yongさんのブログで いよいよ 目覚めのレッスンが 始まる・・・・


スケジュールの都合で 更新は 少しづつに なるみたい。


私にとっては ちょうどいい。


その間 1つ 1つ 考え直す 時間が 与えられたと思って


私も レッスンに参加しようと思う。




まずは というか いきなり 手放すことの レッスンから らしい。


やっぱり 全て これに尽きるのか・・・・?


そんなことを 思いながら


私も ふふふ・・・・と 苦笑してしまった。




そうそう 手放すレッスンを してしまったのだ。


あのとき。


でも 私からしたら 自分の 持っている 余計な 概念を 手放そうと


思っただけで 統一教会やら ごふぼ様 メシア そんなものまで


手放す気は さらさらなかった。




ただ あの時は なにを 手放せばよいのか 分からないので


手当たり次第 手放す 作業をしていた。


そのうちに やがて 統一教会 ごふぼ様 メシアにも


手が伸びたのだ。




私はただ 当時も 教会生活が 輝きに満ちたものよりも


足かせ 手かせを はめられたような 窮屈さを 感じていたし


現実が 全然 ぱっとしないこと(シック 全体を見渡して)に


疑問を感じていたので


きっとなにか 余計な 概念を かぶせているのだろうと思ったのだ。



つまり 統一教会に対する 私の 余計な 期待や


ごふぼ様は こういう人だという 思い込み


そういうものを 手放せば 


本物の 統一教会 ごふぼ様が 見えてくるのだろうと 思ったのだ。



私の 思い込みを 手放せば


統一原理は やはり 輝いた 救いの 教えであり


人類の 希望が 見えてくるはずだと ほのかな 期待をしていた。




ところが どうだろう?


私の 思い込みをはずすと


私が 勝手に 救いだとか 希望だとか 感じていたものが


するりと 落ちて


醜い現実が もっと はっきりと 現れたというわけだ。




救いどころか


シックを 原理でしばり ありもしない 希望を植え付け


希望的な餌で 動かない場合は 今度は 脅して まくりたてるという


なんとも 卑怯なやり方で 人を コントロールしようとしているのが


はっきりと 見えてしまったのだ。



この世に あふれている 希望の メッセージから 遠ざけるように


ひたすら み言葉の 訓読を 強制し


考える暇なく 活動を 要求し


献金を要求する。



不思議なもので 


こんな 献金要請に いちいち 答えていたら


家庭生活が 麻痺してしまうというのを どこかで 感じて


不満に思いながら・・・・


どこか 教会の言うごとくに 動いてくれない夫が 悪いので(信仰がないので)


天の条件を 満たしていないので


こんなに 稼ぎが悪いのだ。


だから もっと 信仰的な 生活ができるようになれば


経済的にも もっと 豊かになるはずだと


自分たちの 足りなさのほうを 責めているのだ。


そして いつか いつか 豊かになれるだろうと


しがみついているのだ。







まったくもって 笑い話だ。


思い込みの 部分を 捨てて


もっと 信仰生活を 健全にしたいと 思っていたら


教会の信仰 そのものを 捨てることになったのだから・・・・



今回の レッスンでは 何を 手放すことになるのだろう。