ダイエット
デトックス
メタボリズム
ダイエット【diet】美容・健康保持のために食事の量・種類を制限すること。
と、辞書にある。
制限であるならば、それは「入口」という場での「取り入れる」という行為に、留意するべきことがあると理解するのが妥当だろう。
一方で、デトックス【detox】体内の有害物質を取り除くこと。
と、辞書にある。
ならば、デトックスとは「出口」という場で、いかにして、不要・不適・不快なものたちを「排泄・排出」していくかを考える行為と理解するのが妥当だろう。
つまり、入口であれ、出口であれ、どちらの場であっても、私たちがすることはこれに尽きる。
選択と決断
入口では、何を取り入れ、何を取り入れないか。
出口では、何を残し、何を取り除いていくか。
取捨選択という行為を、その時その場の「出入り口」で適切に繰り返していくことによって、スムーズな代謝、すなわちメタボリズム【metabolism】が十分に機能することになる。
さて、私が提唱する断捨離は、この身体の代謝のメカニズムを「住空間」で存分に機能させようとする理念であり、またメソッドである。もちろん、それは住空間だけにとどまることでなく、「仕事空間」を含めたあらゆる空間、さらには物理的な空間さえも超えて、「人間関係」「観念」「価値観」へと。つまり、私たちの人生の代謝を促していこうとするもの。
けれど、自分の人生の代謝を効果的に機能させるためには、なにより、今、自分自身が住んでいる「住まい」から始めること。断捨離の着手点は住空間であると、私は訴え続けてきた。
だからなのか、大方の場合、断捨離は「家の片づけ」という理解にとどまっている。それは、私にとっては残念ではあるけれど、しかしまた、それだからこそ、断捨離が日常の生活での「生き方の実践哲学」の証拠でもあると、自負も持っている。
では、その視点で、改めてあなた自身の住空間を見渡してほしい。それは、なにも家全体でなくても構わない。クローゼットという空間でもいいし、テーブルの上という空間でもいいし、また、キッチンの引き出し一つでもいい。
要するに、大きな空間であれ、小さな空間であれ、その空間の中にあるモノたちが代謝しているかどうかが問題なのだ。
なんとなく取り入れたモノたちが、なんとなく、そこに詰め込まれたままである。
とりあえず取り込んだモノたちが、とりあえず、そこに置かれたままである。
生活空間へモノを招き入れる時にも、そこからモノを排出していく時にも、なんの吟味もない。今の自分にとっての「要・適・快」も「不要・不適・不快」も明確にすることなく、モノを取り込み、モノを取り置くことを漫然と繰り返す。余計にモノを買い込み、余計にモノを溜め込む。
こんな自分の意識と行為の有り様が、モノを過剰に堆積させ、結果、片づけに難儀する空間を自分自身に提供することになる。
そこには、「散らかり」というレベルを超えて、もはや「有害」と成り果てたモノたちが静かにひしめくという実態が展開している。当然のことながら、住空間の「美容」も「健康」も保持されるわけもない。
モノの代謝のない空間は哀れというしかない。
空間に代謝のない生活は哀れというしかない。
生活に代謝のない人生は哀れというしかない。
そして、そんな哀れに気づかないでいるとしたら、そう、もしも、問題をただ「家が片づかない」という程度の認識に押しとどめているとしたら、そのことの方が、もっと問い直していかなくてはならない難題なのです。
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*「断捨離(R)」は、やましたひでこ個人の登録商標です。