ちゃーっす!

 

人間を知りたい

自分を知りたい

ってな欲求が強い子供でした。

 

生身の人間は刻一刻と姿を変える生き物なのでよくわかりません。

 

なもんで、

人間を分類し論じる世界にハマりました。

 

だって

理解できたら対応できる。

 

そう思ってたんだよね。

 

でも現実は、

理解を超える世界だった。

 

生身の人間は刻一刻と姿を変える生き物なのでよくわからない。

 

小さい頃に感じたこの戸惑いこそが答えだったんだ。

 

今はそう思っている。

 

長い間、

 

人間って何?

私って何?

 

ようは自分探し。

自分探しをしていたつもりだった。

 

お酒をやめて、素面で現実世界に居続ける生活を始め

占いに夢中になって

自分のホロスコープや命式やチャートを眺めて

「さあ、どうしようか」と

迷った時

 

私が探していたのは自分じゃなくて神様だったと気付いた。

 

欲しかったのは盲信できる神様。

熱狂的な信者になりたかった。

 

だから、教義めいた言い切り断言系のあれこれにハマる。

だけど、言い切り断言系の限界が見えるから冷める。

 

この繰り返し。

 

しょっちゅう繰り返しているから、

どこにいっても距離を取って奥まで入ろうとしない。

 

それが、昨年末あたりから

集団・グループへの認識が変化し始めて

「私は」から「私も」、「みんなは」から「みんなも」へ。意識の変化

 

自分への認識も変わり始めている。

ずるさと覚悟のなさを痛感している。

 

本当の自分も神様も

いたとしても

襟足や肩甲骨の間あたりの

すぐ近くにいるんだけど

肉眼では決して見えない

見ようとしたら

ぐるぐると回り続けるような

そんな場所にいる。

 

そんな気がしてきてる。

 

探せば探すほど

目が回るw

 

30数年も

回り続けてきたんだからもういいか。

 

両親に望むことは自分にやる
神様に望むことは自分でやる

 

とりあえず、
今日はこんな気持ち(笑)