昭和の いかにもというものが 

あれこれ押入れの中にしまわれていて・・

今はもう 使うことさえもなかろうに

丁寧に・・・(でもないか)忘れ去られ

ただ捨てられずに取ってある。

 

そういうお家を見たら 

実家も思い出されるけど

なんか うずうずしてきて

つい 自分の身の回りを見てしまう。

 

 

この家は 押入れのような収納が一切なく

(当時の韓国の家がそうなのか)

クローゼットに 服ではなく 

その中に モノをびっちりと整理して

ぶち込んでいたので

どこに何があるかは 大体把握してても

出すのに大変だったりした。

 

もちろん 使うモノ あまり使わないモノ

を考えて収めてはいたものの

総量が多いとやっぱり 不便。

 

そこに ダンシャリの概念が入ってきて

本当に要るものと 実は要らないものを

選別できるようになると

スペースに余裕が生まれるので

ものの出し入れも楽だし

掃除のハードルが下がって

もっと 綺麗を保てるようになる。

 

いいことづくめ。

 

 

 

書類系の整理の動画を見ると

わたしも 紙1枚 減らせるものはないかと

再度 見渡してみたりもする。

 

ただ・・・書いたり 作ったりが

好きなので 紙ものは 切れ端だったとしても

捨てれないものもある。

 

普通の人はここで ばっさり捨てるはずだと

思いながらも 自分にとってはまだ

磨けば光るダイアモンドの原石のような

感じに思えるので そういうものは

取っている。

 

必要なものはまた 買えばいいという

考え方もあるけど・・・

必要になりそうなものは

やっぱり 確実に取っておこうという

節約思考だ。

 

ああ ここで やっと本題の節約について。

 

 

紙モノを整理しようと見ていたとき

我が家の節約ノウハウをA4用紙4枚程度に

まとめたものが出てきた。

 

今までも 何回も見直しているようで

赤ペンで 書き足したりしているものもあった。

2020年とあって 最初に書いたのがそのときか?

はたまた 書き足した時期か?

 

比較的 よく見る書類の中に入ってて

ダンシャリの 対象にもならなかったもの。

 

しかし かなり時間が経っているから

捨てるか 1から 新しく書き直してみようか

などと読み直してみた。

 

新しいノウハウを 発見すれば別だけど

今のわたしに考えられる限りのことは

書かれていたし 同時にそれは 自分の

身になっていることでもあって

今更という気もした。

 

ただ 赤ペンで書き足していた 文章に

はっとした。

 

ほとんどの 生活行為が 節約というよりも

価値あるものを 生み続けているという 考えに

変わってきた。

 

 

 

わたしは それまで

節約は お金のため・・・

と 思っていた。

何につけても それは 安心を得るためだった。

 

 

書いてあるのは 光熱費や食費などの

それぞれの項目での 具体的な節約方法

考えなのだけど・・・

 

それを 見直しているときに

わたしは こう感じたらしい。

 

らしい・・・というのは

自分でも すっかり忘れていて

想いもしないことを 今更言われたような

驚きを感じたのだ。

 

そのとき感じたことを 今更ながら

どういうことを 言わんとしてたのか

考えてみた。

 

もちろん 買うものは 慎重に 吟味する。

 

そして 手にしたものは 大切に扱う。

丁寧な生活・・・

自分にも 家族にも 自然にもやさしい生活?

時間や手間を取ることもあるけど

それさえも楽しむ 心豊かな生活?

 

そういう風に感じたのだ。

 

 

今までただの節約だと思っていたけど

もちろん わたしにとって 節約は

ゲーム的な意味を持つ 面白い

関心事でもあって 決して辛いとか

いうイメージはなかったけど。

 

わたしの 頭の中から

節約生活という言葉も 

ダンシャリする時が

きたのかな~~とも 感じてしまった。

 

なにかしら しっくり来る

言葉はないかな~と思い始めている。