10/10 四国八十八ヶ所参りツアーに行ってきました。(かなり長文です。)
本当は10/7の予定だったのですが、台風で延期に・・・。
なので仕事が終わってすぐ行っても集合時間に間に合わない。
なので、霊山寺へ直接行くことになりました。
第一番 竺和山 霊山寺
御本尊 釈迦如来
御真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
聖武天皇の勅願により、天平のころ行基菩薩が開基。
弘仁六年(八一五)弘法大師が二十一日ほど留まって修法された。
この間霊感を得て釈迦如来を刻み、印度(天竺)の霊山を日本(和国)にうつされる意味から竺和山霊山寺と号し、第一番の霊場としたと伝えられています。
9時過ぎに霊山寺に到着して添乗員へ連絡。
すぐに会うことができました。
納経帳をあずけて、笈摺(白衣)を購入。
ほかの方は本堂で受戒を聴いているというのでいそいでいきました。
マイクを使ってくださっていたのですが聴き取りにくく、ほとんどわからず・・・
お話の終わりに右肩に↓をおしてくださいました。
説明が聞こえず、どういうものかはわかりませんがめったに押してくれないとの事でした。
『四国遍路』という本をいただけます。
遍路の心得や作法について記されています。
右のほうは納め札で、これは100枚50円で購入できます。
本堂・お大師堂に1枚ずつ納め、接待を受けたときも1枚差し上げます。
まわった回数により色がかわります。
↓ 1.2km
第二番 日照山 極楽寺
御本尊 阿弥陀如来
御真言 おん あみりた ていぜい からうん
弘法大師はこの地で二十一日間にわたり阿弥陀経を読誦して修法され、その結願の日に阿弥陀如来を感得し、ご本尊として刻まれました。
後にご本尊の後光が鳴門の長原沖まで達し魚が『日照山』と号するとされます。
↓この『抱き地蔵』は持ったときに重いと感じれば願いはかなわず、軽いと感じれば願いがかなうといわれています。
ヒントは石でできているということ。
↓『仏足石』は、釈迦の足跡を石に刻んだものです。
これはかなり大きかったですが、本当の足のサイズは70cm!
足紋は人間と違い複雑な紋様になっています。
昔はこれを拝んでいたようです。
↓名前はわかりません。
人の位置を示したものだそうで、真ん中に『人』という字があります。
一番下が地獄で、悪いことをしたら落ちてしまう。
上に行くほど位は上がるようですが、人間は修行をつんでも天上くらいしか上がれないようです。
↓『長命杉』は、樹齢1200年あまりの杉で、弘法大師お手植えと伝えられています。
↓ 2.4km
第三番 亀光寺 金泉寺
御本尊 釈迦如来
御真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
古くは聖武天皇の勅願で行基菩薩がご本尊を刻み、金光明寺と称していた。
弘法大師が巡錫された時、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水がわき出たので、寺名を金泉寺に改めたという。
↓この黄金井戸をのぞいて顔がはっきりうつれば長寿のおかげをうけると伝えられている。
↓源平の戦いの時、源義経がこの寺で休息し弁慶の力量をみせたといわれる『弁慶の力石』があります。
↓ 5.5km
第四番 黒巖寺 大日寺
御本尊 大日如来
御真言 おん あびらうんけん ばざら だどばん
弘法大師がこの地での修行中に大日如来を感得、一刀三礼 して1寸8分の大日如来像を刻み、これを本尊として創建したと伝えられる。
この地が三方を山に囲まれ黒谷と呼ばれていたところから黒巌山とし、本尊より大日寺と号したという。
本堂と大師堂をつなぐ回廊には、三十三体の観世音菩薩像が安置されています。
↓山門は、下層は角柱で上層は丸柱であることから建築学的に貴重だそうです。
ちなみに、ここの住職は仏教美術学者であり、四国大学教授だそうです。
↓ 2.5km
第五番 無盡山 地蔵寺
御本尊 勝軍地蔵菩薩
御真言 おん かかかび さんまえい そわか
昔から「羅漢さん」の名で親しまれている寺。
ご本尊は地蔵菩薩で、胎内に弘法大師が刻まれた勝軍地蔵が納められています。
本堂裏手の石段を上ると、コの字型の羅漢堂があります。
境内へ入ると弘法大師お手植えの大銀杏(たらちね銀杏)があり樹齢800年を越えています。
銀杏の匂いがプンプンしておりました。
↓『びんずる尊師』は場所により違うようですが、ここは赤でした。
痛い部位を片手で像に触り、もう片手で自分の痛い部位をさわり
『○○が痛いので治してください。』
とお願いすると痛みが取れるそうです。
やってみましたが、とれていません
水琴窟のある水子地蔵尊があります。(画像なし)
地蔵尊に水をかけると琴のような澄んだ音色が聞こえます。
ここで12時を過ぎ、バスに乗り込むときお弁当をいただきました。
時間がないのでバスの中で食べることになります。
移動時間が短いので必死!
