スケジュール帳を 整理していて 気づいた。


私のスケジュール帳は スケジュールを書き込むのではなく


いわば 1マス日記みたいなものだな。


日記は 文章ではなく キーワードとイラストや シールで


簡単にしている。


それも 気づいたときに 思い出して まとめ書き。



妹が 毎年 クリスマスに おそろいの スケジュール帳を


送ってくれるのだが これも 6冊目。


この スケジュール帳を 使い始めてから


教会と関係のない 私だけの 1年間の スローガンを決めたり


意識して暮らしたい キーワードを 書き込んだりしていた。



ちなみに スタートした 2007年の スローガンは


あたまふにゃふにゃ こころ わくわく 小さな冒険


だった。


そのほかには


まあ いいっかあ~~


家では 天国言葉を使い 美しい 空気と 環境


人には「穏やかさ」と「驚き」を与える


ガマンしない!


などが 書いてある。



なるほど 教会の思考から 自分を解き放とうと 努力を始めたところだった。


それが ふにゃふにゃの 意味するところ。


そして ここで わくわくを 使っているのには 自分でも 驚いた。


この スローガンは どこからか 引っ張ってきたものではなくて


当時の キラリの オリジナルだったからだ。


小さな冒険というのは 何をするにも 怖さで進めない 自分に


小さな1歩だけ 踏み出してみよう・・・・1歩ならできるよ


それが 次第に 大きな冒険に つながると思うから 安心して!


そういう 思いで書いていた。



ふう~~ん 本当に 小さな 1歩 冒険が こんなところまで 来てしまったというか


自分でも まさか!の 所に 今 立っているわけだ。



後年 この 見開きのページには 


お金に対する 私の 課題も 一言 書き加えるようになったのだけど


今年は わくわくしながら お金を 使う と 書いていたのを 思い出した。



なぜか 教会に来てから 私は お金を 使うのが 怖くなっていた。


罪悪感もあり


そして お金がなくなる 寂しさも感じていた。


ひたすら ガマンの 世界だった。


無くても 生きていけるなんて 思い込ませよう(自己欺瞞)としていた


ところもあった。




「昔から 私 こうだったっけ?」と 思い出してみても


子供の頃も 貯金は趣味だったけど


必要とあらば 気に入ったものは ド買ってしまうタイプだった。


(でも ドン!の金額が 子供だから 限られてはいたけど。)



大学時代だって お給料を もらってからだって


買い物を楽しんでいたはずだ。



まあ 奥底では 父から逃げるには まず 金銭的に 独立することが


大切だから お金は 必要だという 概念は ちゃんと 持っていたけど。


それでも 買い物を 楽しんでいた。


節約することろでは 節約 ケチるところでは ケチりながらも


楽しんでいたのだ。



それが いつからだろう??


できなくなってしまったのは?



子供が生まれると 女性は そうなりやすいそうだから


一般的なものかなとも 思ったけど


異常なまでに 凝り固まってしまったのは


私の心が 固まってしまったからだろうと思う。



教会の性も 大いにあるだろうし 夫の性もあるだろうけど


そういうのを 私が 反対に 利用しながら??


お金に対して 固まってしまったようだ。




ところで 昨日 ネットで購入していた 文具が 届いた。


ネット上では 製品が 綺麗に見えるように 


画像なんかも 工夫が凝らされているから


現物を 1個づつ見ると 見ると


え!?こんなものか・・・という ギャップは 多々あったけど


それでも 宝箱を 開いたみたいだった。



何に使うとも決めていない マスキングテープ。


今すぐに スケジュール帳を にぎやかに 飾ろうと思えばできるけど


それも ちょっと 勿体無い感じで。


とにかく 持っていて わくわく 使って わくわくの


私にとっては わくわくの お守りみたいなものだ。



最近の私は 自分をわくわくさせてくれる モノ 


生活を キラキラさせてくれるモノを 中心に 探して 買っている。




そこには わくわく感と 生活の希望だけがあって


罪悪感も


お金が なくなったという 寂しさもない。




やっと 元に 戻れたのか・・・・?


それとも 長い 勉強を通して


もっと 自由になれたのか?



それは 分からないけど いい傾向にあるなと 思う。