3年には 1週間ほど足りないようだけど

1000日は越えたから 自分の中で

OKを出そう。

 

 

3年前に日記を書き始めた

明確な動機は覚えてない。

 

そんなときは

ノートを見返せばいいのだ。

きっと何かヒントがあるはず・・・・。

 

・・・・・・・・

 

 

 

 

2020年12月27日(日)

わかった!

 

その1週間前に 3人の姪っ子たちを

父親の元に一旦返している。

 

コロナで学校の授業ができなくなったことから

卒業式のある年頭まで 2週間くらい

冬休みとして帰って来たらいいと言ってた。

 

上のソルビが卒業するので 中学を期に

3人とも 父親と一緒に新しいアパートで

生活することにはなっていた。

子供たちも 自分の新しい部屋を

とても楽しみにしていたこともあり

準備の意味もあった。

 

どちらにしても この家での生活は

わずかだった。

 

ところが わたしは知らなかったのだが

この日(27日)子供達の父親が

近所にある教会に熱心に通っていたので

礼拝に出て そのあと

子供達のタンスを持ち帰るということで

我が家に寄って そのとき

卒業式も学校で 行えないので

もう学校に行くことはなく

子供たちは この家に戻ってくる必要がなくなったことを

知らされた。

 

卒業証書を取りに 長女のソルビだけは

学校には顔を出すけど

この家で 子供たちが生活しながら

学校に通うことは なくなったと

知らされたのだった。

 

最後の お別れが近づいているのは確かだったので

どんな顔をして 子どもたちはこの家を 出て行くの

だろうか・・・などと 心配してたけど。

 

そんな別れになるとは 全く知らず

子供たちは この家を 巣立って行ってしまったのだ。

 

子供たちが帰る前日

1年が終るというので

1年とそしてここでの4年間の反省会 忘年会として

ドーナツを作って わいわい話したけど

あれが 本当に 最後の最後だったんだ~~と

思うと 最後の特別な時間が持ててよかったなと

いう安堵と

思いもしない別れが来て

ちょっと 面食らってしまったこともあった。

 

そこで わたしは この日

子供たちの歯ブラシなど

使わなくなった備品など 整理した。

 

そして この日の出来事と

子供たちと過ごした4年間を反省する 

1人会議みたいなのをしてノートに記している。

 

 

 

これが すべての始まりだったのか・・・

自分でも 忘れていたというよりも

気づいてなかった。

 

なんとなく 始まったとだけ思っていたからだ。

 

 

 

わたしも 新しい生活が 始まるということで

整理のために 書いたけど

これが きっかけとなって

毎日の 些細な記録を残すようになって。

 

それが どんどん 変化していって

今の形になったんだなあ~~。

 

 

そして 朝 このノートを広げ 日付を入れるのが

日課になった。

 

ノートと共に日々を送るという

生活になったのだ。

 

タイムスケジュールこそは 残さないにしろ

自分の感情を中心としたものなど 良くも悪くも

この中にすべて納まっているような気がする。

 

そしてもやもやしたら

すぐさま このノートを広げて 1人会議というか

気持ちを落ち着ける作業をしてきた。

だからだろうか?

 

なんだか この1年は すごく平穏だったような

気がする。

 

今では ノートと共にあることが

生活そのものになっている。

 

つるっと 毎日が過ぎていくようなんだけど

日記を広げると 毎日何かがあったことが

一言でも書いてあるので

ほっとすることもある。

 

 

手帳を愛して 何冊も 手帳を持っている人も

いらっしゃるけど

みんな 書くことへの 魅力を知ったからこそ

続けてるんだろうなと感じる。

 

自分なりの手帳術を持つことは

人生の強力なパートナーを得ることと

似ているような気がする。

 

 

 

 

初代ノートを見たら

なんと息子が使っていたノートの

ページを割いて 使い始めてた。

二代目は ヒョソが このノート使わない~

捨てる~とか言い出すので

あわてて もらったもの。

 

歴史を感じて懐かしいわ。

半年も使うと ノートは結構膨れる・・・

来年のはシンプルにしてみた。