↓ 5km
第六番 温泉山 安楽寺
御本尊 薬師如来
御真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
昔この地方で温泉が湧き、諸病に特効があったので、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために薬師如来を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけられました。
『逆松』という松があります。(画像なし)
修行中の大師を猟師が猪と間違って矢で射ましたが、松が身代わりになり矢をうけました。
そこで大師は折れた松を逆さに植え
『この松が栄えたならこの地を訪れたものは厄災を免れるだろう。』
と予言したといわれています。
修行大師像の前に置かれた『願い棒』を年齢の数だけ持ち経を唱えて像の周りを巡り願を懸けると願いがかなうといわれています。
江戸時代は宿に困った遍路や旅人を泊めて保護するように藩主から指定された寺『駅路寺』でした。
現在でも人気のある宿坊として知られていて、天然温泉は涸れてしまったが、大師が開山した時の意をくみ、浴槽にラジウム鉱泉や薬草を入れた長寿湯として、お遍路に喜ばれています。
↓ 1.1km
第七番 光明山 十楽寺
御本尊 阿弥陀如来
御真言 おん あみりた ていぜい からうん
この地を訪れた弘法大師が阿弥陀如来を感得し、大師は十楽寺谷に堂宇を建立し、感得の尊像の姿を樟で刻んで本尊として開基しました。
人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を阿弥陀如来の慈悲によって克服し、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺としました。
眼病や失明に霊験があると伝えられる『治眼疾目救歳地蔵尊』が祀られており、
『苦しみから離れ、素晴らしい喜びが得られる』
という意が込められた山号とおり、人々に光明をもたらすと伝えられています。
目の御守も売られていました。
↓ 3.5km
第八番 普明山 熊谷寺
御本尊 千手観世音菩薩
御真言 おん ばざら たらま きりく
弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されているとき、紀州の熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得しました。
そこで大師は結伽趺坐(足の表裏を結んで坐する円満安座)されて日夜精進し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音を刻まれ、仏舎利百二十粒とともに金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置されました。
四国最大最古とされる多宝塔↓は、安永3年(1774)に建立されました。
胎蔵界大日如来像を中心に、東に阿閼如来、南に宝生如来、西に無量寿如来、北に不空成就如来が四方に祀られています。
バスで通り過ぎましたが、四国随一の山門があります。(画像なし)
和式と唐式を折衷した建築で、 高さ13メートル、桁行9メートル、梁間5メートルの三間重層の重厚な構えは、四国霊場で最も大きいそうです。
山門の二体の仁王像を十楽寺へ移すことになり、村人が一日がかりで運んだが、夜が明けると仁王像は 元の熊谷寺の山門に戻っていました。
何度運んでも仁王像は戻っており、十楽寺に運ぶのをあきらめたという言い伝えがあります。
↓ 2.5km
第九番 正覺山 法輪寺
御本尊 涅槃釈迦如来
御真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
巡錫中の弘法大師が白蛇を見、白蛇が仏の使いといわれていることから釈迦涅槃像を刻んで本尊として開基したと伝えられています。
当初は現在地より4キロメートル北方の法地ヶ渓にあり白蛇山法林寺と号していました。
昔、松葉杖なしでは歩けない人がこの寺に参拝に訪れた時、参道の中程でこけてしまいました。
起き上がったとき足が軽くなって、松葉杖なしでも歩けるようになり、足が完治したという逸話が残っています。
本堂にはお遍路さんを無事に歩ききれるよう健脚祈願のわらじが多数奉納されており、楼門には大きな草鞋が奉納されています。
