神 守護霊の声を わたしたちは

聞くことができる・・・という話の続きです。

 

わかり難いのが

全部 自分の声として 聞こえてくる。

そして 自分の語彙力で 変換するので

自分が使っている言葉になる。

 

でも 書いていれば 区別がしやすくなるという

アドバイスだったのですが・・・

 

書くという事を 1年続けられたことによって 

その云わんとすることが

わたしにも 少しわかりました。

 

 

 

 

ユタさんの 他の動画でも

じさつについて 言われていたことがあって

あれは 普通の人間では 絶対にできないことだと

言われていました。

 

つまり 何体か憑いていて

囁き続けて まるで自分がそうしたいかのような

錯覚に陥る

とくに 最後の一線を越えるときには 

膨大なエネルギーが必要なので・・・

そのときは もう何百の悪霊たちが 

背中を押すのだ・・とか。

 

わたしは その話を聞いたときに

思い当たることがありました。

 

 

 

母が亡くなって 初七日が終ったあと。

タクシードライバーをしていた叔父が 

ある場所に連れていってくれたんです。

 

不思議なお客様を乗せていったことがあると。

 

行きは家族に抱きかかえられるように 

引きずってこられた人が 

お払いを受けて

帰りは ぴんしゃん自分で歩いて帰ったと。

 

初めて行く 山と田畑ばかりのすごい田舎・・・

山の麓に お寺のような建物がありました。

 

そこで 言われたのが

納骨堂で うちのお墓のお向かいさんが 

無縁仏のもので わたしたちも 手を合わせていたんですが・・・

そこで 母は 霊に憑かれていたと。

 

わたしたちも 手を合わせていたのに?と質問

したら・・・

 

その年回りもあり 一番弱い母に憑いたと。

 

いろいろな心霊を見ていると

憑かれるほうにも 理由があることが

よく分かります。

 

特に あの年は 父が船を降りて 休暇が長く

母の具合が悪くなったのは 

父が帰ってきてからだったので

わたしは 父を恨むようになりました。

 

夫として 傍に居ながら 何をしてたんだ?とか

むしろ 父のせいで 母は苦しむようになったんじゃないかとか。

 

実際に 母が亡くなった後も

悲しんだり 後悔したりよりも むしろ

裏切られたとか 逆切れで

あれも これも 買ってやったのにと

健康食品のことなのですが

怒っていました。

 

母が欲しかったのは 寄り添う心だったはずなのに

それが 全く分かってない!

 

貧しく育った父なので お金が確かに大切なものだという

感覚は理解できますが・・・・。

金で なんとかしようと思っている 人間と変らないじゃないか。

 

そういう 思いになったのを覚えています。

 

 

 

そういえば 韓国の 霊能者的な 

整骨院の院長さんとお話する機会が あったのですが 

 

両親の名前を聞いて 霊視?したあと

離婚してたら 亡くならずに済んだだろうけどねと。

 

あとで この方のことを

胡散臭い たぬきじじいとか 呼んだりしたんですけどね。

 

でも その話を聞いたときは 

そんなこと 考えたこともなかったけど

それも あるかもしれないと 

可能性として 受け入れました。

 

でも 母に離婚するという 選択肢は 

なかっただろうな・・・と

当時のことを思うと そう感じました。

 

そして 母が おかしくなったときに 

わたしは 霊的なものを 信じるので

何か変・・と 感じてはいまして。

何かに憑かれているのかもしれないという 考えが

頭をよぎったこともあったのです。

 

でも どうすることもできなかった。

 

母を励ましたりもできなかった 

自分を長く責めていました。

 

母が 異常な死に方をしたので

そこで 叔父も なにか 感じられたのかもしれません。

 

そこの方も 早く連れてきていれば・・・

なんてことは 言われてましたけどね。

 

 

 

 

その 10年後に 今度は わたしが

連れてこられることになりました。

 

統一教会で 祝福を受けると 言い出した事で

狂ったと 連れ込まれました。

 

あそこは駄目です!って。

 

なんだ 信じていたのに~~

この人も 真実が見えないんだな~とか 

残念に思ったのでした。

 

いや 本当に 見えていたのですね・・・きっと。

 

 

 

 

自分の中で 聞こえてくる声

それは 自分自身のものではなく 

守護霊や高次元からの

メッセージも入っているだろう 一方

悪霊などの存在も 

わたしたちに 語りかけてくることがある

そういう風に 認識しておかなければ

ならないだろうな・・・と 思ったわけです。