吉備真備の終焉の地はどこか | Muleのちょっとだけファンキーな世界

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神社仏閣参拝の不思議な出来事

昨日の記事の続きになります。

 

https://ameblo.jp/lo09lo/entry-12632246081.html

 

 

保江先生によると、吉備真備は2回ではなく、3回唐に渡っているのだそうです。

 

そして

 

吉備真備は韓国で没していた?というのですが、


これを考察してみます。

まずわかりやすいように、年代別に。

695年 吉備真備生まれる
717年 22歳 1回目の入唐
735年 40歳 帰国
752年 57歳 副使として2回目
754年 59歳 帰国
771年 右大臣を辞職
775年 81歳死没(83歳説もあり)

こんな流れなんです。

 

ということは3回目は

 

753年から775年までの間にいっている?

 

この間の遣唐使は、
759年 渤海経由でいった
761年 4隻のうち2隻座礁で規模縮小
762年 唐の情勢も悪く、途中でやめている

 

なのですが、吉備真備は右大臣に就任しているので、まずいっていない可能性が高いです。

この頃朝廷は渤海国とかなり親密で、遣渤海使も派遣しています。

 



渤海は今の中国から北朝鮮までの領域にあったんですね。

今の韓国にあった新羅との関係性はあまり良くなかったようです。

なので敦賀から渤海に渡る航路をとっていたようです。

吉備真備は771年に右大臣職を退き、その後渤海に渡ったのでしょうか。

朝廷の中枢にいた吉備真備が、渤海国の人と親交を結んでいたことは確かだろうし、

職を辞してから遊びにいったとも考えられますが、
かなりの高齢だったからどうなんだろうとも思います。

 

現代のように、やあ、元気ぃ~、みたいなのりで行かれるようなものではないですよね。

 

よほどの何かがない限りいかないと思います。

 

色々と妄想をめぐらすと・・・・

 

勉強がしたかった

 

実は残してきた女性や子供などがいたとか・・・・

 

でも真備は何かがあって渡ったのかもしれません。

 

それは否定はできないです。

そして吉備真備終焉の地は不明なのです。

 

どこで亡くなったのかわかっていないんですね。

いろいろな説があるようです。

 

大和や岡山のあたりとか。

 

吉備真備のお墓と言われているものも、あちこちにあります。

 

どれが本当なのか、もうわからないんですね。

 

吉備真備は一度失脚しているにも関わらず、その後返り咲いて右大臣にまで上り詰めるんですよね。

宇治拾遺物語には、真備は中国で仙術を学んだとか、人から夢を買って出世をしたと書いてあるんです。

ほんとに不思議な人物です。

 

夢を買って出世した話は、とても興味深いですね。

 

私、夢違えやおみくじ違えをしているんですよ。

 

おみくじ違えはこの間やりました。

 

神社で凶がでて悪いことばかり書いてあったんです。

 

まあ運気が良くなかったのは事実です。

 

そこでおみくじ違えをしたら、大吉がでました。

 

運気を変えたんですね。

 

夢違えは効果は見えないですが、やはり効いているのでしょうね。

 

全ては謎ですが、保江先生の吉備真備に関する体験談を聞いていると、そうなのかなーと思ってしまうんですよね。

 

まさに歴史のロマン。

 

保江先生の吉備真備に関する動画はこちらです。

シリーズになっています。

https://www.youtube.com/watch?v=1jhJ4TAjtSg

 

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