ちょっと前に久しぶりにどかーっと本を借りてきました。
今回ちょっとハズい本を結構借りてるのでタイトルは伏せて(笑)
ハズいっても、もちろんエロ本とかその類ではないので悪しからず。
そもそもエロ本とか図書館にあるのかなぁ?
もはやエロは”本”というメディアで楽しむものではないのかもしれない・・・と思ったけど、そういえば先日長野の白馬に行く途中、高速を降りて田舎町のコンビニ数軒に寄った際に異様にエロ本のコーナーが充実していたことを思い出した。
今でもエロ本は現役だった。
そんなこんなの借りたハズい本の中でも一冊だけ露出してしまうのが、この一冊。
『自助論』
結構有名な作品らしいので読んだ時ある人もいるかもね。
今から150年以上前にサミュエルさんというイギリス人の(たぶん)おっさんにより書かれた本が今日でも人気で、あまりこの手の作品は普段なら読まないけれども、ちょっと読んでみる、少なくともパラパラ目を通してみようか・・・と思って取り寄せたのだけど、この表紙を見て一気に懐かしい気持ちになった。
それは『竹内均 訳』。
小学生の頃から野球を始めて、なんとなく野球選手になりたいなぁと中学2年生の夏まで思っていたり、なんかして。
ただそんな中2の夏に肩と肘を壊して、もう野球選手はムリだなぁ・・・将来どうしようかなぁ・・・なんてことを、佐賀の片隅の田舎町で思っていたり、なんかしていた。
そんな将来の夢を失った中2の秋に出逢ったのが一冊の科学雑誌『Newton』でした。
この雑誌には、喰らったよね。
中学2年の僕の脳みそを稲妻がぎゃんぎゃん走りまくった。
もうね、どうしてもこの『Newton』を毎号買いたかったのだけど、いかんせん当時の我が家にはお小遣いという民主主義の根幹ともいうべき制度がなかった。
お小遣いはなかったけれども、ちょくちょく父親が本屋さんに連れて行ってくれて、その時に買ってもらえる本が我が家では『お小遣い』のようなものだった。
ただ、定期にて連れて行ってもらえるワケでもなく、僕はどうしても『Newton』を年間で定期購読したくて両親にお願いしたら、『学年で成績が一番になったら定期購読をしてくれる。』と。
当時、佐賀の(くそ)田舎の中学生に勉強をするというモチベーションなどあるハズもなく、学年全体で100人強の中で悪くもないけど良くもない、当時たしか学年で40-60番くらいの成績をうろちょろしてた僕が、人生で初めて勉強にモチベーションを見出した瞬間でした。
そして無事に中2の3学期には学年一位をゲットして、念願の『Newton』の年間定期購買をゲット!
なんなら望遠鏡も買ってもらった!
僕が年に数回プラネタリウムに行くのは、確実にこの当時の自分へのオマージュです。(笑)
そして。
そのまま中学3年生の一年間は一位をキープし、結構本気で『俺は某大学理学部地球惑星学科に行くんだ!』と思っていました。(笑)
それもこれもすべては、地球物理学者であり、そして1981年に『Newton』を創刊し、亡くなられるまで20年以上初代編集長として日本の子供たちの科学への興味を掘り起こし、惹きつけ続けてくださった竹内均先生の影響です。
人生には大小のいろいろなターニングポイントがあるけれども、『Newton』との出会いは僕の人生を確実に変えたよ。
竹内先生の名前をここで見るとは思わなんだ。
過去に『Newton』について書いたことなかったっけな?と思ったら、やっぱ書いてたか・・・(笑)
そうかそうか、最初にホーキング博士の『ホーキング、宇宙を語る』をフックに科学系、特に地球や宇宙物理のことに興味を持つようになって『Newton』に辿り着いたんだ。
あれから30年。
当時の科学好き少年は、見事に文系おじさん(独身)になりました。