「神の探求」の本に従って

進んでいく 実験生活 探求シリーズ。

 

第一課は

長い間 とても神経を使っていた部分と 

一致していたこともあり

そのまま これは 続けていくとして

 

とりあえず 次の課題を見てみようと

本を読み進めてみたけど

理解できなくて もやもやしてて 

何をすればいいんだ?という迷いと共に

 

むしろ その課の中に出てきた

「奉仕」という言葉に 引っ掛かりを感じ

嫌だな~~という 感じがした。

 

奉仕と言う言葉には

言いくるめられて こき使われるというイメージが

まだまだ こびりついているような気がしたし。

 

だから 当然 足踏み。

 

それでも 理解を深めるために

少しづつ 繰り返しながら

第二課 自己を知る

を読んでいた。

 

なんかだ もやもやして

はっきりしないし

進めないという 表現が

一番合っているかんじ。

 

 

 

 

第一課 協力」 も

自分の意識に気づいていること

その中で 欲を捨てて行くことなどが

実践するべき内容であると読み取ったけど

誰かと 協力しなさいという話では

決してなかったのだ。

なんか 不思議な本。

人によっては 違う解釈をする人もいるかも

しれないとも思う。

 

 

 

だから 自己を知るということでは

自己分析でもしなさいというのかと

思えば そうでもない。

 

自分が何を 改めて意識して

生活すべきか?と 日常で実践することに

重きを置いて読んでいるけど

自己を知るというのは

肉体だけでなく 精神体 霊体で成り立っている

というようなことからの説明もあるので

これが 当たり前になっていない人では

そこから ぶっ飛ぶかもしれない。

 

 

試練にあったときは

自己に対し真実であったか 自己の内面を

見る必要はあったし

 

自分の1日の言動を振り返るということも

必要だとあった。

 

日記を通じて やろうとしている

やってきている感じがして

ここは そのままで 行けばいいなと

腑に落ちたけど。

 

 

他人の目から自分を観察してみることに関しては

時間を少し掛けてみる必要があるのかな・・・と

かすかな 課題が見えてきた。

 


 

しかし そのつもりではなかったけど

ブログを整理するということで

13年間の自分を 他人の目から見ることができ

振り返ることができたと思う。

 

それが あったお陰でか

奉仕という言葉も 棘がなくなり

第三課を 読み進めて

次の予習を始めてみようかという

気持ちになった。

 

 

 

 

今になって思うけど

ブログの整理は 決して 課題をクリヤーする

ために始めたわけでもなんでもない。

 

昔から ちょこちょこ気になっていたことも

あったので 何を書いてきたのか

簡単にメモして ノートに残し

自分でざっと把握できるくらいには

しておきたいなという考えはあった。

 

気になっていたことを

今 片づけちゃえ!

そんな 気軽さだった。

 

実際に ブログの数を ざっと数えてしまったときは

大変なことを始めてしまったとも気づいた。

 

でも そのときは途中でやめるのも

気持ち悪いし するしかない!になっていた。

 

 

そして どんどん いろいろな考えがよぎり

方向転換などして 思いもしない結果に。

それが ブログをネット上から 削除する

ダンシャリにつながった。

 

そして なんとなく すっきりしなかった

第二課も すっきりしてきて

次に行こう!と 自分の中でGOサインが出た。

 

 

突然のひらめきって 凄いな・・・と

不思議で仕方ない。