バウンダリー、

自 と 他 を分ける境界線。

 

私はもともとこのバウンダリーが曖昧だった。

 

UMAくん

 

仲のいい人が

「目玉焼きには塩でしょ」

と言っていると

自分も塩をかけなければいけないような気になった。

 

好きな人が

「あいつはいい奴だ」

と言うと

【あいつはいい奴】

になった。

たとえ、自分が嫌な奴だと思っていても。

 

「他人の目を気にする」なんてレベルではないのだ。

他人と同化しようとするのだ。

 

他人と同化することはできないから、無理が出る。

 

だが、バウンダリーがないから、

そもそも他人と同化することはできないということに気付けない。

 

気付けないから、自分ができない時は、相手に要求する。

 

「目玉焼きには醤油でしょ!!」

 

私に合わせて。

私をわかって。

イエスと言って。

私を拒否しないで!

 

だがこれも、他人と同化することはできないから無理が出る。

 

UMAくん

 

バウンダリーを持つ夫と暮らし始め

引きこもり生活を続けるうちに

 

正解は1つではないのだ。

人の数だけ正解があるのだ。

違うことは拒絶ではないのだ。

 

ということが体感できるようになった。

 

自分の領域を大事にできるようになってきたら、

他人の領域も大事にするようになってきた。

 

UMAくん

 

違うことは拒絶ではないのだ。

 

ただ違うというだけのことなのだ。

 

わかっているけど、未だに心が乱れる。

 

同化できない自分が悪いような気持ちになる。

同化してくれない相手を責める気持ちが湧いて出る。

 

違うことは拒絶ではないのだ。

 

違うということは

ただ違うだけなのだ。

 

 

育て!バウンダリー!!

 

では、また。

 

チュー

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