最近 神さまについて 私の中で かなり 整理されてきた部分があります。







2005年から 私は インターネットを 通して たくさんの メッセージを


受け取るようになりました。


それは いつも 私が たまたま 見たことになるのですが


たまたまではないと 思っていました。


誰かに 見るように 誘導されたと 感じていたのです。


だから そのような 存在を 神さまと 呼んでいました。



しかし 統一教会の神さまは 唯一神ということで


そんな神さまが 原理ではない 他のメッセージを 見せて 私を導くなんて


今考えると 不思議な感じなのですが


それにしても 私は 道が開けたような 感動と 爽快感を


味わっていたので 人になんと言われようと それは 私にとって


神さまだとおもっていました。





そして 2009年 ある日突然 あるブログを目にするのです。


どこから どう飛んで そこに 行き着いたかは 今は 覚えていません。



一気に 過去記事を 読みました。


そして その神さまに 魅了されてしまったのです。


私は 神とは 言いがたい まだ何かを 持っていたので


神さまと 言いながら 高級霊だと 納得することにしました。


それなら 全然 原理に反さないと 思ったのです。



そのメッセージの中で 唯一神は 便宜上そう言う方が 分かりやすい


(と言われていたかな)


とにかく 便宜上そうであって 実際は 少し 違うということを


言われていたと思います。


そこで 私の中では ピピピと 来てしまったのです。



どうして オトウサマが メシアとして 勝利されたのに


いまだに 宗教が 1つになっていないのか 分かったような気がしたのです。


キリスト教の神さまと 統一教の神さま そして 他の宗教の神さまも


神格? 人格?が違っていて


キリスト教の神さまは 統一教の神さまに 実は 屈服していないのだと


感じたのです。



教会の現状 シックの状態には 疑問をたくさん持っていましたけど


統一教会という組織 団体そのものを 疑うことは まだまだ 知らない時分でしたから


この気付きは 私にとって 相当 大きいものになったのです。



そして 個人的に 質問にも 答えてくださるというので


慌てて 質問を考えたのです。


早く 質問をしないと 順番が いつ回るか 分からないので とにかく


急げ・・・ということで 振り絞った質問。



たぶん 教会のことが 少し 気になっていたので


教会で 言われる 犠牲という言葉が とても 重く感じられて


本来の 犠牲精神というのは ちょっと 違うんじゃないでしょうかというような


変な 質問だったと思います。


そして 私信のところで 質問文に載らない質問もできるというので


今 韓国に居る 7000名の 女性達には どんな意味があるのかと


聞いていました。


本当に 教会で言われているような そういう存在なのか


確認したかったこともあります。



ところで 残念ながら 神さまからの お答えは 受けることができませんでしたけど


私は この期間に 答えを 見つけてしまったようなものです。




数々の メッセージの中で




☆ 1つの教えに 惑わされず 使われず 学びを得たら 卒業



☆宗教組織は 学校 学校は 卒業するもの。



この メッセージは とても 響きました。


当時は ネットで いろいろな メッセージを 学んで 受け入れていたので


原理だけに 縛られた 状態ではないと思っていましたけど


使われず・・・・のところが 気になりました。



この 教会から 使われている感が あったので


自発的に なにか 進んでできないだろうかと 考えて 手を付け始めたのが


実は 子女教育でした。


でも 他の部分では 使われていると 感じたのです。


摂理の為に 活動すること 献金をすること。


これには なかなか 逆らえませんでした。 自発的な部分で OKでは


ありませんでした。


ノルマがあって 達成率が 出されて 常に 競争 走らされれているというのを


十分感じていたからです。



ここに居ては 使われてしまう。


これじゃあ 正しい 信仰はできないのかも・・・と 思い始めるのです。


そんなとき 卒業の 言葉が 留まりました。


卒業できなければ 中退だってあり得る。


統一教会を 中退!?私の中に 新しい 意識が 生じました。


これで 私は 教会組織について


一体 どんなところなのだろう?という 客観的な目で 見ようという


意思が芽生えたと思います。




そうすると 9月には 祝福の話が出てきました。


全シックが もう1回 祝福を受けないといけないという 話が出てきました。


そのときに 私は 教会が お金をほしくて 献金集めのために


祝福をさせようとしていることを 感じました。


片方では 本当に 最後の最後の祝福で 人類をメシアが 祝福してくれるような


祝福式になるのだろうか??と 信じたい気持ちもありました。


私は かなり 迷いの迷路に 入って行きました。



ああ あの7月の 質問から 2ヶ月足らずなのに


まさか あのとき こんな事態になるとは


夢にも 思わなかったという 急展開になったのです。



その祝福が 本当の最後の祝福ではなかったというのが


分かったときには 私の心は ぷっつんしてました。


それだけ 信じれないけど


それでも 最後だと 信じてみようと 誓ったからです。


だから その分 最後でなかったときは 私も 心を決めないといけないよ!と


自分にも 誓ったのだと思います。



その数ヶ月後には オトウサマの写真の後ろの神に 恐ろしい幻想を


感じ取って 生理的に 受け付けなくなる事件が起こり



メシアにメスを入れられない私に


ヨスのプッシュが 始まり


そうして 目覚めてしまうのですから


1年前には 想像もできないところまで ぶっ飛んで行ってしまっていたのですから。



この 急展開の きっかけは 神さまの言葉だったのです。


今 十四夜さんのところに 現れている


十四日の神さまなのです。



だから


悪霊よばわり されようが 私にとっては


本当に ありがたい神さまだったのです。



質問者の 質問文を読めば 急を要するということも 感じ取れるのですが


早くしないと とんでもないことになります!と 言いたいところですが


そういわれても ますます ひるんで 1歩が出せなくなるだろうという 配慮があって


でも 大丈夫ですよ。と 最後は そうやって 励ましてくださる 姿に


本当に 相手のことを 思って メッセージを くださっている 愛のあるからだなと


感じることができたからです。




だから やさしく つけ込んで 最後は 奪っていくという


詐欺のような 手口も この世ではあるんだなと 思うと


ショックだったのですが・・・・・


今は 本当に 再会できるようになって 嬉しいです。





そして 今まで なにか 導かれた実感があると


統一教会の神さまに 感謝していましたけど


それは 実は 身近な ご先祖さまだったのではと 思って


申し訳なくなったことがあります。


あさっての方に お礼を言っていなかったのかなって。



それでも 尚 ちょっと 微妙に ずれていましたかもね。


それは ご先祖さまというよりも 守護霊さまと 言ったほうが


良かったのかもと 訂正しました。



もちろん 先祖の方も 多いそうですが


そうでない場合も 多いようですし


浮かばれない ご先祖さまは やはり 私たちが


供養してさしあげないと いけない 存在かもしれません。





今まで 外に 神さまと 意識を もって行ったら


なにか 悪い霊的なものに その意識を 持っていかれそうで


ひたすら 中に中に 収めていましたけど・・・・。



今度は きちんと 意識を向けてみようと思います。


ところで 意識を どこに 向けたらいいんだ!??







それについては 今 質問をしてきましたので


答えを 待ってみたいと思います。