で氷の粒子が衝突し合い、静電気が発生することです。

静電気が蓄積されると、雲と地面、あるいは雲同士の間で放電が起こり、雷が発生します。

具体的には、雷雲の中で氷晶同士がぶつかり合い、静電気が発生します。

雲の上部にはプラスの電荷が、下部にはマイナスの電荷が蓄積されます。

この電荷の偏りが大きくなると、雲から地面に向かって放電が起こり、私たちが目にする稲妻が発生するのです。

また、雷は様々な気象状況で発生し、熱雷、界雷、渦雷などに大別されます。

熱雷は夏季に雷雲など激しい上昇気流のあるところで発生し、界雷は四季を通じて寒冷前線に沿って発生します。

渦雷は低気圧の域内や台風の中で発生するものです。

雷は自然界の驚異的な現象であり、その力は非常に強大です。

例えば、1回の雷の放電量は数万から数十万アンペアに達し、電圧は1億から10億ボルトにもなります

これは、家庭用の省エネエアコンを10日以上連続で使用できるほどのエネルギーに相当します。

雷の発生原理はまだ完全には解明されていませんが、科学的な研究によって徐々にその謎が明らかにされつつあります。

雷に関する知識は、私たちが安全に生活するためにも重要です。

 

 

 

 

 

菅原道真

 

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菅原道真は、845年8月1日に生まれ、903年3月26日に亡くなった、日本の平安時代前期の貴族、学者、漢詩人、政治家です。

 

彼は、官位従二位・右大臣にまで昇り詰め、贈正一位・太政大臣とされました。

道真は、宇多天皇に重用され、寛平の治を支えた一人として知られていますが、藤原時平の讒言により大宰府へ左遷され、現地で没しました。

道真は、怨霊となり清涼殿落雷事件などで知られるようになり、後に天満天神として信仰の対象となりました

現在は学問の神様として親しまれており、全国の天満宮に祀られています

彼の象徴として使われる梅紋は、彼が愛した梅を表しています。また、道真は幼少期から詩歌に才を見せ、11歳で初めて漢詩を詠んだとされています。

道真の生涯は、学問への深い造詣と政治的な波乱に満ちていました。

 

彼の左遷後の怨霊伝説は、日本文化において非常に有名で、彼が祀られる神社は学問の神として多くの人々に尊崇されています。

 

彼の生涯と伝説は、日本の歴史や文化において重要な位置を占めているのです。

 

天満宮で祭られる菅原道真は、日本の歴史において非常に重要な存在です。

 

彼は学問の神様として、また文化芸術の神様、厄除けの神様として信仰されています

 

道真は生涯を通じて素晴らしい功績を残し、学者としても政治家としても卓越した力量を発揮しました。

道真は幼少期からその才能を顕し、5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を詠むなど、詩歌においても目に見えない音や気配まで表現する才能を持っていました。

 

学者としては文章博士に任じられ、六国史の一つ『三代実録』の編者として、また日本独自の文化である和歌を漢詩に訳した『新撰万葉集』の編纂者としても知られています。

政治家としては、讃岐守として過酷な労働や重税に苦しむ人々のために税制の改革を行い、財政難と社会問題の解決に取り組みました。

 

しかし、その成功が他の貴族たちの嫉妬を招き、藤原時平の策謀により大宰府へと左遷される悲劇に見舞われました

道真の死後、都で落雷や突然死が起こり、当時の人々は道真のたたりだと恐れ、道真を神として祭ることでなだめようとしました

 

こうして、道真は「天満大自在天神」として信仰されることになり、墓の上に安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)が建てられました

 

以来、太宰府天満宮は天神信仰の聖地として、多くの人々の心のよりどころとなっています。

天満宮は全国に約1万2000社あり、菅原道真を祀る神社として、学問や文化、厄除けの神として多くの人々に親しまれています。

 

道真の学問への姿勢や政治における改革の精神は、今もなお日本の文化や教育に大きな影響を与えているのです。

 

 

 

 

この私井越歩夢はそれを見た(;・∀・)うわ~

 

落雷の瞬間を見たことある?

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=結論=
何度も
見た
こと
(;'∀')
うわ~
 
 
この私、井越歩夢の
雨好きと言う話は今まで
何度もブログ記事にしています
 
だがしかし!
 
荒れる雨の中に
雷が介入したその時
 
雨天が
雷雨に
変貌
 
それはひたすらなる
恐怖の対象になるのだぁ!
 
(;・∀・)
あ~
 
 
その数ある落雷を
見たの経験の中で
最も恐怖だった事例は
 
落雷そのものを
見たわけではないのだが
光と音
それが同時に来たあの時
 
少年井越13歳
小学6年生夏の合宿の夕方
 
天気は大荒れ
 
その中夕食中に雷が鳴り始め
 
そして夕食も終わりの頃
 
それは来た!
 

光と同時に音と
校舎を激しく
微振動させる
まるで某名人の連射で
スイカをたたき割る
その勢いさながらの
それは来たのだ
 
Σ(・ω・ノ)ノ!
なななななななな!?
 
この落雷は本当に
今までのこの井越歩夢という
人生49年の中で
最も驚いた落雷体験であることは
 
私自身が私に問う中で
もっとも記憶に残る
恐怖の出来事だったと
鮮明に記憶しているのです
 
( ̄▽ ̄;)
はははははははははは
 
井越歩夢は書く語る
( ̄▽ ̄;)
私の恐怖の雷体験です
 

 

 

 

 

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