ゲーム三昧な日々を送っていたら、突如ドライバーと付き添いの仕事がまいこんできました。

 

ども

ライフオーガナイザー®オオノミエコです。

 

父の病院通いに付き添うってだけの話なんですけど。

 

予想外に長くなりそう?

いやいや、簡単に終わりそう?

 

どっちつかずの状態でございます。

 

宇宙人くん

 

病気自体はそこまで心配してないんですよね。年も年ですし。

リウマチも患い、関節が痛くて、すっかりヨボヨボじーさんですが。

年も年ですし。

 

そりゃ人間の身体も経年劣化しますよ。

 

ってなことをね、母や弟に言うと「あんたはドライだね」と冷たい女扱いされますが。

 

「できない」をかわいそうって思ってないだけです。

 

「できない」は「できない」

ただそれだけ。

 

「できない」に意味はなくて、「できない」という事実があるだけ。

 

UMAくん

 

「~できて当たり前」という気持ちがあると、「できない」がストレスになります。

 

「できる」に変えたくて、働きかけるようになります。

 

変化を起こす原動力としてポジティブに作用する場合もあります。

冷静な状況判断ができずネガティブに作用する場合もあります。

 

私の場合、ネガティブに作用する場合が多いようです。

 

やしの木

 

両親も、夫の両親も、「止揚」ができません。

 

 

「AといったらA」

「BといったらB」

話し合って新たな選択肢Cをつくる。

ということができません。

 

となると、私の答えは「イエス」か「ノー」の2択。

 

これが、つらいんですよ。

 

「ノー」と言われて喜ぶ人はいません。

実質「イエス」1択ですから。

 

軍隊みたい。

 

家庭が軍隊。

 

そんな調子だったので、会社組織のほうが楽でしたね。

融通ききますもの。

 

おっと話がそれた。

 

ヒヨコ

 

私はずっと、親が私の意見を聞いてくれないのは「私に問題があるせいだ」とか「幼少期に起きた出来事のせいだ」と思いこんでいたんですね。

 

「親自身に問題がある」「親自身がコミュニケーションを取りづらいタイプである」という発想が不思議なくらい頭になかった。

 

それが、親と久しぶりに会ったことで

 

両親も、夫の両親も、「止揚」ができないのだ。

 

とわかった。

 

私に問題があるわけでもない

伝え方が間違っているわけでもない

 

ただ「できない」

それだけ。

 

できないのなら仕方がない。

 

やっと両親や夫の両親と楽に付き合えそうな予感がしている。

 

万能感と無力感の間にある効力感を探せそう。

 

 

そんな気持ちになりました。

 

 

 

 

 

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