昔っから相反するものに興味をひかれるんだよね。
これ全然変わってない。
片付けられるようになると「普通」を感じられて嬉しい。
スピリチュアルに生きると「特別」を感じられて嬉しい。
矛盾してるんだけどさ
どっちも自分なんだよ。
小学生の頃。
一家全員クリスチャンの子がいて
夕飯前にはお祈りするって話を聞いて
家族みんな一緒に信じるものがあっていいなー
って羨ましく思ったのと同時に
家族みんなそうだから
信じられるのかなー
疑わないのかなー
不思議に思ったんだよね。
ずっとなにかの信者になりたかったからね。
(今もなりたい気持ちがあるw)
んでこれまた小学生の頃。
盲信してた先生に失望して
ガラガラと世界が崩れてしまった。
うん。
「普通」になりたかった。
「特別」になりたかった。
みんな
「普通」で「特別」
なんだけどね。
わかるまで長かったなー
だから「普通」にも「特別」にも
なろうとしなくいい。
むしろ
「普通」になろうとして増やしたものを
「特別」になろうとして増やしたものを
ぜーんぶ
燃やしておしまいっ!!