リプログさせていただきます。

 

ポラさんの このブログの中で

「自分を赦す」ではなく

「自分に赦してもらう」

という部分に凄く はっとさせられました。

ただの言い回しの違いかと言えば

これは 根本的に違うことのようでもあると

感じたのです。

 

わたしも 自分を赦したいと思うところがありました。

最後は 自分自身のことのほうが 

赦し難かったりするのを 感じたりもします。

 

他人(親戚が多いんですが)

自分が 傷つけられたと感じたり

嫌な感情を そのまま持ってしまう人を

赦そうという心になると・・・・・

 

その嫌な感情は消えたかというとそうでもなく

ただ 相手を責める気持ちだけが 薄くなり

その人とは 価値観が違うのだろうから

お互いに 近づかないほうがいい

適当な距離感で お付き合いしたいと

なんとなく 落ち着かせることができるのですが。

(親戚だと完全に離れることはできないけど

自然に離れることになった人もいるわ!)

 

 

 

自分は 常に自分と 一緒だから

距離感がないので あるとき 突然 

赦せない心が ぶわっと 押し寄せてくるのかな?とか。

 

これは もう 自分が自分を赦すのではなく

自分にも赦してもらう・・・

そのくらいの 気持ちで居たほうが いいなと

軽くなりました。

 

 

わたしにとっては

「赦す」といことは 教会から離れるため

一般のスピリチュアルな考えを 自分に取り入れて

実践する中で 登場した1つでもあったので

かなり取り組んだ 記憶があり。

 

何回も 何回も 今までで 登場してきたものの

最近は すっかり 忘れていたことでもありました。

それだけ 赦せない人 事が 周りになくなって

きたからでもあります。

 

・・・で 最後に残ったのが 自分の中での

自分で赦せない1点みたいなもの。

 

なので はっとさせられました。

 

 

 

 

 

丁度 折りしもこの日。

 

出勤前のパパさんと お昼を一緒に食べていたときの

ことです。

 

最近 買った本を読んでみて

はっとしたことがあったそうなんです。

 

それが 赦しだったそうで。

 

自分は 正しいことは 正しいと

正しくない相手を 責めるだけ責める心で居て

相手の事情を理解しようとか 赦そうとか

そういう意識 心が 全くなかったなあ~!

それに 気付かされたと。

 

え!?

 

たしかに わたしの スピ的な話は 全くかすらない

パパさんで わたしは あえて そういう話を

子供達にはしても パパさんには 避けていたことも

ありますし あまりに 感激して パパさんにも

話してみても 反応が薄く・・・

 

やっぱり 無駄だったかと

自分に反省というか がっかりすることも多かったです。

 

 

 

人を赦すという観点が 今まで 全くなかったと

告白されたときは

 

え!?今まで 何をしてたの?と

言いたくもなりましたが。

 

本人が なかったというのですから・・・

 

いや~~ それは よかったね。

それに気付けたということは

これからの 人生 もっと楽に

もっとよくなるだろうから!

わたしも 本気で喜びました。

 

 

本当に 自分の中の 善悪の基準だけで

それに合わない人を 責めて 攻撃している人って

意外に多いんでしょうね。

 

そういう わたしも まったく 気付けずに

ただ ひたすらパパさんを 責め続けていた

日々もありましたね。

 

わたしの 何がいけないの?!と

自分に その矛先を向けたときから

人生が動き出したような記憶があります。

 

 

 

今では 相手を赦すのは 自分のためだと思ってます。

 

そして 赦せない点があるとしたら

自分がまだ こだわりたい部分なのだろうと

今回 新しく感じたところもありました。

 

赦せない心は ちょっと苦しいけど

それを まだ 抱きしめていたい

もう一人の自分がいたりするのだろうと

かんじました。

 

だから 待ってあげる?ことにしました。