火渡りのお話です。
こんにちは
大開運したいアドバイザーの開運伝道師
地球を守り人類を解放する救世主
幻導士の
五代目Muleです。
前の記事を見ていただき、ありがとうございます。
仕込みカレンダー
牡羊座新月2024/4/9 3:21 皆既日食
蠍座満月2024/4/24 8:49 ピンクムーン
牡牛座新月2024/5/8 12:23
射手座満月2024/5/23 22:54フラワームーン
どうも、救世主です。
正統派コーンポタージュスープ
やはりクルトンは大事です。
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神奈川県愛甲町、八菅神社の火渡りに行ってきました。
場所なのですが
こんな感じ。
丹沢一帯は聖地だらけですね。
YouTubeにあがっています。
火渡りはすごい迫力です。
八菅神社はわたしが病気の時に、何度かいっています。
最後に行ったのは2018年です。
なんと6年ぶり。
まずはたこ焼きを買いました、はははは。
この階段を登ります。
女坂もあります。
大宝三年(703)修験道の開祖役の小角(えんのおずぬ)が入峰し修法を行ったとき、
忽然として「池中に八本の菅が生えたことから八菅山の名前の由来となっています。
準備がはじまっています。
wikiより
中世に遡る関東でも有数の修験道の霊場であったが、慶應4年/明治元年(1868年)の神仏判然令で、神仏分離が行われ、さらには廃仏毀釈によって、神仏習合の修験は解体され、明治以降は郷社八菅神社となった。
この地を拠点とした八菅修験は、正応4年(1291年)に熊野長床衆が峯入り修行をした巨大な碑伝(八菅神社蔵)が残り、天文21年(1552年)には、京都の聖護院門跡の道増がこの地に入峯した記録が残る。
貞享4年(1687年)には聖護院末の本山派修験となった。中世には八菅山の神は「八菅山大権現」として祀られた。近世に至り、八菅山七社権現となり[3]、熊野権現を中心に、蔵王、箱根、男山八幡、山王、白山、伊豆走湯の七社権現を祀り、別当寺の光勝寺のもとに、本坊24坊、脇坊22坊が奉仕する修験者の一山組織をなし、修験集落として栄えた。
峯入り修行は、八菅山と大山の間の峰々をたどる修行で、春の峰は2月20日から4月8日まで、秋の峰は7月20日から9月8日まで、いずれも49日間であったが、弘治3年(1557年)に35日となり、秋の峰は永禄3年(1560年)に中絶した。
しかし、春の峰は明治5年(1872年)まで継続した。
明治5年の修験宗廃止令によって、修験集落八菅山は消滅した。山内に多数居住していた修験者は還俗し、山麓で帰農した。
この際、宝喜院など有力な15の院坊は足立原姓を名乗った。「鬼の子孫」としての誇りを伝えたのである。
鬼の子孫?
要するに役行者が従えていた前鬼・後鬼の子孫である、弟子の子孫であるということでしょうか。
八菅山から見て川の向こうの中津川にある古民家山十邸には、
寄贈した八菅山修験(はすげさんしゅげん)の院坊惣代を務めた宝喜院(ほうきいん)の永朝(えいちょう)が用いた駕籠が展示されています。
水戸副将軍家と縁が深く、ご祈祷を受け持っていたそうです。
一橋慶喜の祈禱も行ったという記録もあり、
その後慶喜は将軍になっておりますね。
この駕籠は宝喜院の末裔である足立原氏から寄贈されたものです。
火渡りは、全然熱くなかったですよ。
子供たちも楽しそうに、渡っていました。
終わった後に足を洗うお水が冷たくて、そっちのが修行だ、ぐらいな感じでした。
いらっしゃいませ~、自己紹介は
→こちらの記事から
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