この「自己否定」という言葉と

為に生きる」という言葉は

トラウマのようになっていて

見たくもなければ 使いたくもない言葉として

長く わたしに まとわりついていました。

 

特に「為に生きる」は 性質が悪かったです。

誰が聞いても よさそげな言葉だからです。

 

怪しさ 違和感 もりもりのままで・・・・・

 

 

 

でも 否定やら 犠牲やらは

スピリチュアルなメッセージを見ていく中で

否定するな むしろ 自分を肯定し愛しなさい

という言葉に出会って 救われていました。

 

 

 

 

為に生きるという言葉は

教会組織の中では

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神の前に完全自己否定で

(あなたは 自分の考えなど持たないでいいから)

神のため 人類のため 

(と言いながら 教祖や教会のため)

為に生きなさい

(ただ 言われるがままに動いて

実績をだしなさい)

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そういう風に 仕向けられて行ったと

思うからです。

 

それを脱するために

 

むしろ 自己中心に生きる努力

我がままを目指す位のほうが

ちょうどいいかもと

そっちを 目指しましたが

罪悪感とかも付きまとうし

結構 苦戦しました。

 

それでも 罪悪感も 薄らいできて

なんとなく もっと 軽く 自分が

この家で 家族の中で

生活できているような 感覚が

生まれてきました。

 

長男の嫁ということで

両親と同居していると

引きこもりのわたしでも

関わってくる人

生じる もろもろのことは

耐えないからです。

その お陰で 実践を積む事も

できたと思います。

 

でも 仕事をしていて

職場に出かけている人は

訓練としては 過酷過ぎるだろうなと

思ったりします。

 

 

 

 

 

さて

 

この夏 ケイシーの本に出会ったことで

自己否定というのは

 

(ただ 本の中では 

自己を失う」とか 表現されています。)

 

自分を否定することでもあるけど

それは 自分を苦しめている 自分の思考

欲を否定することであり

それをすることで 自分の本来の願い

(神と繋がっている部分)を

太くさせて もっと 自分らしく生きる

自分になることではないか?!

 

そう感じたことで

自己否定とやらを きちんと学びなおし

実践しなおして

 

過去の自己否定」を 捨ててやろうじゃないか!

そんな風に 始まったわけですね。

 

 

 

 

そこで 今やっている

第1課の 協力ってところなのですが

 

自己否定と表現しますが

それをしていると

勝手に 為に生きる自分になれる・・・・??

 

そういう風に読み取れたのですね。

 

 

祝福の水路になるって言葉を

聞いたときも また 人の為にかあ~と

抵抗感が出てきましたが

きっと 本を読めば もっと詳しく

分かるだろうし

教会が言っていたような そんな風には

言わないはずだろうと

関心が湧きました。

 

 

それで 今のわたしが 理解するには

 

まず 自分を苦しめる 思考感情に

気づき

周りから 毒されている 情報に

気づいて それらを 取り払い

自由を取り戻した 自分になることで

勝手に 神と言われる何かに

繋がりやすくなって

 

勝手に 人のために生きる自分になれる・・・

 

無理やり 人の為にという意識が

始まったら それは 一旦置いておいて

まずは 自分の思考を観察して

気づくこと そこからというのも

納得できます。

 

神の水路になっちゃえば

勝手に 祝福が流れてくるってことで

いいんじゃないでしょうか?

 

 

 

自分が ここ数年意識してきたことが

この自分の思考に気づいていること

まず 気づくこと。

 

そして 客観的に見て

その思考をどうしたいのか

選ぶこと。

 

捨てたいと思ったならば

捨てると決めること。

 

その繰り返しで

自分を苦しめる思考から

開放されることを 積んできました。

 

これは まさに 第1課

 

 

そうして これを続けることで

否定していた

為に生きる精神

 

ときおり 自分の中で

ぽつり ぽつりと

自然に生まれてきている瞬間も

感じ始めていました。

 

ほんとうに 時折・・・・

 

この精神が 自然に大きくなるのを

待てばいいのかな?

 

自分を見つめ続けることで。

 

 

 

 

 

ケーシーの この探求の取り組みには

12人のチームが居て

全員が 課題をクリヤーできそうな

水準に達して 始めて

次の課題が出されたという話を聞いています。

 

この本の全体を早く把握したいという

気持ちもありましたが 

実際に読んで理解するのも 難しいので

当時のように 1つ1つ ゆっくりとでいいのかなと。

 

一度にたくさんの課題を意識するよりも

絞ったほうが集中できて

結果も 感じやすいと 感じています。

 

 

でも 次のお題は何かな~~と

第2課を 何回か読んではいるのですが

で・・・?と

自分の中では 何をするのか 

腑に落ちてきません。

 

ということで まだ進めません。

 

 

あ・・・でも 為に生きたい自分

全開の 状態って

つまりは このすべての課題を

クリヤーしたときの 状態ってことにも

ならないかな??と思うので

あまり 完璧に 厳しくせず

何回も ぐるぐる 繰り返して

更に 深めていく感覚で

適当に 進めて行きたいとは思ってます。