受容と肯定を分けられるようになって、すごく気持ちが楽になった。
受容と肯定が一緒くたになってた頃は、不愉快な現象を全部拒絶していた。
攻撃的だった。
でも、起きてる現象を否定していたら、何もできない。
でも、受け容れられなかった。
受容と肯定が一緒くたになってたから。
不愉快な現象を飲み込むことを受容だと思って苦しかった。
受容と肯定を分けられるようになってからは、
不愉快な現象を口の中に入れたままにすることができるようになった。
くそまずい飴玉が口の中にある。
そんなイメージ。
不愉快さを不愉快なまま受け容れる。
吐き出すことも、飲み込むことも、どっちも選べる。
不愉快な現象を不愉快なまま取っておく置き場所ができた。
🍬
実家の母と電話するたびに、口の中に飴玉ができる。
生んでくれた母なのに信頼できず、いまも距離を感じてる。
会話を重ねるたびに、飴玉は大きくなっていく。
母親だからといって、子供に不愉快さをぶつけられる筋合いはないのだ。
子供だからといって、母親に不愉快さをぶつけるのは失礼なのだ。
生んでくれた母なのに信頼できない自分を不愉快に思うと、飴玉はますます大きくなる。
価値観が違う。
好みが違う。
生き方が違う。
イライラするたびに飴玉は大きくなる。
離れた場所に住んでるのに、同じ日にカレーを食べたり焼き肉を食べていたりと、食べ物だけはしょっちゅうシンクロする。家族っぽいな。
そう思うと飴玉は小さくなる。
電話を切って一息つくと、口の中の飴玉をペッと吐き出す。
自分の機嫌は自分でとる。
ですね。
では、また~。
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