また、健脚祈願の御守りのわらじが売られていて、足腰の悪い人へ買って帰る人も多いそうです。
田んぼの中にぽつんとあるので閑散としたイメージがありました。
山門前にあるお店の草もちがおいしいと先達さんがおっしゃってました。
買わなかったので画像はありません。
↓ 4.2km
第十番 得度山 切幡寺
御本尊 千手観世音菩薩
御真言 おん ばざら たらま きりく
修行中の弘法大師が、着物がほころびた僧衣を繕うため機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切りさいて差し出しました。
これに感激し弘法大師が娘の願いを聞くと、父母の供養のため千手観音を彫ってほしいとのことでありました。
そこで、その場で千手観世音菩薩像を刻んで娘を得度 させ、灌頂 を授けたところ、娘はたちまち即身成仏して千手観音の姿になったといわれています。
この寺の本尊は二体あり、弘法大師作の千手観音は南向き、女人即身成仏の観音菩薩は北向きに安置されています。
どちらも現存していますが、娘が化身した観音菩薩は秘仏とされていて見ることはできません。
↓11km
第十一番 金剛山 藤井寺
御本尊 薬師如来
御真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
弘仁 6年(815年 )に弘法大師がこの地で自らと衆生の厄を祓い、薬師如来像を刻んで堂宇を建立、山へ2町入ったところの八畳岩に金剛不壊といわれる護摩壇を築き一七日(7日間)の修法を行ったのが開創であると伝えられています。
このとき弘法大師が堂宇の前に藤
を植えたことから藤井寺と号したということです。
本尊の薬師如来は、大師自らが刻んだものと伝えられており、不思議なことに二度も火災に遭いながらも難を免れています。
この本尊は、実際は平安時代の年号の銘が入っており、年号が入るものとしては四国霊場最古の仏像といわれる。
国宝にも指定され、現在は奥の院に安置されている。
本堂横から入ると『ミニ西国三十三ヶ所』と『ミニ四国八十八ヶ所』が設けられています。
西国三十三ヶ所は10分ほど、八十八ヶ所は40分で巡礼することができるそうです。
以上の十一寺をまわりました。
ほとんど睡眠が取れていなかったので、最後の方は集中力が途切れてしまいました。
寺の間が近いのでバスに乗っている間に先達さんのお寺にまつわるお話しがあります。
それを聞いていると全然休めない。
もちろん話を聞くのが目的でツアーに下のですから聞かないともったいないから聞いていましたけど。
本当に疲れました。
添乗員さんに聞くと、本当は2つに分かれていたツアーが一つになったのだそうです。
人気がなくて1つにくっつけて値段を下げたらたくさん集まったそうです。
確かに、11寺をまわって2980円ですから破格値です。
特典として、
①先達さんの同行
②朱印集めは添乗員が代行
③法話付
④全14回で結願
⑤全14回食事・お茶1本付
⑥難所への交通費代込み
全部参加すると108個の玉が集まり、別料金で数珠にしてくれます。
第1回参加者のみ、
⑧「参拝の心得書」付
⑨「納め札』100枚付
⑩線香とローソク付
⑪四国巡拝マップ付
など。
次は3回目となりお値段は上がりますが、参加しようかなとは思っています。
旅行会社もちゃっかりしていて、バスの中で次の予約(10/31)をとっておりました
帰りのバスの中でもお勤めをして(お経を読む)、終わりとなりました。
私は、松茂でおろしてもらいました。
が、ここで私の旅は終わらない。
車をおいてある霊山寺まで、ランで向かいました。
重いリュックを背負ってひたすら西へ。
とはいっても、10kmほどでしたので少し距離稼ぎに霊山寺を通り過ぎ、道の駅『第九の里』でおりかえして霊山寺に戻りました。
お寺さんには車を置かせていただくということを伝えてありましたので、奥の駐車場にとめていました。
車に乗り込み急いで帰宅、
長い一日が終わり本当に疲れました。
お風呂に入ってバタンキューでした。
次からは、もっとゆったりまわるそうなので期待しています。
ほんとうは、歩いて登るところでしたが時間がないのでマイクロバスで境内のすぐ近くまで送っていただきました。
帰りは歩いて降りたかったのですが、時間がないので却下となりました。
でも小学校の時に来た時もすぐ横まで車で来た記憶がありました。