この夏 神の探求(エドガーケーシー)という

本に出会いました。

 

誰もが この本の導きのごとく

練習さえすれば・・・・

 

それを聞いたときに とても魅力的に感じ

関心を持ちました。

 

宗教 団体に属さずに

神の探求ができるというのなら

ぜひ 試してみたい。

 

そして

 

過去21年間 歩んできた 信仰の道は

カルト宗教であったとしても

まったくの無駄でもなかったかもしれない。

 

あのとき いろいろな仲間と そして

いろいろな人に出会いながら 歩んできた道には

まだ 自分が自覚できていない

なにか 宝を 取り残しているのかもしれない。

 

過去の宝探しののつもりでも 進めていきたいと

思ったのです。

 

 

 

 

ところで

ブログを整理していくうちに気づきました。

 

マインドコントロールされた 自分の思考を

整理していこうという動機でしたが

13年間 ブログを書き続けた その中にあって

その時々で 思い出したこと 気づいたこと 

新しい思考 情報 出会った人たち 

それが また 宝になっていたことに 気づいたのです。

 

そうして ブログを整理することは

この13年間で 溜めてきた新しいゴミを 

捨てることでもありました。

 

 

 

ところで はっとした部分がありまして

それは まだ 教会を脱して間もない

まだ 家の中の片付けなんて興味なく

こんまりさんも 断捨離も知らない時ですが

 

ゴミと宝に分ける作業をしていく

 

そう表現をしている部分があって

こんな時から そういう意識はあったんだ・・と

自分でも驚きました。

 

 

 

 

一昔は

ゴミと そうでないもの

 

そうでないものが 幅広く

 

宝物 (大好きなもの 絶対に必要なもの)と

なんとなくいろいろ思いがくっ付いて

手放せないまだ使えそうなので残しているもの

 

この2つが かなり混在していたのですが

 

今では ゴミか宝かと

分別基準が 鋭くなっているのを感じます。